私の夫はATM
「私の夫はATMよ」
こんなことを言っている既婚女性を見たら、皆さんはどう思うだろうか。
大抵の人は顔をしかめ、中には「男を舐めるな」と怒る人もいるかもしれない。
内心同意する人もいるかもしれないが、それでも口に出してしまうのはどうか、と思うはずだ。
しかし、堂々とこんな発言をして許される女性もいる。
なぜなら――
社会人の明子が自宅マンションに帰宅する。
明子は中堅デザイン会社で働くデザイナー。黒髪のショートボブで、凛々しくも可愛らしい顔立ち、薄いグレーのスーツが似合う。デザイナーになるのが子供の頃からの夢で、それを叶えた彼女の顔には自信がみなぎっている。
玄関を上がり、廊下を通り、リビングに入る。
そこには夫がいた。
「ただいま」
「お帰り、明子」
そこには人ではなく、動物でもなく、ATMが鎮座していた。
銀行や郵便局、大きめのスーパーなどに置いてあるアレである。
「今日は遅かったね」
「まあねー、クライアントと揉めちゃって」
「お金がいるなら出すけど?」とATMが紙幣を何枚も出す。
「ううん、大丈夫」明子は断る。
このATMは明子の私物などではない。
婚姻届まで出して、しっかり受理されている配偶者。
――彼女の夫は正真正銘の“ATM”なのである。
***
二人は出会ったのはとある駅前にあるATMコーナー。
明子が少し現金を下ろそうと、ATMを操作する。
すると、突然ATMからダンディなボイスが繰り出された。
「いい指だ」
「え」
「操作の仕方もいい。これほどまでにソフトタッチなATM操作をできる女性はなかなかいない。皆、ATMを操作する時はつい焦ったり、強張ったりするものだから。心身が充実している証拠だ」
「は、はぁ……」
明子は困惑する。
すると――
「結婚しよう」
あまりにも突然のATMからのプロポーズ。
明子は驚いたが、咄嗟にこう答える。
「……はい、喜んで」
これが二人の馴れ初めとゴールインの顛末であった。
***
明子が夫を操作して、自分の口座から現金を下ろす。
夫はむろん、“普通のATM”として使用することもできる。
そして当然、夫は会社から明子の口座に振り込まれる給料額も知っている。
「明子、また給料が上がったな」
「まあね~、この間大きな仕事を成功させたから、査定がよかったのかも」
夫婦の生活費は基本的に明子の給料からまかなっている。
これでは夫は本当にただのATMで、家計の役に立っていないのかというと、そうではない。
実は夫は日本全国のATMの“ボス”のような存在であり、彼自身にも口座があり、そこには毎月銀行などから莫大な金が振り込まれる。
“手下”であるATMたちの使用料というわけだ。
なので、夫は時折こう告げる。
「たまには俺の金にも手を付けたらどうだ?」
「ん~、私にもデザイナーとしての矜持があるし、本当にいざって時だけにするわ」
「しかし、そうなると俺の預金はたまる一方だな」
「だったら一億円ぐらい引き出してもいい?」
「いや、あまりに高額を一気に引き出されると“脱金症状”になってしまう。せめて1000万ぐらいにして欲しい」
夫のATMならではの体の作りに、明子はふふっと笑みを浮かべた。
夫は食事もする。
紙幣を出し入れする箇所に明子が一万円札を入れる。
すると、夫は喜びの声を上げる。
「ん~、明子の入れてくれる紙幣は最高だな」
食事といっても紙幣を消化するわけではないので、実質貯金や預金をしているようなものである。
***
こんなこともあった。
ある日、明子は落ち込んで帰ってきた。
「ただいまー……」
「どうした明子?」
夫が優しく尋ねる。
「今度の仕事、私のデザイン案が採用されなかったの。自信作だったから、それだけに悔しくてね」
「……」
デザイナーは実力の世界。そして、時には実力があっても望む成果を得られないこともある。
それは十分分かっているのだが、それでもダメージは大きい。
「明子……」
「なに?」
「俺は現金は出せるが、人を元気づけることはできない。俺にできることといえば、これぐらいのものだ」
夫は紙幣を出し入れする口から、『元気』と書かれた紙を出した。
明子はそれを手に取ると、フッと笑った。
「ありがとう、元気が出たわ。明日からまた頑張れる」
「本当か?」
「ええ、本当」
夫なりの励ましは、明子の胸に響いた。
ATMは現金だけでなく、元気を出すことだってできる。
***
こう思う方もいるかもしれない。
ATMのボスで、大量の現金が入っているのなら、悪人に狙われたら危ないのではないかと。
しかし、心配無用である。
一度、明子たち夫婦の部屋に、刃物を持った強盗が押し入ってきたことがあった。
「金を出せ! ……って、なんでこの部屋、ATMがあるんだよ!?」
明子は余裕で応対する。
「別にいいでしょう。ATMと暮らしてたって」
「まぁいいや、ATMがあるならそこからありったけの金を出せ! 出さねえと、ナイフで刺しちまうぞ!」
すると、夫が動く。
「別に金ぐらい出してもいいが、妻を刺そうとするなら話は別だ」
強盗はぎょっとする。
「なんだ、このATM!?」
「放電」
夫は自分の体から電撃を発射し、強盗に浴びせかける。
「ギャッ!!!」
強盗は痺れて動けなくなった。
「さすがATMのボスだけあって、防犯対策もバッチリね」
「たとえ強盗団が押し寄せようと、俺からは1円も奪えんさ」
夫は非常に頑丈で、攻撃も多彩であり、仮に治安の悪いスラム街に放置されたとしても、彼は無傷でATMであり続けるだろう。
***
そんな夫だが、時には明子に甘える時もある。
「明子……」
夫が妻の名を呼びつつ、キュインキュインと通帳記帳の時の音を発する。
これは彼の求愛行動なのである。
すでにパジャマに着替えている明子は頬を赤らめる。
「明日、朝一番で会議があるから、朝早いんだけど……」
夫は申し訳なさそうな声を出す。
「……すまない。聞かなかったことにしてくれ」
「ダメだなんて言ってないでしょ」
明子は夫に全身で飛びつく。
「明子っ……!」
「あなた……!」
ATMとて、しっかりやることはやる。
夜は更けていく。
やがて、明子は自身の体に一つの生命を宿した。
***
明子は夫との子供を出産した。
元気な男の子だった。
れっきとした人間とATMのハーフなのだが、人間といってよかった。
ただし表情はどこか凛々しく、明子が抱く“夫が人間だったらきっとこんな顔だろうな”という顔立ちの面影がある気がした。
夫が病院から戻ってきた妻を褒め称える。
「明子、よく頑張ったね」
「うん。ほらこの子が私たちの子よ」
我が子を見て、夫も喜びの声と機械音を上げる。
「あなたにそっくりでしょ」
「そっくりって、俺はATMだぞ?」
「いいの。とにかくそっくりなの」
「そうだな、俺にそっくりだ」
夫婦は笑い合う。
「それで、名前はどうするつもりだ?」
「そうね。私みたいに将来に向けて熱い夢を見て欲しいから、“熱夢”なんかいいかな、って思ったんだけど」
「いい名前じゃないか。熱夢、気に入ったよ」
「ホント? じゃあ熱夢にしよっか。これからよろしくね、熱夢!」
熱夢は楽しそうにキャッキャッと笑った。
彼もまた、きっと父親に負けないほどのATMに成長していくことだろう。
完
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