第16話 ユーお姉様との約束を果たす
昼食後、私は午後からの授業に、強い不安と緊張を感じていた。
魔法基礎学。
それがこれから始まる授業だ。
その名の通り、魔法の基礎について学ぶ。
魔法授業はあと九つあるけど、そのすべての基礎であり、基盤。
魔法そのものに関する知識と、魔法の動力となる魔力の制御・操作・変換を学ぶ学問だ。
前者は座学で、後者は実技。
これからやるのは実技だと、午前中の儀式終わりに言われている。
ポケットからハンカチを取り出して、その手元に視線を落とした。
光を失った緑の蔦に、淡い輝きを放つレモン色の果実。
そんな印が刻まれた、水色の懐かしいハンカチ。
それを見て最初に思い出すのがお祖母様の微笑みではなく、先程のユーお姉様のいたずらっ子のような笑顔なのが、何だか少し不思議な気分だ。
その笑顔を見たのは、先程の昼休み。
ユーお姉様たちと昼食を摂った時だ。
「へぇ。これがレミリスの魔法媒体かー!」
食堂塔に、昨日と同じ四人――ユーお姉様とシルビア様とノスディアさんと共に、昼食を摂った後。
私が無事に自分の魔法媒体となったハンカチを約束通りに見せると、半ば感心したような表情のお姉様が、予想外の事を言われて少し驚いた。
「このレモン色のがレミリスでしょ」
「え、はい」
「だよねー! レミリスっぽい色してるなって思った!」
「私っぽい?」
私っぽい色というのも、それがレモン色だという事も、両方ともあまりに聞き慣れなさ過ぎて、思わず困惑してしまう。
しかし彼女は自信満々で「ぽいよ! ねぇ? シルビア」と、隣に同意を求めた。
「刻印言葉の事を言っていますか? ユー」
「いや? 何かこう、何となくイメージ的に」
そんなやり取りをする上級生ペアに、「刻印言葉……?」と首を傾げたのは、ノスディアさんだ。
「簡単に言うと、『ロマンチストが思いを馳せるための、少々マニアックな刻印の意味』ですね」
「意味」
「えぇ。たとえばレモンは、『熱意』や『陽気』ですが」
「……ぽい?」
疑わしげなノスディアさんの視線が痛い。
「まぁ『陽気』はその真逆を行ってると思うけど、『熱意』はあるでしょ。殊魔法に関しての」
「そうなのですか?」
「うん、だってレミリス、めっちゃ魔法の本読んでるし!」
「お祖母様の家にあった物だけですが」
「どのような本を読んでいるのですか?」
「色々ですが、一番好きなのはアンネルの手記です」
「まぁ! あのマニアックな!」
嬉しそうにパンッと両手を叩いたシルビア様に、私は「マ、マニアック……」と衝撃を受ける。
本について話す相手なんて、今まで一人もいなかった。
だからその手の話ができる事は嬉しいけど、まさかそんなふうに思われている本だったとは。
「たしかにあの分厚い上に手記とは名ばかりの専門的な内容を、さも日常会話のように前提知識として取り扱っている本を『好き』と言えるのなら、魔法に対する『熱意』は本物なのでしょうね」
熱意がなければ、好きと言える程読み込めるような知識を得る事は叶わない。
そんなふうに言ってくれる彼女の尊敬じみた目が申し訳なくて、私は「あ、いえ」と口を挟む。
「私は単に暇な時間、本しか気兼ねなく私の相手をしてもらえる物を知らなかっただけで!」
「あらそうなの? たしかセンディアーデ辺境伯家は、屋敷の同敷地内に分家の家もあったと記憶していたけど。年の近い子なら、何人かいるでしょう?」
「あ、えっと、そちらとはあまり仲が良くなくて」
「喧嘩でもしているの? って、あぁ、もし言いたくないような事なら無理にとは言わないけれど」
日常会話の延長線上で、少し私情に踏み込みすぎた。
そういう反省の気配を感じるが、シルビア様がそんな事を思う必要はない。
「そういう訳ではないのですが、お話を聞いてもおそらくあまり気持ちのいいお話ではないと思うので」
せっかく好意で話を振ってくれている人に、「話を振らなければよかった」なんて思ってほしくない。
そんな躊躇が言わせた言葉に、ユー先輩が不服を示す。
「その断り方はよくないよ、レミリス」
「ちょっと、ユー」
「だって、シルビアはレミリスがどう思っているのかを聞いているのに、それに『貴女が嫌な思いをするから』だなんて。言いたくないなら言いたくないって言えばいいじゃん。なのに、さもシルビアを慮っているような言い方で拒否するのは、少し卑怯に聞こえるよ」
怒っている訳ではない。
窘めてくれている。
そういう気配を、ユーお姉様から感じる。