第8話 『新月』クラスと平民に向けられる敵意
室内は広い。
お陰で今の声が聞こえていない人たちは変わらずに談笑を続けているようだけど、その声は距離以上に、厭に遠くに聞こえるような気がする。
そんな中、ユーさんはスープにくぐらせたスプーンを……口に持って行って、普通に食べた。
「ん! 今日も美味しい!」
「無視するとはいい度胸だな、平民」
「ねぇレミリス、『平民』なんていう名前の人がいるみたいだよ? ちょっと斬新な名前だね」
「え、はい……」
「平民なんて、お前くらいしかいないだろうが! ユー!!」
そんな相手に喧嘩を売るような事を言って、大丈夫……?
と思っていたら、やっぱり気分を害したようだ。
威圧的だった男子生徒が叫ぶように腹を立て、あまりの剣幕にビクッと肩を震わせる。
しかしそれでもユーさんは、何のその。
「何だ、私か。ちゃんと呼んでよ、分かんないじゃん」
口を軽く尖らせながら、今度はパンを千切って口へ。
「お前、食べる手を止めろ。俺が話しかけているんだぞ。……あぁそれとも、貧しい平民は食べる物にも困っているのか。学園の食事は無料だからな」
「無料じゃないでしょ。学費に含まれているっていうだけで」
「その学費も、特待平民は免除だろうが」
「そうだよ? だからこそ、食べないと損でしょ」
「意地汚い奴め」
「別に意地汚くないよ。私が特待になれたのは、私にそういう待遇をするだけの可能性を感じた人がいたからでしょ? せっかく貰ったその人の評価を、私は周りからの圧力とか、勝手に身分差を感じて自分から遠慮して、蔑ろにはしたくないだけ……っていつも言ってるの、ベイザス卿は何度も聞いて知ってるでしょ」
「新月《凡人》クラスのくせに生意気な!」
「凡人クラス? おかしいなぁ。この学園に『凡人』なんていう名前のクラス、ないと思うけど。あ、もしかして、字が読めない?」
苛立ちを募らせていく男子生徒――ベイザス卿に対し、ユーさんはポンポンと言い返す。
一緒にいる私にまったく彼の目が向かないのは、私の「影が薄すぎる」という体質のお陰だろうか。
そのお陰で、この状況に巻き込まれていながら、それ程「怖い」とか思わない。
冷静に記憶を探る事ができる。
ベイザス。
たしか貴族名鑑に、その名も載っていた筈だ。
ベイザス子爵家。
特に特色が強い領地持ち……という訳ではない家。
どこにでもある普通の子爵家である。
しかしたとえ普通の子爵家でも、平民相手の権力としては十分だ。
平民一人くらい、権力に物を言わせれば、従わせる事も命を奪う事すら簡単にできる。
平民と貴族の間には、それ程の力の溝がある。
そんな相手に、この態度。
すごい、と思った。
私も周り――主に従兄とその周りから「立場を考えろ」とか「弁えろ」と、散々言われ続けてきた。
別に目立とうともしていなければ、贅沢をした事もないのに、そんな事をたくさん言われて。
正直に言えば、理不尽だなと思う事はあった。
しかし私は、そういう気持ちを飲み込んだ。
そういう対応をされても仕方がないのだと、私がこんな、周りから気味悪がられるような体質なのが悪いのだと、そう思っていたからだ。
そんな私と、事情はよく分からないけれど、今正に男子生徒から難癖をつけられているユーさん。
同じとは言わないまでも、似た境遇であるように私の目には映った。
それなのに、まったく怯えていない。
自分の言いたい事を我慢しない。
真っ向から言い返す。
そこに立ち向かうための決意すら、していない。
どこまでも自然体で、まっすぐで、嘘がなくて。
――この人の中では、多分こうやって堂々としている事が『普通』なんだ。
そう思うには、十分なやり取りが成されていた。
それを、かっこいいと思った。
雰囲気は全然違うのに、しっかりと自分を持ち揺るがない様が、お祖母様と重なって見えた。
「それで? ベイザス卿が私の事を嫌っているのはよく分かったけど、じゃあ何で話しかけてきたのさ」
「そこを退け」
「嫌」
「そうだろう。幾ら生意気な女でも、凡人の『新月』クラスで平民ともなれば、流石に弁えて――嫌?! ふざけるな、退け!」
「何でよ」
「席が空いていないからだ!」
そんな自分勝手な主張を聞いたユーさんは、わざとらしいため息を吐くと、さっきまで口に入れていたスプーンでピッと窓の外を指した。
「外なら空いてるよ、ほらガラッガラ」
「この時期、外の席には灰殻蝶が飛んでくるだろうが!」
「知ってるよ、私だってそんな事くらい」
「知っているなら、席を譲れ!」
「嫌」
どう考えても喧嘩を売っている。
ベイザス卿も顔を赤くして、烈火の如く怒っている。
理不尽に「否」を唱え、きちんと言い返すユーさんの事をかっこいいなと思う一方で、その分話の落としどころが燃えてなくなっていっているようにも思える。
それこそこの話の終着点はベイザス卿が諦める事なのだろうけど、彼の後ろにはオロオロとしている一本線のローブを着ている男子が立っている。
ベイザス卿は、ここまで身分の話を持ち出しておきながら、上級生として、下級生の前で諦めるような事ができるような人間だろうか。
彼という人を私はあまりよく知らないけど、少なくとも現時点では、できないタイプの人のように見える。
周りの人たちも食べ終わったり気を使ったりで、静かに席を空けているのに、そちらには見向きをしないところを見ても、最早「室内の席に座る」という目的は「ユーさんの座っている席に座る」に成り代わってしまっているのでは――。
「何を騒いでいるのかと思えば」
鈴の音のような、可愛らしく優しく響く声が、二人のやり取りに割って入った。
「あ、シルビア」
「ジェイキンス嬢、これは俺とこの平民の問題だ。貴方には関係ない」
二人がそれぞれに声をかけるウェーブかかった綺麗な金色の髪のその人には、どこか見覚えがある。