第十二話
うっうっ、とくぐもった声がリュカの耳に入る。
ぽつぽつと道なりに街灯が灯っており、六十秒に三台程度の間隔で車が過ぎていく。
リュカがその声のやってくる方向を明確に理解したのは、あの公園の前を通る大きな道に出た時だった。
そこまで来ると、うたの耳にもかすかに何か音がする、というくらいには聞こえた。
「何か聞こえるの…私だけ?」
うたが少し怯えたように暗闇に目を凝らす。二人はゆっくり大きな道の向こう側の公園へ近づく。
リュカは自分の頭の中の地図のある場所から響いてくるその声を伝えた。
「滑り台の下であの子供が泣いている声だ。」
「やっぱりここにいたんだ。」
ほっと安心し、うたは公園に足を踏み入れた。
「僕はお前なんか見えない!!」
暁が声をあらげた。
リュカはとっさにうたをうでの中に引き戻し、暁のいる周辺に別の存在を必死に探した。
しかし何の気配も感じられない。うたはそんなリュカのうでの中から出てゆっくり歩く。
「待て。…あの子供以外に別の何かがいる。」
リュカが鋭く公園一帯を見渡しながら、うたの手を捕らえる。緊張を張りつめているリュカの手をうたは握り返した。
「違うよ、リュカ。」
リュカとは正反対にうたはのんびりと静かな声で言った。
「私たちには見えないんだよ。」
どういう意味だ、と聞き返そうとしたリュカの頭の中で“化け物”というあの高い笑い声が響いた。
「暁は私たちには見えないものが見えるんだよ。」
それが化け物と呼ばれた理由か、とリュカは手の力を抜いた。
泣き声が響く夜の公園をうたは真っ直ぐ暁のいる滑り台へと歩いていく。
そこにある闇を浄化していくように澄んだ風が吹いた。
「暁。」
本当はこんなふうに優しく暁の名を呼ぶべき者は他にいるのに、暁の目に映るのはうただった。
それでも暁は小刻みに息を吸って、うたの腕の中へ駆け込んだ。
夕暮れ空の下、姉弟のように見えた二人を、月明かりの下、リュカは親子のように見ていた。
「今日はうちにおいで。明日、お休みだし。どこか遊びに行こう、ね。」
うたの優しい声に暁は泣きながら「うん」と小さく頷いた。
よしよし。小さな暁の頭を白く細いうたの手が母親のように撫でる。その姿にリュカは目を奪われた。
先ほどまでのうたとは全く違う、広さや暖かさが辺り一面を包み込む。
どこへ行こうか、何を食べようか、何をしようか。うたは暁の体を抱き締めて優しく優しく問いかけた。
返事は泣き声ばかりでも、楽しみだね、とうたは笑う。
そのうち泣き声は次第に小さくなり、すぅすぅと小さな寝息に変わった。
「寝ちゃった。」
うたがリュカを見上げて笑う。
暁の体重を支えきれず、乾いた地に座り込むとリュカがかがみ、暁を背中に負った。
うたは立ち上がって尻についた砂を払うと口元を緩めた。
「リュカ、お父さんみたい。」
月明かりで暁の髪が白っぽく映り、リュカの髪に少し似ていた。
肌寒い秋の夜に子供を背中におぶると、そこから暖かな人の体温が伝わり、心地良かった。
父という存在がどういうものか分からず、子供を背負うのが人間の父なのかと思い疑問を口にした。
「テレビでは肩車をするのが父親で、背負うのが母親だったが、違ったのか。」
リュカの頭の中の変わった定義付けが可笑しくて、うたは思わず笑ってしまった。
「笑うところか。」
「ごめん、ごめん。」
謝りながらも笑ううたにリュカも、ふっと息をこぼした。
「私のお父さんは肩車もしてくれたし、背負ってもくれたよ。」
幼いうたをあやすうたの父、彼方の姿が見える。
リュカは自分の中だけのその光景があまりにも温かく、嬉しくなった。
「彼方さんはうたにとって父親であり、母親でもあったんだな。」
「そうだね。」
こんなにも穏やかな気持ちで歩くのは初めてだとリュカは白月を仰ぐ。
うたはそっとリュカの空いている右手を握った。
「子供だな。」
握り返しただけで折れてしまうのではないかと思うほど弱々しく細い手が暖かかった。
「リュカが寂しそうだから、私が握ってあげてるの。」
そんなうたの言葉にリュカが声を出して笑うと、うたが唇に人差し指を立てて「し。」と声を潜める。
暁はもぞりと動くとやはり眠ったまま、リュカの背中で揺られていた。