第8話 妹の噂
奏とキャッチボールをしてから数時間後、俺は夏休み中の校庭にいた。もちろんサッカー部の練習に参加するためで、暑さにも負けずに仲間たちとボールを蹴り合っている。
「よし、休憩ー!」
「はい!」
「ういっす!」
俺が大声を張り上げると、皆がグラウンドから引き上げてくる。各々が水分補給やストレッチを行っている中、俺は後輩たちのもとに歩み寄っていった。
「お前ら、ちょっといいかー?」
「何すかキャプテン?」
「いやあ、大したことじゃないんだけど」
「練習なら真面目にやってますよー?」
「そうじゃねえよ! 聞きたいことがあるんだ」
俺の目的は、後輩たちから奏について聞くことだった。同級生なら何か有用な情報を知っているかもしれない。奏についてよく知るのも、兄として認められるのには必要なことだろうからな。
「一年生の佐倉奏……って知らない?」
「ああ、ソフト部の女子じゃないすか?」
「そう、その人」
「俺、同じクラスっすけど。どうかしたんすか?」
後輩のうちの一人が答えてくれた。それにしても、どうかしたのかと聞かれると少し困るな。学校関係の知り合いにはまだ再婚のことを伝えていなかったんだった。でもいずれは知られることだし、別にいいか。
「いやあ、実は親同士が再婚してさ。一応、義理の妹になって……」
「「マジっすかー!?」」
後輩たちが一斉に声を上げ、驚いていた。そのリアクションにこちらまで驚いてしまう。なんだなんだ、そんなにビックリするようなことか?
「佐倉と一緒に住んでるってことすか!?」
「まあ、昨日からな」
「すげえー! アイツめっちゃ美人じゃないすか?」
「そこかよ」
ムスっとした顔とほんの少しの笑顔しか見ていないから、あまり気にしてなかった。でも言われてみれば鼻筋も通っているし、整った顔立ちをしている。だからコイツらがこんなに羨んでいるわけか。などと思っていると、後輩たちはさらに会話を続けていた。
「でもさ、佐倉ってあんま男子と話してなくね?」
「いっつも女子と一緒だよなー。俺、一回も話したことないかも」
「へえ……そうなのか」
「彼氏がいるって話は聞かねえよなあ。キャプテン、狙わないんすか?」
「バカ、妹を狙う奴がどこにいる」
しかし、男子と関わらないというのは役に立ちそうな情報だな。単に女子と仲が良いだけかもしれないが、ひょっとすると――「兄」のことが関係しているのかもな。
ふと、グラウンドの遠くの方を眺めてみた。向こうではソフトボール部が元気よく練習を行っている。きっと奏も熱心に汗を流しているのだろう。結局、今朝も半ば喧嘩別れのような恰好になってしまったからな。なかなか前途多難な――
「一年、いつまで休んでるんだ!!」
考え事をしていると、俺たちを叱りつける大声が聞こえてきた。その主はサッカー部の顧問である菊池先生。後輩たちはアワアワと慌てふためき、急いでグラウンドの方に走り出していった。
「おいキャプテン、お前が甘やかしてどうする!」
「すいません!」
「全く……」
先生は厳しい表情を見せながら、俺の方に歩み寄ってきた。まだ教師になって二年目くらいのはずなのに、俺たちのことを厳しく指導してくれている。もっとも、怒るとき以外は基本的に優しく接してくれるので、とても良い先生だと思う。
「お前も早く戻って、一年に指示を出さないと駄目じゃないか」
「……」
「どうした?」
「いえ、ちょっと考え事を」
「なんだ、珍しいな」
俺のすぐ横にしゃがみこむ先生。新キャプテンに指名されてから、いろいろと先生と話す機会も多くなった。後輩に関する悩みや、次の大会に向けた練習案など、様々なことを相談しているのだ。
「困りごとがあるなら聞くぞ?」
「いえ、大したことじゃないんですけど……」
「いいからいいから、言ってみろ」
先生は靴紐を結び直しながら、気さくな声で応じてくれた。……たしかに、この人なら俺の悩みにも対処できるかもしれない。
「あの……年下の女の子って、どう扱えばいいんですかね」
「はっ?」
俺の言葉があまりに予想外だったのか、先生は手を止めてこちらの顔を見上げた。しかし俺はいたって真剣なので、さらに話を続ける。
「年下の女子の気を引くのって、どうしたらいいんでしょうか」
「なんだよ、恋の悩みか? あはは、お前にしたら意外だな」
先生は声を上げて笑った。別に恋の悩みじゃなくて、妹の悩みなんだけどなあ。でも今まで他人だった女子の気を引こうとしているんだから、ある意味では恋の悩みと言える部分があるかもしれない。
「聞きましたよ? 高校の頃、先生はめちゃくちゃモテてたらしいじゃないですか。どうやったら女の子の気を引けるのかなって」
「別に……そんなんじゃない。あまりいい思い出ばかりでもないよ」
「でもアドバイスくらい欲しいですって。なんかないですか?」
「アドバイスねえ……」
すっと立ち上がり、先生は遠くの方を眺めていた。そしてしばらく黙り込んだ後、自らに言い聞かせるように話し始めた。
「女の子からすれば、自分のために頑張る男ってのは尊いものだと思うよ」
そう言い残して、先生はゆっくりとグラウンドの方に歩き出す。奏のために頑張る、か。シンプルだけどもっともかもしれないな。
奏にとって俺は兄だが、本人にそう認めてもらったわけじゃない。まだまだ努力を続けなければならないのだろう。
一方で、俺にとって奏は久しぶりに出来た新しい家族。それを「守る」ことにはどんな労力も惜しむつもりはない。……かつて自分が守ってもらったように、俺もそうしなければならない気がするのだ。




