第十六話
全てを知るということは強さだ。
リュカは一人きりの居間で、縁側にいる暁とコマチのはしゃぐ声をききながら、この家にやってきたころを思い出していた。オリエントより西、ヨーロッパの森の奥、人は立ち入らないその場所にエルフと呼ばれる生き物は人にその存在を知られることなく生きていた。その容姿は人間と大差はなく、耳が長くとがり髪と目が銀色をしているのが特徴的なくらいだ。しかし能力においてはあらゆる分野で人を超越するエルフたちは、西の森でガーナという一人の魔女を大切に育てていた。
エルフの世界で魔女はまるで神だった。エルフの長オルガの息子や娘は皆、その魔女の世話役兼護衛係として教育を受け、魔女のためにその身をささげる。
そんな長の子であるエルフたちの異母兄弟として生まれたリュカは白銀の髪に青い目を持つ混血のエルフであったがために兄や姉たち以上の教育を受け、光や愛などとは無縁の世界で生きてきた。そしてやはり魔女は神と等しい存在なのだという観念を植え付けられた。
運命の流れを読み、生命と心を通わせる。それは確かにエルフでさえなしえない異業であり大切にすべきものだ。
しかし東に三百年目の魔女が生まれたとき、人の中で育てるべきだとエルフの長でありリュカの父であるオルガは、東で生まれた魔女とその父を見て、魔女を西に連れ帰ることをやめた。
西に生まれた魔女は人を知らず、北の魔女は北の大地から離れることができずエルフが共に生活し、南の魔女は西に連れ帰られたがガーナとの折り合いが悪く南でエルフに守られて生きている。
しかし東に生まれた魔女うただけは親の元で普通の人間と同様に生活を送っていた。
東に魔女が生まれてから十五年が過ぎたころ、ついに魔女狩りが東に魔女が生まれたことを嗅ぎ付けて動き始めたと分かり、オルガは闇の中からリュカを連れ出して東へ向かわせた。
そこで見た、西の魔女とは違う幼い少女の目は、西のそれよりはるかに深みがあった。
「違えていたのやもしれん」そう一言だけ独り言のようにこぼしたオルガの言葉をリュカは思い出し納得した。
「君たちの世界でいう魔女というのは、結局のところ、人と人との間に生まれた人間なんだ。」
うたの父である彼方は普段、穏やかで明るい人だった。
大した人間ではないと思っていたリュカが、彼を魔女の父親なだけはあると思うようになったのは、うたを人間の子供として愛し、叱り、抱きしめて育てているのだと知ってからだった。
神に等しい魔女の口に半強制的に青々としたほうれん草を詰め込む姿に、リュカは言葉を失った。
そして彼方が「ほうれん草も喜んでるぞ。」と幼い子供をなだめるように言ってのけたときには、神をも超越した人間だと思った。
「何故、魔女にそんなことができるのか。」とリュカが彼方に尋ねると、「子供に何でも食べさせるのは親の義務だからね」と笑っていった。
「うたは人間だ。僕の子だ。魔女でもまして神でもない。」
いつになく強い芯を持った目がリュカを見る。
「全てを知ることは強さだと君たちはそう思ってる。だけど僕にはわからない。全てを知るがためにあの子はたくさんのものを背負って一人で泣くんだよ。」
たった十五年しか生きていない小さな背中に何を背負えばあんなにも深く優しい目をした魔女に、人に、なれるのだろうとリュカは歌の目を思い出しその奥を見つめた。
「あのね、これは僕の勝手な思想でしかないんだけど。」
彼方は言った。
「全てを知るということ自体が強さなわけじゃなくて、全てを知ってなお向き合おうとする心が強さなんじゃないかな。だからうたは強いけれど、それはうた自身が強いのであって、力の有無にはたいして意味なんてないんじゃないかな。」
リュカはどう思う、と彼方はそっとリュカに微笑みかけた。
どうもなにもリュカの中にあるのは、例えば人が四つ葉のクローバー幸福の証だと思ったり、流れ星に三回願いを唱えると願いがかなうと思ったりするのと同じように、知らず知らずのうちに教え込まれた『魔女は神に等しい』という考えがあるだけだった。
「待つだけって時が一番苦手。」と薄暗い廊下でうたがうつむいていた昨日の夜。
おやすみを言って別れた後、リュカの耳は遠くにくぐもった泣き声を拾った。
もしも暁の父が金魚を見つけることができず、何一つ変えられない未来が訪れた時を思うと、暁の運命を知っているうたは涙を流さずにはいられなかった。
リュカは仰向けになり、うたの泣き声を聞きながら、天井をじっと見つめてその夜を過ごした。
「リュカはどう思う」という問いに、そっと心の中で答えた。
「その通りだ。」