694.何を思っているんだろう?
〈お前達の仲間は、どうやら手強い。思った通り〉
三角帽子と旅装を身に着けた鳩が、かつての恐竜のような鉤爪を持つ指で、地面をカチカチと鳴らして歩く。
〈今、“夜叉”が負けた。そのコアは“提婆”に有効利用されるが、言葉を交わすことは二度と出来ないだろうな〉
空では鳩が編隊飛行。
地には魔法陣形で整列。
時折、ボトリと鳩の死骸が降ってくる。
投石や散弾でズタズタにされたそれらは、赤黒い染みに変わることによって、それ以外の全ての鳩を強化する。
“鳳凰”のダンジョン、“絶滅朱”。
「気付いた時には手遅れに」。
減れば減るほど、強くなる。
内部で飛ぶ億単位の鳩は、時間経過と共に次々と死んでいき、“鳳凰”の各種能力を向上させる。
そして更に、そいつは遠くの仲間達とも繋がっていた。
彼らが負けて、その意識が途絶える度に、大幅に強化されてきた。
元々そいつは、斥候タイプの駒だ。“環境保全”の中では、特別武闘派というわけでもない。
だが今の“鳳凰”は、ill4体分の“無念”が乗っている。
その分だけ、強くなっている。
〈奴らは既に、実質上死んでいる。しかし、それらはかつて生きていて、たった今命を落としたのだと、その事実は無駄ではない〉
黒と朱色のマフラーがはためき、風が持ち上げ曲がりくねるその上に、複数匹の鳩がとまった。それが固定された枝であるかように。
〈お前達は、私の仲間を殺した。その報いを、これから受けて貰うぞ〉
歩みが止まる。
その2mほど前方で、二人の人間がやっと立ち上がる。
「うっせーなー……!どーも説教くせーヤツばっか、相手にしてる気がするぜー……?」
チャンピオン5位の吾妻漆と、
「被害者みてえな、ツラァしてるところ悪いが……!こっちのダチを殺そうとした、そっちが火付け役だろうがよ……!」
ランク8の乗研竜二。
“鳳凰”が揺れる柳のように泰然としている一方で、二人は全身傷だらけな上に、肩を上下させている。
最初は、人間側が互角以上に戦いを運んでいた。
“鳳凰”が出来るのは、その能力を活かしたヒット&アウェイ戦法だけだった。
正面で戦い続けると押し切られる、そう感じたそいつが彼らの足止めに徹し、ダンジョン内に突入させないように立ち回る。乗研と吾妻はそれを迎え撃ってから、逃がさないよう連携して攻める。
そんなやり取りを、十数回ほど演じていた。
そのままであれば人類有利な状態で、進と“提婆”の決着がつくまで、引き延ばすことも出来たかもしれない。
だが皮肉にも、人間が速やかにillを打倒していったことで、二人が追い詰められていくこととなった。
ダンジョン内で3体目がやられたくらいのタイミングで、“鳳凰”の踏み込みが見えなくなった。
羽根がライフル弾のように高速になり、短機関銃のように高頻度で連発された。
一発でも刺さったら、内部から爆発。
掠っただけでも、付着した魔力が掘り進み、更に傷を深くする。
そして、攻撃を受けてしまった瞬間、マーキングが定着する。
何を間に置いても、“鳳凰”はそれらを無視して、必ず目的地に辿り着く。
行き先を決めたそいつは、その対象以外の一切に干渉されない。
たとえその者が行使する魔法であっても、である。
二人が持つ守りが無意味化され、イリーガルと肉弾で直接殴り合うことを強いられた。
救世教会の最新アーマーや、丹本の最先端潜行用スーツで身を守っていて、並の弾丸なら余裕で対処できるほどの肉体強化を施して、
それでも、押される。
鳩の筋力と獰猛さを持ち、仲間達の死を背負ったそいつに、二人で力を合わせても超えられない。
届かない。
そして今、ダメ押しで4体目の強化が入った。
3点差で突入した後半アディショナルタイム中に、4点目。
この時点で、勝つのがどちらか、明らかになったようなものだ。
〈懺悔の時間を希望するなら、くれてやる〉
「おととい来やがれ」
「……何を謝ればいいのか分かんねえで、適当な謝罪はできねえ主義だ」
〈そうか。ならば死ね〉
右脚が消失。
乗研の左腕、地竜のそれに変身していた部位が、魔力での重点的な強化を受けながら、切断される。
黄金板と楕円ゲートが軌道を大雑把に塞いでいたが、キックはそれをすり抜けている。
