38:あなたとダンスを
セリアス視点
音楽が鳴り始めた瞬間、リクシィ嬢の動きに思わず息を呑んだ。
彼女は「人前で踊るのは苦手」と言っていたはずだ。
だが、実際に腕を取ってみれば――そのステップは迷いがなく、優雅で、むしろ舞踏会においては誰よりも洗練されている。
「……これは、驚きました。」
「何がです?」彼女は表情を崩さず、軽やかに問い返す。
「リクシィ嬢がこれほどお上手だとは。僕など足元にも及びません。」
「形だけ、です。」
彼女は淡々と言うが、その指先の動きは音楽の一拍一拍と見事に調和している。
――これは、形だけで出来るものじゃない。
深藍色のドレスが回転に合わせて広がり、その裾がわずかに自分の靴先をかすめる。
近くで見るその瞳は、赤にも緑にも揺れ、光を受けて宝石のようにきらめいた。
目が離せなかった。
「本当に、美しい。」
気づけば口に出していた。
リクシィ嬢はわずかに瞬きをして、すぐ視線を逸らす。
もしかして聞こえていたのか?
次の瞬間、
「セリアス様もかっこいいですよ。」
本当にやめてほしい。
心臓に悪すぎる。
上手いことこの鼓動の速さを隠せていることに期待するしかない。
少し落ち着くと、周囲から視線が集まっているのが分かった。
羨望と興味、そして少しの嫉妬が混じった視線。
彼女と踊っているだけで、これほどの視線を浴びるとは――やはり彼女は特別だ。
最後のターン。
彼女の動きに合わせて腰へ添えた手に、ほんのわずかな力がこもる。
もっと、この時間が長く続けばいい――そう思った瞬間、曲は終わりを告げ、彼女は完璧な礼をして手を離した。
「素晴らしい……」
誰かの声が聞こえたが、そんなことより――また彼女と踊る機会を逃すまい、と強く心に刻んだ。
エリオット様のところまで送ろうとしたその途中、リクシィ嬢が不意に足を止める。
どうしたのかと思い視線を向けると、やや青味がかった白髪の男子が隣に立っていた。
その青年が振り向くと同時に、こちらへ駆けてくる。
「リクさんじゃないか!」
親しげな呼び方に、胸の奥が不快にざわつく。
その顔を見て驚く。
「ジル様、お久しぶりです。」
この国の第三王子、ジルコリア殿下だ。
殿下は破顔し、弾む声で続けた。
「あなたが公の場で踊っているところを見たのは初めてだ。てっきり今回も壁の花を決め込むものかと……いっつもリオの腕を掴んで離さないリクさんを誘ってくれたのはフォルセティア家の方ですか? 本当にありがとうございます。おかげでリオと二人っきりで話せた。」
饒舌に笑うジルコリア殿下。
その笑顔は心底嬉しそうで、まるで昔からの知己に会ったかのようだ。
だが、リクシィ嬢は作り物めいた完璧な笑みを浮かべるに留まっている。
「お初にお目にかかります。セリアス=フォルセティアです。」
礼をしながらも、胸の奥で微かな警戒心が膨らんでいく。
――この二人に、いったい何があった?
知りたい。だが同時に、知らないままでいたいという感情がせめぎ合う。
彼女が他の誰かと、こんな距離で親しく言葉を交わす光景は、胸に小さな棘を残した。
その棘は、静かに、だが確実に奥へと沈んでいく。
それでも、視線は逸らせなかった。
この先、彼女が誰と笑い、誰の隣で踊るのか――
それを知りたいと思ってしまった時点で、もう引き返せないと悟った。




