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第十四話

うたのように白くもなければ小さくもないが、どことなく綺麗な手をリュカはぼんやりと思い出していた。

母という存在をまったく知らず、父と呼べる存在と言葉を交わしたのは数えられるほどしかなかったリュカにとって、家族という形を知ったのはうたに出会ってからだった。

何の意味もないことで笑い、些細なことで言い合い、意地を張り、わけもなく寄り添う。

母親のいない父と娘だけのその家は広々としていたけれど、隅々まで明るく暖かかった。

今はうたの父が仕事で海外へ出ているため、家はリュカとうたの二人だけだが、まだ三人で暮らしていた頃、うたの父、彼方の綺麗な手がぽんぽんとリュカの頭をなでたことがあった。

彼方のほうがリュカより身長も低く、少しばかり小柄だった。

外から眺めるとおかしな構図だろうと思われるそれは、リュカ自身、下から伸びる手に不思議な気持ちになったが、そんなことよりも生暖かい温度が伝わってじんわりと体の中が柔らかくなった。

“リュカは末っ子なのにしっかりしてるなぁ。”

そういって与えられたその手が、リュカにとって初めての家族という温度だった。


「あの・・・、私はまだ子供で、こんなこと言うと生意気かもしれないんですけど。」

リュカの耳に暗いキッチンからうたの声が届いた。

「子供って大人が思っている以上にたくさんのことを考えるんです。

だから理解しつくすことはできないけど、せめて。」

小さく息を詰める。

「せめて、暁の愛する人には、暁の愛して欲しい人だけには、諦めてほしくないんです。」

電話の向こうに訴える、必死なうたの震える声。

父親という生き物はたとえ人間であろうと、皆似ているというわけではない。

それはリュカの父とうたの父が違うように。

命令しかしない父親もいれば、血がつながっていなくともそっと手を伸ばして頭をなでる父親もいる。

リュカはもし自分の父がうたの父のようであればきっと、何もかも変わっていただろうな、と廊下を歩くコマチを見た。

当然のように意味もなく心の中の一番大切な場所に一番最初に居座る親という存在が、いつになってもどこかに必ず残る親という存在が、自分を愛しているか愛していないかというだけで何もかもが変わってしまう。

だからうたはどれだけの不安も押し殺し、電話の向こうへ声を投げ、言葉を重ねる。

『高校生だと言いましたね。私たち親は上から見ていて何を考えているかくらい分かります。まして暁はまだ、たったの八つだ。』

「たったの、ですか。」

『考えることも浅いといいたいんです。』

疲れきった声が電話の向こうから返ってくる。

浅い、と言った子供は親に愛されているのかと不安を抱き、自分さえいなければと涙を流す。

それがたった八つの思慮の浅い子供の考えだと、その声は分かっていて言ったのだろうか。

リュカはコマチをそっと抱き上げて、言葉のない金の瞳の奥をじっと見つめる。

「じゃぁ、金魚をお願いしてもいいですか。」

うたが怒っている。

リュカとコマチはその声の方向に目を向けた。

『金魚・・・。』

「はい。先日私が貰って欲しいってお願いしたんです。」

初めは戸惑っていた暁に、“きっと暁を助けてくれる。”とうたは頭を下げて暁に渡した。

「暁が言ったんです。“お父さん、お魚苦手だから、怖がっちゃう”って。」

『え?』

「“魚が食べられなくて、いつもお母さんに叱られてたんだ”って。」

ひどく優しく厳しい声で言った。

「あの目が何を映して、何を思っているのか、上から見下ろしていて分かるのでしょうか。

暁の手はいつだって人を暖めることができる暖かくて優しい手です。

だけど今、その手を放せばもう二度と、暁の手は人の手を握らなくなってしまう。」


“僕は怖いんだよ。あの子が自分の知らない世界に連れて行かれるのが、すごく怖い。自分の無力を知っている大人のほうが本当は子供より弱いのかもしれないね。”

彼方がいつかそうリュカにこぼしたことがあった。魔女であるうたを育てたのは、自分の弱さを知っていて、なおそれでも立ち向かうことのできる大人だった。ただ彼方がおびえていたのはうた自身ではなく、うたから笑顔を奪う、彼方には触れられない世界だった。

そしてうたも、そんな父の強さを知っていた。


「あと二日、ゆっくり周りを見てください。きっと金魚を見つけてあげてください。」

それは賭けだった。

赤い金魚を見つけることができたとき、暁を待っている運命は大きく変わる。しかし見つけることができなければ、暁はいずれ全てを捨ててしまう。

「日曜日、待ってます。きっと迎えにいらしてください。」

その言葉を最後にがちゃん、と受話器が置かれる音がした。

『暁をお願いします。』という声は自信なさげで、やはり疲れきっていた。

はぁ、と震えるようなため息がこぼれ、うたが電話の前で座り込んだ。しんとした部屋に響く時計の正確に時を刻む音が煩い。

「うた。」

「リュカ。聞こえてた?」

「あぁ。」

申し訳なさそうなリュカにうたは眉を下げて笑った。

「やっぱりリュカはすごい。」

視力、聴力ともに人間の限界値をやすやすとこえ、おまけに一度見聞きしたものは二度と忘れない。エルフをも超越したリュカに「すごい」という言葉を使ったのはうたと、そして彼方だけであった。

「待つだけって、辛いね。」

うたはゆっくりと立ち上がり、少しうつむいた。長い黒髪が揺れて月明かりを反射する。

いつだって彼女は待っている。リュカが彼女のもとへやってくるのも待っていた。彼が自ら自分の話をする日を待っていた。そして今も、運命が変わるのを待っている。

「明日は出かけるんだろう。休み明けは数学の小テストもある。英語の課題だってお前はまだ提出してなかっただろ。」

リュカの言葉にうたが小さく笑みを浮かべる。

「待っていなくても、すぐに来る。」

ぽすん、とうたの体がリュカの腕の中に収まった。

うただってそう思っていることは知っていた。けれどそれでもこうして言葉にして、受け止めてやらなければ彼女は一人で泣いてしまう。リュカはうたの頭をそっとなでながらそう思った。

わかってはいるんだろう。

今はただそれしかできないけれど、明日はいつだってちゃんとやってくること。

それは望もうとも望まぬとも。

「おい・・・。」

じっとコマチがうたを見つめている。

「寝るなら布団で寝ろ。」

ため息混じりにそうつぶやいたが、もううたには届いていない。

そうだ。

そうやって眠って起きたら、そこにはちゃんと太陽があるだろう。

そう教えてくれたのはお前じゃないか。

リュカの目がそう訴えるのをコマチは静かに聞いているようだった。

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