黄金が幻影を見せていても、マーキングが正しい位置情報へと導いてくれるので、攻撃は狙いを外さない。
だが乗研が攻撃を受けたということは、今の「目的地」が彼なのだ。
なら乗研の格闘攻撃であればすり抜けない。
当てられる。
左で受けた衝撃を乗せた右の一発。
相手が強力なら、その強力さを利用したカウンターを放てばいい。
死ななければ、それで勝てる。
だが左腕を斬り飛ばしてから右腕に殴られるその僅かな間、主観時間が泥の中のようにゆったりと流れる“鳳凰”は、目的地を切り替えた。
羽ばたきながら軸足を捻り、右脚を横に薙ぐような2撃目。
念の為にキックを放っていた吾妻の左足首から先が、ブーツごと捻じり曲げられる。
足は1秒に30回転。
ブチり、千切れ飛ぶ。
旅装の鳩は流れるように左脚を曲げて、片足でジャンプ。
背後の楕円ゲートから出ていたナックルダスターをやはり右足で迎撃。
吾妻が吹き飛ばされた勢いで繰り出していたパンチだったが、“鳳凰”の反応に間に合っていない。
そのままハチドリの如き羽ばたきを見せて滞空し、空中で自由になった左右の足で連続攻撃。
打撃でもあり斬撃でもあり刺突でもある猛禽キック。
時に同じ足を連打し、時に交互に繰り出し、時にくるくる回り、目的地を何度も切り換える多彩な攻勢。
魔力を纏ったマフラーさえもが、高熱の刃となって胴や首を狙い、合間で羽根飛ばしを連発することで、地面や彼らの防具に深い穴を開ける。
飛び道具と言えば楕円ゲートでの死角攻撃くらいな二人では、手数に対処しきれない。
“鳳凰”が着地して構え直した時には、二人とも肩を貸し合って、黄金板で体を支えていなければ、まともに立ってすらいられなかった。
〈終わりだ、人間〉
光を宿さぬ鳥の眼が、帽子の下から無機質に観察する。
悲観も油断もしない思考が、10割近い勝率を算出する。
〈全てはお前達の因果、お前達の行いが招いた——〉
「何を迷ってやがる?」
判決文を詠み上げていた“鳳凰”は、法廷ルールを守らない被告人に話し掛けられ、その嘴を噤んでしまう。
〈………迷い、とは?〉
「テメエのお仲間が、死んだ。テメエは強くなった。そして今、永級1号の中のイリーガルは、“提婆”1体だけだ」
「確かによー……。こんなところでくっちゃべってる暇、ねーよなー?仲間の意思を無駄にしねー為にも、今すぐ“提婆”を守りに行かないといけねーよなー?」
この期に及んで罪の意識を問うてくるなど、悠長に過ぎる。
問答無用で即殺してから、ダンジョン内へと救援に行かなければならない。
「俺の黄金板は、願望を映す。テメエは俺達の位置を分かってはいるが、それはそれとして黄金板の光景は見えている筈だ。テメエの耐呪能力は関係ないからな」
「何が見える?」、
そう問いながら、顔の前に偽の黄金を生み出す乗研。
そこには、彼ら二人の惨殺体。
四肢を失い、臓物を抉られ、目玉を刳り抜かれ、それらを生きたまま受けたような、苦悶の表情を受けべていて——
「要らねえ嗜虐が、入ってんじゃねえか?」
「おいおい、マジメくさった顔して、猟奇ドSかよ」
〈私が、快楽の為に、やっていると?〉
「俺も最初はそう思ってた。だがどうやら見ていた感じ、テメエは本気でクソ真面目だ」
けれど、相手の苦しみを使命より欲しているかのような、暗い情も同時に覗かせる。
「どっちなんだよ?リュージ」
「どっちなのか、コイツにも分かってねえんだろ、どうせ」
かつての乗研が、自分の為か他者の為か、その軸を見失ってしまったのと同じ。
「言い訳してるうちに、わけが分からなくなって、自分の本心がどうだったか、それを思い出せねえんだろ?」
だから、迷っている。
自分がやっていることが、正義に則った処断であると、自他にしつこいほど言い聞かせ、微妙な納得を押し切って、それでようやく相手を殺す。
そうしないと、そいつの価値観でそいつ自身が、悪になってしまうから。
そいつは悪になりたくない。
つまり、殺したくはないのだ。
「言っておく。テメエが俺達を殺すって言うなら、俺達はテメエを殺すぜ?だがよ、テメエが殺したくねえって言うなら——」
——この馬鹿らしいやり合いは、
——お互い様で流そうじゃねえか
追い詰められている側の、立場を理解しない不相応な提案。
だがその言葉は、奇妙にもその場を支配した。




