第3章 名前の距離
第3章「名前の距離」
目を覚ますと、僕の頭は誰かの膝の上にあった。
柔らかくて、あたたかくて、少しだけ甘い匂いがする。
「わためっ?!」
わためかと思い起き上がったら膝の上に押し戻された。
「隊長、倒れたんやから大人しくしとき。大丈夫?急に倒れるからびっくりしたやん……」
見上げると、心配そうな顔の愛ちゃんがいた。
その声は優しくて、どこか懐かしい。
でも、何かが違う。
「……愛ちゃん……」
僕は、ぼんやりとした視界の中で、彼女の顔を見つめた。
その瞳に、僕の“痛み”は映っていない。
まるで、何も知らないかのように。
「……わためが……消えた……」
そう口にすると再び流れた涙が愛ちゃんの太ももを濡らした。
愛ちゃんは、首をかしげた。
「……わため?さっきも言ってたけど誰なんそれ?……隊長、夢でも見てたん?」
その言葉に、僕の心臓が一瞬止まった気がした。
愛ちゃんの中からも、わためが消えてる。
「……僕のこと、なんて呼んでたっけ?」
「え?隊長やん。ずっとそうやん?」
僕はゆっくりと起き上がって愛ちゃんを見つめる。
「……最近は“おかちゃん”って、呼んでただろ……?」
「……え?隊長って、おかちゃんって言名前なん?」
愛ちゃんの表情は、全く曇っていない。
それが、余計に怖かった。
まるで、僕だけが“別の世界”に取り残されたみたいだった。
僕は、部屋の中に残されたわための“痕跡”を一つずつ見せていった。
ピンク色の歯ブラシ。
小さな靴。
クローゼットの服。
お揃いのマグカップ。
愛ちゃんは、それを見て黙っていた。
やがて、ぽつりと呟いた。
「……誰か、いたんやな……」
愛ちゃんは少し涙ぐみ、震えながらそう言った。
告白する前にフラれたショックで座り込みそうになりながらもなんとか堪える。
きっと隊長の方がうちよりもっと辛いんはずなんや...
僕は彼女の異変に気付く事なく、ただ頷いた。
「……ごめん……その子のこと、思い出せへん……」
その言葉は、僕の胸を締め付けた。
でも、次の瞬間——
「でも、隊長がそんなに大事にしてる人なんやったら……その“わため”って子、探すの手伝うで?」
「……ありがとう」
孤独感に潰れそうだったので誰かに頼れる事が嬉しかった。
僕はまた泣きそうになったがグッと堪えた。
わためを絶対見つけ出す。
その瞬間、少しだけ世界に色が戻った気がした。