第四話
もしかして見えた?
暁は空を見上げる結衣の姿に目を向け、涙を拭ってそう聞いた。
結衣は小さく首を横に振る。暁はもう一度尋ねた。
聞こえた?
しかしその問いにも答えは同じだった。
「天国に行ったの・・・?」
結衣は目にいっぱいの涙をためて、まだ少し濡れる暁の目を見た。
暁は天国、とつぶやき少し困ったように笑っていった。
「・・あぁ、そうだね。」
暁は花のない緑の葉をつけた小さな山茶花の木を見つめ、そこにはもう何もいないのを確かめる。
ずっと待っている結衣に、もう同じ世界にはいられないことを告げようとしていたあの子が、風にとけてどこへ行ったのかは暁にも分からない。
だからそれは嘘になるのかもしれない、と思いつつ少女を見つめる。
結衣がそう願うなら、あの子はその天国という場所へむかったのだろう。
暁はまだ悲しみにゆれる結衣の目を見ていった。
「たぶん、・・・たぶん大好きとかありがとうだと思うんだけど。」
暁の言葉に結衣は、え?と小さくこぼす。
「最後に高い声で短く鳴いたんだ。結衣ちゃんの手に小さな頭をすりよせて、鳴いてた。」
それを伝えても哀しいだけかもしれない。
暁はそう思いながら目を閉じて、まぶたの裏に浮かぶひどく穏やかで幸せそうな光景を告げる。
普通の人間とは違う自分を、少女は怖いと思うだろう。気持ち悪いと思うだろう。
それでも伝えなければならない気がして、心の中の不安を押し殺し、言葉にした。
「ごめんね・・・。」
こんな事実を知らせて、小さな嘘をついて、泣かせて。
暁はできるだけ優しく笑って見せた。
結衣は暁から目をそらし、うつむいた。
結衣の行動に、暁はぱっと現実世界に引き戻される。
ここが学校で、今が昼休みだという現実を思い出す。
いつもと何も変わらない日々の中に戻ってきた。
暁はいつもと同じ悲しみを受け入れる。
それは結衣が悪いわけではない、それは分かっていた。
それを見たくて聞きたくてしかたない人にはそれができないのに、なぜ自分にはそれが見えるのだろう、聞こえるのだろう。
誰にも理解されず、受け入れられることもない力をもって生きていくには、この世界はあまりにも重く苦しい場所だった。
小さな猫の鳴き声や、流れ込んでくる記憶に目を閉じて、耳をふさぎ、何も知らないふりをして生きていく道だってあるのに、何度裏切られても、その力を隠さず生きてきた。
あの子猫の死を伝えることがいいことかどうか悩み、結局泣かせて、嘘までついて。
暁はそっと昼休みの裏庭から晴れた空を仰いだ。
透き通る青の中を赤い金魚がすぅと泳いでいく。
“いい?暁。”
その空からあの日の声が降ってくる。
“暁と出会う日を待っている人がいるから、どんなに辛くても、暁はちゃんとこの道を歩いていくんだよ。”
それはとても澄んでいて、やわらかいのに、何にも揺るがないまっすぐな強さを持つ魔女の声。
幼い頃に出会った、自分という存在の見つけ方を教えてくれたセーラー服の魔女の言葉。
暁はその魔女を信じてきた。
これでもまだ歩けというんですか、魔女。
そう何度も空を見上げて問いかけ、返事のない日々の中をそれでも歩いてきた。
出会う日を信じて、待っている人を求めて。
一人、赤い金魚の泳ぐ空の下を。