第9話 『姉』への不満
「関係はありますよ。だってユーの特待推薦人は、我がジェイキンス公爵家なのですから」
ふわりと微笑んだ彼女は、ユーさんに目を向けてクスリと笑う。
「またですか、ユー」
「言っておくけど、私は絡まれただけだからね。外の席が嫌だから、平民の私は外に移れって言われたの」
「信じましょう。貴女が下手な言い訳をするとは思っていませんから。しかし、せっかくの昼食時間なのに、周りに居心地のよくない空気を振りまくのは、感心しませんね」
「うん、それはごめん」
「いいでしょう。――ベイザス卿」
ジェイキンス公爵令嬢は、今度はベイザス卿に視線を移し、ニコリと笑った。
「今回は私の顔に免じて、引き下がってはくださいませんか? お席は幸いにも他に空いたようですし」
「……一体ジェイキンス嬢の顔は、幾つあるのか」
最後に嫌味を漏らしながらも、ベイザス卿はフイッと顔を逸らす。
彼はそのまま別の空席を見つけ、後ろにいた一年生に小さな声で「行くぞ」と言った。
ホッとしたような顔になっていた一年生は、その声で置いていかれないように慌てて彼についていく。
周りの空気がホッと緩んだのが分かった。
雑談声が戻ってくる。
私も少し肩の力が抜ける。
「それにしてもユー、今日も変わらず元気そうで何よりです。今日はお一人で昼食ですか?」
「何言ってんの、今日は『妹』と一緒だよ」
「『妹』……?」
不思議そうな声色と共に、ジェイキンス公爵令嬢の目が初めて私の姿を捉えた。
元々丸かった瞳が、目がゆっくりと見開かれて更に丸くなる。
そんな表情でさえ上品で、「公爵令嬢というのはこんな顔でさえ、完璧なのだな」なんて思う。
おそらく先程の驚きは、ユーさんに連れがいた事に驚いたのだろう。
しかしすぐに緩んだ瞳から覗くのは、何故か僅かな親しさだった。
「貴女、今日の朝ユーにぶつかりそうになった子ですね」
「え?」
言われて数秒、「あっ」と気が付く。
どこかで見た事があると思ったら、朝、ある二年生の女生徒――さっきそれがユーさんだったのだと気が付いたけど――にぶつかりそうになった時に、彼女を呼んだ令嬢だ。
「ところでユー、貴女、『妹』は割り当てられなかったって言っていなかった?」
「そうなんだけど、気が付いたら『姉』になってた」
「何です? それ」
クスクスと笑った彼女は、それから私に改めて目を向ける。
「こんにちは。ユーの『妹』という事は、私にも関係のある方になったという事ですから、ぜひ挨拶をさせてください。私、ユーのお友だちで二年生のシルビア・ジェイキンスと申します」
「あっ、はい。レミリス・センディアーデと申します」
綺麗なカーテシーで成された自己紹介に、私も慌てて席を立ちカーテシーを返す。
「センディアーデ、というと、東の辺境伯の」
呟くようにそう言うと、彼女は少し考えるそぶりをしてから一つ問いを投げかけてきた。
「貴女は『姉』が新月クラスの平民で、不満に思いはしていませんか? もしそうでしたら私が先生に話をして、変えてもらう事もできますが」
「え?」
思わずそんな声が出るくらいには、想像していなかった問いだった。
たしかに私は辺境伯令嬢、すなわち貴族という身分であり、ユーさんはどうやら平民らしい。
それは先程のやり取りを聞いていて分かった。
普通、貴族は自分の『姉』――学園における様々な事を教えてくれる人が平民だという事に、プライドが傷つけられるのかもしれない。
先程のベイザス卿のような人にとっては、屈辱にすらなるのかも。
その証拠に、アンネルの手記に「過去の教訓から、どうやら『兄』や『姉』は、トラブルを避けるために新月や満月などのクラスと家の身分に、ある程度釣り合う人間を宛がうという暗黙の了解が教師陣にはあるらしい」と書かれていた。
それはつまり、過去にそういうトラブルがあったという事だ。
そして先程のやり取りと彼女の今の言葉を聞くに、そういう思考はこの学園内に、それなりの濃度で健在なのだろう。
しかし「じゃあ私にとってはどうなのか」と尋ねられれば。
「クラスも身分も、あまり関係ないというか……」
「クラス分けで学べる事自体は変わらないけど、学習環境というのは大切なのよ。切磋琢磨する周りのレベルがどうしても『満月』より落ちるから、伸びしろが少なかったりね」
その話は、アンネルの手記に書かれていたから知っている。
学園で、どれほど魔法を学ぶ事ができるか。
それは『兄弟・姉妹制度』で割り当てられる兄姉の質と、クラス分けに依存するらしい。
手記にはそう書かれていた。
待遇は変わらないのに、何故……と思う人もいるのだろうが、理由は簡単。
魔力の総量や操作力は、当人の自我と自覚の強さによって増えも減りもするからだ。
自分は強い。
自分にはできる。
そんな自我と自覚が、使う魔法に影響する。
だから貴族の中でも上級貴族は特に強い魔法が使える傾向があるし、自我、あるいは自尊心を上げやすくするために、上級貴族は比較的、『満月』クラスに所属するための審査も甘めに設定するという忖度が存在する――というのは、手記ではなく一つ年上の従兄から聞いた話なのだけど。
「それでもお前は『新月』だろうがな!」
本家筋の私を目の敵にしている分家の従兄は、私にそう言って鼻で嗤った。
結局その言葉の通りになったから、学園内で鉢合わせれば、また何か言われるかもしれない。
それはさておき、そういう状況だから、そもそも『満月』クラスに入る事それ自体が、魔法エリートの登竜門だという話がある。
手記の中でアンネルは「そんな話クソくらえ」と述べていたし、実際に彼は『新月』クラスに割り当てられたにも関わらず、国の中枢に位置する魔法師として大成もした。
そうなれた最大の理由は、「彼に割り当てられた『兄』が優秀な人だったから」だと言われている。
手記にて本人はその人の事をかなりボロクソに書いていたけど、他の書籍――歴史書の類には、そのように書かれているのである。
だから、ジェイキンス公爵令嬢が「『新月』クラスの平民が『姉』で不満はないのか」と言ってくる事にも、一応納得感はある。
しかし。
「クラスに関しては、そもそも私も『新月』なので」
「そうなの? 珍しい」
「それに」
言いながら、ユーさんの方を見る。