第十五話
「俺に何かついているのか。」
暁にはあえて目を向けず、テレビを見ながら軽い口調でリュカが言った。
休日、うたは昼過ぎまで眠っているため、いつもはリュカとコマチが静かな居間でのんびりと過ごしている。しかし今日はそこに暁がいて、リュカは少し緊張していた。何せ人という生き物が苦手な上に、子供は特に関わりを持たないようにしていたため、どう扱っていいのか分からないのである。
目が合えばたいていの子供が無意識のうちに口を閉じてしまうことをリュカはよく知っていた。
怖がられるのが分かっているから、それを避ける。そんなリュカにうたは首を横に振って笑って、違う違うと否定していた。
“リュカが怖がるから、向こうも怖がるだけなんだって。”
理由を聞いてもその時は納得がいかなかった。
「あっ、・・・ごめんなさい。」
「・・・いや。」
責めているわけではないのだが、と口を閉じる。コマチに助けを求めても、あっけなく無視された。
またテレビの音ばかりが部屋に響く。何を話して良いのか分からず、うたが起きてくるまでずっとこの状態が続くと思うと、恐怖を感じた。
子供が怖いなどという感覚はない、とうたに言ったが「そうかな」と彼女は笑うだけだった。それを思いだし、リュカは心の中でうたに言った。
確かにその辺の大人よりもずっと暁のような子供のほうが自分にとっては恐怖であり、怯えているのかもしれない。
そう認めた所でやはり暁とコマチとリュカしかいない居間は静かなままだった。
早く起きてくれとリュカはうたの部屋へと続く廊下を見つめた。
「魔女だと、本気で信じているのか。」
ついにその空気に耐え切れず、リュカ自身わけのわからない話題を持ち出した。
「え、あ、はい。リュカさん、は信じてないんですか。」
「リュカでいい。」
短く言った言葉にびくっと暁の体が揺れた。
「俺はそれを知っていてここへ来た。信じるとかそういう以前の話だ。しかしお前はまだ出会ったばかりだろう。何故簡単に信じられるんだ。」
できるだけ丁寧に言葉を選んで言った。
よくよく考えると魔女だと言う女に連れて来られ、一泊するなど、そっちの方が信じられない。
「・・・優しかったから。」
「優しくする大人ほど怖いものはないとお前くらいの子供が言っていた。」
「でも、優しくて。」
子供らしい理由。リュカは少し考え、リュカなりに受け止める。
「なら俺が優しくすれば、お前は怖くないか。」
無意識のうちにこぼれた自分の言葉に驚き、リュカは暁の顔を見てしまった。驚いて丸くなる暁の目とリュカの後悔を帯びた青い目がぶつかる。
リュカが急いでその瞳を逸らそうとした瞬間、暁の髪が揺れた。
“小さいものはちゃんと分かってるよ。リュカが優しい事。”
何故恐れられるのかという理由を聞いても納得できなかったリュカに、うたはそんなことを言った。根拠もない慰めだと決めつけて聞いていると、それを知ってか知らずかうたは言葉を続けた。
“リュカが隙間を作ってあげないと、あっちだって怖いんだよ。”
「そんなこと」と言葉を返すと「そう。そんなことなんだよ。」とうたは小さく微笑んだ。
そんな昔の会話を思い出していたリュカはじっと見つめてくる暁の目に戻ってきた。
「僕、怖くない・・よ。リュカさん・・・リュカ、優しいから。」
根拠のない慰めだと決めつけて悪かった。そう魔女に頭を下げて謝らなければと思った。
そういえばあの時、何故そんなことを言われたのだろうと思いだしていると、黒くて小さくてやせ細った、まだ赤ん坊だったころのコマチに行きついた。雨の降る日、リュカが連れ帰ってきた捨て猫は、当初ひどくリュカに怯えていた。
昔から生き物には好かれない体質だから、と気にしていないふりをするリュカに、うたは違う違うと笑ったのだ。
そんな生まれつきなどという御立派な体質ではなく、もっと馬鹿らしい理由だったから。
「そうなのか。」
「さっき。」思いきったように暁が口を開く。
「なんだ。」
「さっき、格好いいなあって、見てたの。」
「格好、いい・・・?」
意味が分からず繰り返してみる。暁は少し恥ずかしそうに笑った。
「“髪の毛のことを笑われても、絶対にリュカはあの色を捨てないんだよ”って、魔女さんが言ってたから。」
うたがそんなことを、と思いながら、ここへ来た頃にもそんな話をしたなと思いだしていた。
青い目は外国人だからと片づけられるのに対して、人にしては珍しい白銀の髪はそうもいかなかった。
学校でもどこでも、リュカの髪は人の目を引いた。それを慣れているからとリュカが言うとうたは「リュカは強い」と誇らしげに言ったが、「金色に染めたら、皆気にしなくなるかもよ。」と言ったことがあった。
それは本気で勧めていたのではなく、むしろリュカを少し試しているような所があり、リュカが首を横に振ると彼女はひどく喜んだ。
それを思い出し、窓ガラスに映る自分の姿にリュカはうっすらと笑みを浮かべた。
「今思いだしたが、この髪を笑われても平気でいられるようになったのは、あいつが、うたが、綺麗だと言ったからだった気がする。」
周りに指を差されることには慣れていた。しかし本当の意味で平気というのは、自分の髪を自分自身が受け入ることだと気付いたのも、受け入れる事が出来たのも、うたの言葉がすっとリュカの中で重く沈殿した濁った何かを簡単に溶かしたからだった。
「そういう奴が一人でもいれば、確かに世界は生きやすくなる。」
それは暁へ向けた言葉だったが、難しいだろうなとリュカはため息をついた。何かを伝える事は難しい。それ以上に影響を与えるのはもっと難しい。魔女は簡単にそれをやってのけてしまうのに、それでも救えないものがあり、涙を流す。
暁にもリュカにとってうたのような、受け入れて認めて支えてくれる誰かを与えたいのだと、目の前に座る暁の姿を見てリュカはうたの考えに気づいた。
「僕にも、いるのかな。」
今はいない。それは口にできなかった。
それはうたでさえ、彼の心には入り込めない。そう決まっているのだ。
彼が愛して欲しいと望む人間でなければ、どれほど努力しても、結局は彼を強くすることはできない。
「できる。」
だから魔女は電話をかけた。
「うたは魔女だ。」
いつのまにかテレビの音量は小さくなっていて、コマチがリュカにご飯を催促しているのに気付いた。
あの日はその体がリュカの指を拒んでいることが感じられたコマチから、今はただ甘い感情だけが伝わってくるその感覚にリュカは、そっと立ち上がり「待ってろ」とコマチの頭をなでて、リビングへ向かった。
その背を暁はじっと見つめる。魔女が強いと言った意味が痛いほど伝わるその背中を、その目に焼きつけていたのだった。