第4話 家族の食卓
夜になり、夕食の時間となった。母屋の広い和室に通されると、卓の上には出前で取ったらしい豪勢な寿司が鎮座していた。
「うわ~! こんな豪華な寿司、いいんですか?」
「ははは、引っ越し祝いだよ。気にしないでくれ」
浴衣姿の父親は既に斜め前の座椅子に腰かけており、瓶ビールを片手に笑っていた。その向かいに母さんが座っており、父親からお酌されている。一方で、俺の向かいには相変わらずムスっとした表情の奏がいた。
「陽翔、奏さんに小皿渡して」
「はいはい」
「あっ、いいんですのよ由紀子さま! 私たちがやりますから!」
母さんから手渡された皿に醤油を入れようとすると、安藤さんに止められた。そうだ、お手伝いさんがいたんだったな。すっかり忘れていた。
「二人とも、まだ慣れないかな?」
「ええ、つい自分で……」
「ははは、いい心がけだね。だけど、安藤さんたちの仕事を奪ってはいけないよ」
父親に言われるがまま、俺たちはただ安藤さんたちに食事の準備をしてもらっていた。どうにも不思議な気持ちだ。今までは家事を全て自分でこなしていたから、落ち着いていられないというか。
正面を見ると、奏は何も言わずに俯いている。父親は「反抗期」などと言っていたが、やはりそもそもの親子仲が良くないのだろう。
「じゅ、ジュース飲むか?」
「……うん」
瓶のジュースを指さして提案すると、奏は静かに答えた。「兄」についての話をしていないときは大人しいんだよな。少しぶっきらぼうにも思えるけど、単に人見知りなだけかもしれないし。俺は奏の差し出したコップに、オレンジジュースを注いだのだった。
***
「じゃあ、これからの生活に乾杯!」
「「乾杯!」」
「……かんぱい」
俺たち四人は、父親の音頭でグラスを重ねた。これから新しい生活が始まる。今までずっと母さんとだけ暮らしていたが、二人も家族が増えるんだ。
「さあ二人とも、遠慮せずに食べて」
「あ、ありがとうございます!」
「奏も、なんでも好きなのを食べなさい」
「……うん」
父親に言われ、渋々といった感じで箸を動かす奏。しかし――その箸先はしっかりと大トロの握りを捕らえていた。意外と欲張りだな。なんだこの妹。俺も負けじとウニの軍艦を取り、口に運ぶ。――うまっ!
「お、美味しいです!」
「そうか、良かった良かった」
「陽翔、口にもの含んだままお喋りしない!」
「あはは、由紀子さんは厳しいんだね」
俺は感動し、母さんは怒り、父親は笑っている。久しぶりに家族団らんというものを味わっている気がするな。いや、違うか。その輪に入り切れていないものが一人いる。……奏だ。
「……」
奏は何も言わず、黙々と寿司を食べ続けている。やはり運動部だからか食う量は多いようだ。でも大トロばっかり食べないでほしい。あとイクラも持って行かないでくれ!
「か、奏さん?」
「何よ」
「光物とか、いらない?」
「……いらない」
「そっか~~」
美味しいんだけどなあ。奏が大物のネタばかり食べているので、仕方なくそれ以外を食べ進める。ちらりと横を見ると、母さんたちはすっかり会話が盛り上がっているようだ。
やっぱり、母さんにとってこの再婚は成功だったと思う。別にお金持ちと結婚出来たことが良かったのではなく、昔からの同僚と一緒になれたのが喜ばしいのだ。今までずっと一人で俺を育てて、いろいろと苦労もあったのだろう。なんだか重圧から解放されたような表情をしている。
「どうしたの? じっと見て」
「いや、なんでもないよ」
母さんの方を見ていたら、不思議に思われてしまったようだ。俺は再び前を向く。気がつけば目の前の寿司桶から大トロがなくなっていた。そしてイクラもない。……まだ一貫も食べてなかったのに!
「奏さんって、欲張りだね……」
「は?」
愚痴をこぼしてみた。母さんたちとは対照的に、俺たちの間には沈黙が横たわっている。兄と妹。年が近いうえ、同じ高校に通っている人間同士なのに、ちっとも会話が盛り上がらない。見かねたのか、横から父親が話しかけてきた。
「二人とも……お互いのことは知れたかな?」
「えっ?」
「二人は兄妹になるんだ。仲良くしないと――」
などと父親が口に出した瞬間――奏が急に立ち上がり、大きな声を出した。
「こんなのお兄ちゃんじゃない!」
「か、奏!」
「お父さんが勝手に離婚したくせに! バカ! ごちそうさま!」
奏は吐き捨てるようにして、その場を去っていった。ちゃんと「ごちそうさま」を言うあたり、育ちの良さが隠しきれてないな。……って、そうじゃない。いい加減、父親にこのことを尋ねないと。
「あのー……」
「すまないね、陽翔くん。普段はここまでじゃないんだが……」
父親もぽりぽりと頭をかいていた。やっぱり、俺が来たことによって気が立っているのかもしれないな。
「陽翔くん、奏をどう思う?」
「どう……とは?」
「少しくらいは話しただろう? ……仲良く出来そうかね?」
自分のグラスにビールを注ぎながら、父親が問うてきた。どうやら俺たちのことが気になるらしいな。仲良く出来そうか、と問われると難しいな。
「正直、自信はありません。さっき話しましたが、全否定でした」
「そうか。不快な思いをさせて申し訳ない」
「いえいえ! 礼儀正しいですし、そんなには」
「そうか。いやね、君たちには早く仲を深めてほしいんだよ……」
ビールの注がれたグラスを傾け、一気に飲み干す父親。早く仲を深めてほしい……って、部屋を隣同士にしたのもそれが理由なのか?
「僕を離れに住まわせたのも、そういう理由ですか?」
「そうだ。母屋に住んだら私たちが邪魔だろう?」
「邪魔って……でも、二人きりでいいんですか?」
「なあに、心配はしていない。由紀子さんの息子さんだからね」
随分と信用されているようだが、そこまでして俺と奏を仲良くさせたいのはどうしてなんだろう。実の兄がそんなに良い人だったなら、俺にこだわる必要などないだろうに。
「あの……一つお聞きしていいですか?」
「なんだね?」
「お兄さん……っていうのは、どんな方だったんですか?」
「……」
父親はグラス片手に黙り込んでしまう。まるで言いにくいことを言おうとしているかのような表情で、こちらも思わず息を吞んでしまう。なんだ、何があるってんだ。
「……奏は、あの子にものすごく優しくしてもらっていてね。懐いていたんだ」
「へえ、そうだったんですか」
「よく一緒に遊んでいたからね。良き兄だったよ」
「……だったら、どうしてここまで僕を奏さんと親しくさせようとするんですか」
生き別れて今はもう会えない、という事情は分かる。だがそれにしたって強引だろう。父親は再び黙り込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「端的に言えば、陽翔くんにはあの子の代わりになってほしいんだ」
「なぜです?」
「さっきも言っただろう? 良き兄『だった』んだ」
「それって……」
だった、という過去形から察するに、今はそうではないということだろう。悪い予感がする。奏にとって良くないような、そんな予感が――心をよぎった。だがその正体を知らせぬまま、父親は俺に向かって頭を下げた。
「頼む、陽翔くん。奏から、実の兄を忘れさせてくれないか」




