第六話
ドラマの見過ぎだって笑ってほしいんだけど、そうこぼしていつもどおりののんびりとした結衣の声が暁に向けられる。
「いじめられたりなかった?」
暁は口の中を占める玉子焼きを奥に追いやって、聞きたい?と笑って見せた。
あの日から一緒にお昼を食べることになった二人は、昼休みの時間をいつも楽しく過ごしていた。
「やっぱり、あったんだ。」
結衣の言葉は悲しそうだった。
今も昔もあまり変わっていないこの世界に、暁はときおりうんざりすることがある。
いつも誰かが小声で話し、自分を指差している。誰もが自然と距離をとる。
高校に入る前は、毎朝机の上に無造作に摘まれた花がおかれ、持ち物は少し目を離すとゴミ箱へ出かけ、机の中やかばんの中はゴミ箱とかしていた。
高校にあがってからは、今が人生の中で一番穏やかな時なのかもしれないと思えたが、それでも嫌になることはいくらでもあった。
「死にたいと思ったことはないよ。」
自分の目に映る彼らと同じようになるのが怖いからという理由もあったが、暁はいつだって自分に関することは一歩引いたところから、全てを冷静に受け入れることが出来た。
「死んでもいいと思ったことはあるけど、その程度だよ。」
暁の声は軽やかだった。
虐めなど事実どこにでもある話で、たいしたことではないと思うと不思議と苦しみを感じることはなかった。
「今はまだ距離があるけど、分かろうとしてくれる人もいるし。結衣ちゃんがいるから。」
結衣はその言葉に白い頬をうっすらと赤く染め、悲しげな目を隠すように笑って見せた。
「もっと早く会いたかったなあ。」
ふんわりと結衣が言う。
「そしたら、私がずっと暁ちゃんを独り占めできたのに。」
縛り付ける力のない、ただ包み込むばかりのその言葉に、暁はほんのりと暖かな感情を持った。
魔女のような強さはないけれど、すっぽりと人を抱きしめることの出来る優しい声だった。
「結衣ちゃんは僕を変だとか気持ち悪いとか思わないの?」
暁はもう答えを知っていて、そう尋ねた。
その予想通り、結衣は首を横にぶんぶんとふり、短い髪の毛を揺らしていった。
「その目を持ってるのが、暁ちゃんでよかったなあって思うの。」
予想もしていない言葉に暁は息を止めた。
「あ、えっと、嫌な気持ちにしたらごめん・・・。でも。
でもね、本当にそう思うの。小林さんの最後の言葉を伝えてくれて、一緒に泣いてくれる暁ちゃんでよかったって。」
それにそのおかげで暁ちゃんとお昼一緒にいられるしね、と結衣は恥ずかしそうに笑った。
暁はゆっくり息をはいて、震えそうな声をこぼした。
「あぁ。」
そうだね、とそれだけを言葉にするので精一杯だった。
暁はこの目があってよかったと思う自分がいることに驚いた。
今までただの一度もそう思えたことなどなく、むしろ毎日のように光を奪われても良いとさえ思っていたのに、今はもうそんな全てがまるで昔よく遊んだおもちゃを眺める時のあの懐かしい感情さえ与えてくる。
「暁ちゃんが死ななくて良かった。」
そういう結衣の手元から焼きそばの匂いがした。なんでもない一日がしっかりと思い出に変わっていくのを暁は嬉しく思った。
歩いてきた理由が、確かにそこにあった。
「小林さん、本当は人が嫌いだったんだ。」
「え?」
結衣は突然持ち出されたその言葉に驚き、持っていた焼きそばパンを落としそうになる。
あれだけ懐いていて、毎日お昼を一緒に過ごしていた彼女が人嫌いだなんて信じられない。
そんな結衣に、本当にと小さく笑った暁は、自分の中に生きている小林さんの記憶とその時の感情をゆっくり思い出した。
その中でも一番鮮やかに思い出せる、冬の透き通る空に良く似た冷たいそこに、ぽちゃんと落ちたあの日を。