月下の辱め
「貂蝉よ。わしの目の前で、他の男の影を追うとは……いい度胸をしておるな」
董卓様の剣呑な声に、心臓がひやりと震えました。
「影を追うなど、とんでもございません。わたくしはいつも董卓様お一人をお慕い申し上げております」
「ほう……本当か? さきほど、目で合図を交わしてはおらなんだか?」
呂布様のことを……?
「濡れ衣にございます」
胸の奥がきゅっと縮みましたが、それを表に出すわけにはまいりません。
「ならば、頬を赤らめていたのは何ゆえじゃ」
頬の熱は舞のせいにすぎませんのに。
理不尽なお疑いに、思わず息をのみました。
「舞に心を込めていたゆえにございます。他の誰かを意識することなど、決してございません。――わたくしが気に留めるのは、董卓様、おひとりだけです」
「ほう……まことか」
「まことにございます」
どうか、わたくしの言葉を信じてください――そう願ったのも束の間、董卓様の口元に嗤いが浮かびました。
「ならば潔白を証明してもらおうか。帯を解け」
「……え?」
何を言われたのか理解ができず、声が掠れてしまいました。
「二度は言わぬ。衣を緩め、この場で身をもって示してみせよ」
低く落とされたその声は、刃のように胸に突き刺さります。
「ここは外でございます。護衛の方々の目も……」
半月は中天に昇り、庭の東屋は四方から覗ける造り。
白々とした月光が、隠す場所もなくわたくしの身を照らしております。
「さきほど言ったではないか。他人の目など気にせぬと」
董卓様は歯をのぞかせ、下卑た笑いを浮かべます。
「それとも、わしに嘘をついたのか?」
腰の剣に手がかかるのを見て、羞恥の色はたちまち薄れ、全身を恐怖が支配しました。
抗うことは叶いません。
帯を解かれた衣が少しずつずれ、肩口あたりで落ち着かなく揺れました。
――ぱさり。
まとっているはずの布が心許なくなり、背筋を冷たいものが走った瞬間、全身がびくりと震えます。
「隠すな」
思わず胸元を押さえた手を、董卓様の声が叩き落としました。
「……はい」
わたくしはおずおずと腕を下ろします。
月光に輪郭をあぶり出されるたび、どこまで見えてしまっているのか分からぬ不安と羞恥が胸を押し潰します。
「そのまま舞え」
董卓様の声は重く、さらに続けざまに冷ややかな言葉を浴びせました。
「お主の退屈だった舞も、その格好のまま舞えば、少しは見る気になるかもしれんなぁ」
大切にしてきた舞を踏みにじられ、胸の奥が凍りつき、視界がかすみます。
――舞いたくない。たとえ衣をまとっていたとしても……。
けれど抗えず、震える脚で舞の一歩を踏み出しました。
両腕を広げれば、守るもののない身をさらすようで息を呑み、
片脚を上げれば、ふとももから足先までをなぞられているようで。
――どうか……見ないで。
心の奥で必死に願いながら、震える手足で舞い続けました。
「さきほどとは雲泥の差よな。護衛ども、お前たちもそう思うであろう?」
董卓様は闇へと呼びかけ、わたくしに他人の存在を意識させようとします。
焦りに駆られ、左右へせわしく視線を走らせました。
闇は沈黙し、答えはありません。
それなのに、無数の視線が闇の奥から突き刺さってくるようで、羞恥と恐怖に胸が裂けそうになりました。
――あぁ、もう限界です……。
耐え切れず、その場に膝を折り、崩れ落ちてしまいました。
その瞬間、「なぜ舞をやめるのだ!」董卓様の叱責が雷のように響きます。
立ち上がろうとしますが、足は震えて力が入らず、再び崩れ落ちました。
「どうか……お許しを」
わたくしに出来ることは、必死の嘆願のみ。
しかし返ってきたのは、容赦なき命令でした。
「立て! ええい、立たぬか!」
董卓様が荒々しく歩み寄り、腕を乱暴に引き上げます。肩に鋭い痛みが走り、思わず悲鳴がこみ上げました。
「わしに触れられるのは嫌か?」
低く押し潰すような声が耳を打ちます。
「そ、そんなことは……ございません。驚いただけで……どうか、この身をお確かめのうえ……お望みのままに……」
心とは乖離した言葉を、必死に紡ぎました。
しばし沈黙が落ち、やがて董卓様は鼻を鳴らします。
「ふん……すぐにへたり込むようでは、興が醒めるわ。――よい、ならばもっと『見応えのある姿』にしてくれよう」
ぞくり、と背筋に冷えが走りました。
董卓様はわたくしの腕を荒々しくつかむと、半ば引きずるようにして東屋の柱の方へと連れていきます。
梁へと伸びる柱を見上げた瞬間、嫌な予感が胸を締めつけました。
「手を上げろ」
「……はい」
逆らえば斬られる――その確信が、震える両腕をじわりと持ち上げさせます。
董卓様は床に落ちているわたくしの衣を裂き、布を紐のようにして、わたくしの手首に固く巻きつけました。
布はそのまま頭上の梁へと通され、引き絞られます。
「痛っ……」
思わず声が洩れましたが、訴える暇もなく、腕は高く吊り上げられてしまいました。
つま先で辛うじて石畳に立つ姿勢。少しでも力を抜けば、手首に食い込む布がきしきしと悲鳴を上げます。
「おお、よい眺めよ」
董卓様は満足げに言い、にやりと口元をゆがめました。
両腕が縛られているのです。わたくしは、ただ月光の下に立たされるほかありません。
――どうして、こんな姿に……。
羞恥と恐怖がないまぜになり、胸の奥がきしみました。
視線をそらそうにも、腕は頭上で固定され、身じろぎするだけで布がきゅっと鳴ります。
東屋の外側には闇が広がり、その向こうには護衛たちが控えているはず。
姿は見えずとも、気配だけがじわりと肌を刺してくるようでした。
そのときです。
闇を見渡すように視線を走らせた董卓様が、愉快そうに喉の奥で笑い――
――次の瞬間、嘲るような声が、夜気を震わせて中庭に響き渡りました。
「おお、見応えのある眺めよ。護衛どもよ、そなたらもそう思うであろう?」




