第2話 もう一人のお兄ちゃん
「陽翔くん、申し訳ない。奏があんな真似を」
「いえ、大丈夫ですよ。自分が軽率なことを言っただけですから」
「いや、そうじゃないんだ。……まあ、いずれ話そう」
両親と三人で門をくぐり、一番大きい建物(おそらく母屋)に向かって歩いていく。それにしても立派なお屋敷だなあ。今まで住んでいたアパートの何倍の敷地面積なんだろう。庭もすごいし、おまけに池まである。
「安藤さん、二人が来ましたよ」
「あらあ、これはこれは……」
父親が玄関を開けると、割烹着に身を包んだ六十代くらいの女性が迎えてくれた。どうやらこの人がお手伝いさんらしい。他にも何人かいるらしいが、基本的にはこの安藤さんが家事をこなしているそうだ。
「安藤さん、今日からお世話になります」
「お久しぶりでございます。元気でいらしてましたか?」
「はい、おかげさまで。息子も大きくなりまして」
「初めまして、佐倉陽翔と申します。よろしくお願いします」
俺は安藤さんにペコリと頭を下げた。母さんは昔からこの佐倉家に足を運ぶ機会があったらしく、この人とは顔なじみらしい。その時、父親が安藤さんに向かって口を開いた。
「そうだ、お二人の荷物はもう届いていますか?」
「ええ、届いておりますとも。お二人の部屋に置いております」
「それは結構。私は由紀子さんを案内するから、安藤さんは陽翔くんを部屋に連れていってください」
「かしこまりました」
父親は母さんを連れて廊下の方を進んでいった。今までのアパートはワンルームだったから、自分の部屋なんてなかった。今までずっと母さんと一緒だったけど、これからは自室で思い切り羽を伸ばせるというわけか。
「では、ご案内いたします」
「はい」
安藤さんに連れられ、母さんたちとは別の方向に進んでいく。いくつもの部屋があって、まるで迷路のようだ。自分の家なのに迷子になってしまいそうだな。
ふと、さっきのことが頭によぎる。奏の態度は何だったのだろう。たしかに会って早々に「お兄ちゃんって呼んでくれていいんだよ」はムカつくかもしれん。が、胸ぐらをつかむのはどう考えたってやりすぎだろう。
「安藤さん、ひとつお聞きしてもいいですか?」
「はい、なんでございましょう?」
「奏……さんって、どんな人ですか?」
「はて、お嬢様でございますか?」
安藤さんは立ち止り、首をかしげていた。なぜそんなことを聞いたのか、そう言わんばかりの表情である。
「いえ、その……一応妹になるわけですし。どんな人間なのか気になって」
「さようでございますか。お嬢様は素直で優しい方ですよ」
「ほ、本当ですか?」
「ええ。あまりご主人様とは仲が宜しくないようですが」
さも当たり前のようにそう答えた安藤さんは、再び歩を進め始めた。素直で優しい……とは、さっきの態度からは想像もつかないな。
いくら義理の兄妹とはいえ、今まで他人だったんだ。いきなり同居しろと言われても警戒するのは当然かもしれない。ましてや思春期。急に異性と一緒に住めと言われれば、嫌がるのも仕方ないだろう。
よく考えれば、この状況に抵抗がない俺の方が変なのかもしれないな。今までずっと家族というものに飢えてきたから、あまり気が付かなかったけど。時間はかかるだろうが、ゆっくり打ち解けていくしかないな。……ところで、いつまで歩くんだ?
「あの、安藤さん?」
「なんでございましょう?」
「いつになったら部屋に着くんですか?」
「ああ、陽翔さんのお部屋は離れにございますから。もう少し歩いていただきます」
「は、離れ?」
気づけば、俺たちは渡り廊下に差し掛かっていた。ちょっと待て、どこまで移動させられるんだ? っていうか離れって何!? 隔離されるの!?
「ちょっ、なんで離れなんですか!?」
「ご主人様がそう言われましたので。お風呂とお手洗いは離れにもございますから、ご安心を」
「それはありがたいですけど! そうじゃなくて!」
俺が慌てている間に、離れとやらに到着してしまった。廊下に面した部屋が二つあり、その奥にトイレや風呂に繋がるものだと思しき扉がある。
「陽翔さまのお部屋は奥にございます。荷物は既に届いておりますから」
「は、はあ……」
とは言われてもなあ。こんなところに連れて来られてしまうとは、参ったな。
「あ、安藤さんだー!」
その時、後ろから明るい声がした。振り向いてみると、そこにいたのはジャージ姿の奏。なんだ、さっきと随分テンションが違うな。
「どうしたの安藤さん、またお菓子でも買ってきてくれたのっ?」
「しーっ、それは私とお嬢様の秘密でございます!」
「えー、いいじゃん――って、アンタもいたの?」
しかし俺の存在に気が付いたようで、奏は再びムスっとした態度に戻った。なるほど、安藤さんにはこういう感じなのか。それで「素直で優しい」というわけだな。
「ねえ安藤さん、なんでコイツがここにいるの?」
「いえ、今日から陽翔さまもこちらの離れに住むことになりまして」
「はあっ!? なんで!?」
陽翔さま「も」ってことは、奏も離れに住んでいるのか? そうか、手前の部屋が奏の部屋というわけか。……いきなり隣同士で住まわせるなんて、父親は何を考えているんだ?
「ご主人様がそう仰いましたので。私は何も……」
「お父さんが!? アイツなんなの!?」
奏にとってはたった一人の親だろうに、アイツ呼ばわりとはな。よほど仲が悪いんだろうな。……っと、ちゃんと挨拶しないと。
「改めまして、よろしくね」
「なんでアンタとよろしくしないといけないのよ!?」
「だって、その……い、一応兄妹じゃないか」
「だからアンタはお兄ちゃんじゃないって! 絶対に認めないから!」
声を荒げて否定する奏。そこまで嫌なのか? ……理由が分からん!
「な、なあ。何がそんなに嫌なんだ?」
「嫌に決まってるでしょ! アンタが義理の兄ってだけで嫌なの!」
「まだ会ったばかりじゃんか!」
「嫌なのは嫌なの! 何回も言わせないで!」
「嫌なのはいいけど理由くらい教えてくれよ!」
ついこちらもヒートアップしてしまう。もちろん、この年頃の女子が急に異性と同棲することになれば嫌に決まっている。しかし理由もなしに嫌われるというのは納得がいかない。そう思っていると、奏は大きく息を吸い込んで――はっきりと叫んだ。
「私には! アンタなんかよりずーっと素敵なお兄ちゃんがいるの!! ……小さい頃にお父さんが離婚して、会えなくなったの」




