692.うぇ……っ!?いや結果は予想出来てたけど、ここまで……!?
「目上の者には礼を尽くすべし」。
“太子”が強いるのは、ダンジョンの外の論理。
人と人とが相互に合意し、決めた約束。
乃ち、社会的地位。
社会が偉いと決めたなら、その者は「偉い」のだ。
「偉い」人間は、他者に言う事を聞かせられるのだ。
平民は兵士の言う事に、兵士は貴族の言う事に、貴族は王に言う事に、絶対服従でなければならない。
それが社会だ。
それが智恵だ。
それが理性だ。
それこそが真の平和。
〈“奴隷”とは、“幸せ”であーる〉
人面幻獣が高飛車に告げる。
〈穴を掘って、また埋めて、自我がある者はたったそれだけで崩れ、壊れる。不幸になってしまう〉
自我や自由という呪いは、人を脆くしてしまう。
強固な意志は、意味のない行為に耐えられない。
硬いものほど、壊れやすいのだ。
〈自らのやる事なす事に、一切の疑問を抱かなくなってからが、一人前の臣民というもの。その時その人間は、無我という真の幸福に至るのであーる〉
疑問が無ければ、不幸はない。
人が感じる苦痛など、全てが主観でしかない。
人間の耐久力を最も底上げする言葉は、「いつかは終わるから頑張れ」ではない。
「え?それが普通だよ?」である。
組体操で人間ピラミッドを作る時、土台の人間が「今何をやっているのか」に疑問を持つと、構造物は容易く崩れる。
だが、「毎年やってるから」という常識を教え込めば、彼らは強固な基礎へと化ける。
〈人間が幸福な状態とは、全てが臣民に、システムの歯車になる時であーる!〉
人型のモンスターや、自我を破壊した人間達。
それが積み重なり、折り重なり、質量で潰さんとする。
〈奴隷も、平民も、貴族も、王も、全てが自らの役目、機能を、何の疑問もなく遂行する!社会から思考が排除されたその時こそ、人間は全ての悲劇を克服し、真に幸福な種へと昇華されるのであーる!〉
「余の眷属達のように!」、
そう豪語する彼の前では、“神”もまたシステムの一領域。
「支配する」という「機能」を持った、パーツの一つとしか見ていない。
それは、社会が強いる死の物語。
王に死ねと言われたら、死ぬ。
そこまでなら、ありがちだろう。
だが、「王の没後は後を追うべし」という、社会的な慣例、約束事によって、ただただ道連れで命を落とした者達が居る。「これまでもやって来たから」、その常識が疑問を溶かし、流れ作業の如く形式的に死んだ者達。
それは王への忠誠といった、高度な話ではない。
ただの歴史的、文化的プログラミング。
実行されたシステムの一部。
王の意思など、それが暴君かどうかなど、関係ない。
「当たり前だから」という前提があれば、自らの根本たる生命さえ捨ててしまう。
周囲もその儀式を粛々と遂行する。
後世において、自立やら個人の権利やらが叫ばれた時代、その風習は恐怖された。
それは、人が持つ個体としての独立性が、どこまでも後付けであることを示していた。
その時に抱かれた衝撃、その物語。
「王でさえ、社会の奴隷である」。
それが“太子”。
だから彼は、疑問を持たず“提婆”の下についた。
彼女の命を受け、下々に命じた。
そのローカルは、社会的に下の者の“疑い”を打ち砕き、己に奉仕させることが出来る。
その効力は、相手の立場や身分が下がるほど、強くなる。
〈で、あーるのに……!〉
そいつの命令を機械的に実行した人間達、否、骸達が吹き飛ばされる。
右手で帽子を押さえながら、左の人差し指を天に向ける、ダンスパフォーマーめいた立ち姿。
〈何故、効かん……!何故、余の命を聞かん……!?〉
平民か道化、或いは国に飼われる奴隷。
そいつの立場と言えば、それくらいな筈なのに。
〈跪け!命を乞えぇッい!〉
火砲の列が硝煙を吐く!
けたたましい空中貫通音!
だが男が左手を翳すと、全てがぴたりと静止して、やがてパラパラとその場に落ちる。
〈命令を……!命令を聞けぇッ!!王命であーるぞっ!!〉
「失礼」
左手首をそのまま捻り、コイン大の金属を前方へと飛ばす。
「僕は“まつろわぬ者”……既存秩序への挑戦者ですので」
世界の強弱関係を、根底から破壊しようとした、いいや、今も変わらずその野望を抱いている男である。
しかも、国からの罰を受けている最中に、テロリストの手を借りて国外逃亡したばかり。
彼は“国”という枠組みにも、人の同意による“社会”という枠組みにも、現在のところ属していない。
今の国際関係の全てが気に入らず、それと敵対する者である。
「あなたとの相性は……最悪でしょう。ああ、そちらから見て、という意味です」
左手でフィンガースナップ。
“向こう側”からの核分裂エネルギー発射。
幅が広く強い光が通過する様は、3次元世界に2次元平面が出現したようにも見えた。
〈あぁ……っ!〉
奴隷達は上下に分割され、咄嗟にジャンプした“太子”でさえ、前足の先を失った。
「仲間が近くに居る状態で、僕の火力は発揮できない。巻き添えが恐ろしいから。そう、お思いでしたか?」
〈き、きぃさぁまぁぁぁあああ……!!〉
「残念ですが、100点の答案ではありませんね」
既に獅子の体には、あちこちに風の通り道が開いている。
細く制限された光と熱が、SFのビーム銃のように撃ち抜いたのだ。
「僕の魔法が“こちら側”に持って来れるエネルギーには、結構な調整が利くのですよ」
〈エネルギー量はそうだとしても、発散の仕方まで、自在だと言うのか……!〉
「想像力が貧困ですね、王よ。それとも記憶力でしょうか?僕の魔法が目に見えないこと、お忘れになりました?」
〈……!〉
レールや通り道を作って、そこに“向こう側”からのエネルギーを流し込む。
過剰な出力を持ち込まず、出られる先は魔法生成物で限定してやれば、幾らでも調節し放題だ。
その微細な制御が妨害されない限り、核分裂のエネルギーは、全てが彼の玩具に等しい。
「それこそ、魔学回路を内側から爆破される、なんてことをやってくる相手でもなければ、僕に勝てるとは思わないことです」
〈ば、バカな……!こんな力が、平民に……!〉
「それともまさか——」
その時帽子の下から覗いた二つの黒は、琥珀のように暗くも透き通っていた。
「思っていたのですか?あなたが“彼”より優れていると。“彼”に勝てないなら、あなたにも勝てないだろう、と」
〈……!!〉
「そんなことも分からないなんて」と、偽りなき驚きが混じった軽蔑を向けられ、“太子”の思考回路にバグが生じる。
罪人に、奴隷にすら劣る社会の敵に、嘲られている。
幸福なシステムが、不幸の代名詞に鼻で笑われている!
〈ふざけるなよ人間!貴様如きが、誰を見下しているうううっっっ!!〉
巨大ライオンは飛び掛かる!
だがまたしても指が鳴らされ、首に光線が命中!
今度は、そこから先に熱の逃げ場が用意されていなかった。
となれば当然、そいつの体に全てが流れ込む!
“太子”の肉体の8割が蒸発消失!
〈だからどうしたあああっっっ!!〉
だがコアは既に射出済み!
そして“太子”の命令が奴隷達へと届く。
砂の粒子共が、A型達が、コアを守るように集合していく。
そして流動的なそれらが、人面ライオンの新たなる肉体となる!
〈油断したな人間!所詮は個人の浅知恵など、社会という公力の前には無為無益も同然っ!〉
アインの足元から吹き上がる砂礫!
それらも相手の肉の一部だ!
〈“提婆”様の加護を一身に受けた最強形態!これにて強制執行!力づくで跪かせるッ!幸福を喰らえええええ!!〉
右の前足による攻撃。
それを構成する砂が高速で流れて触れたものを削り砕く!
更に体全体が炎に覆われ、口の中からは太陽反射光線が放たれる!
奴隷を手足として使い、神の手足となる。
王として、国として理想的な形!
「ですが、見せましたね。この僕に、あなたの弱点を」
アインは粒子防御を纏いながら低姿勢で攻撃を潜り抜け、時計回りに一回転しながら右手で空を薙ぎ払う。
その一瞬。
彼の掌から光の剣が伸び、すれ違いざまに一文字斬撃。
アインは両足をまるで一本に見えるほど纏め、更に数回転してからカカンと滑らかに静止。
煙を上げる裂傷を深く入れられた“太子”の、その形が崩れていって、単なる砂丘に早変わり。
「接近戦なら分があると、そう思っていたわけでは、ありませんよね?」
核分裂の余波の一部を、手の先に粒子で作った型に注ぎ込み、使い切りの剣として振るう技術。
相手がコアを露出させた以上、ミクロすら大雑把に見える彼にとって、それを追うことはあまりにも容易。
一振りあれば、充分である。
世界最高ランク、“確孤止爾”。
遠近共に、死角無し。
「国より外の哲学を、知ろうとすらしなかった。それがあなたの敗因です」
illは、単体で自分達に勝てる“人間”など、例外だと思っていた。
“可惜夜”が生み出した、法則に外れた特別製だと。
だが、魔学の世界において、同じやり方で力を使う両者。
人間と、モンスター。
その頂点付近は並び得るのだと、その理屈を分かっていなかった。
自らを部品の一つと主張する“太子”が、
自らの特別性を信じ切っていたのだった。




