表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ザ・リベンジ・フロム・デップス~ダンジョンの底辺で這うような暮らしでしたが、配信中に運命の出逢いを果たしました~  作者: D.S.L
第二十五章:カチコミの時間じゃい!

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

971/978

688.不満足な人間であれ

 ガネッシュ・チャールハート・レディセンが生まれたシンド共和国では、社会に身分制度が色濃く残っていた。


 西洋の貴族のように、外から見た時に分かりやすいものではない。

 表向きは世界最大規模の人口を持つ民主主義国家だ。


 だがその内部では明らかに、生まれながらの上下関係が意識に根付き、支配している。


 階級で固定化された構造と、今風で流動的な仕組み、その二つが矛盾を孕みながら同居し、相争あいあらそっている。


 彼らの思考様式は、全員に等しい人権がある国、という形には最適化されていない。


 まあ、どこの国もそんなものと言えばそれまでなのだが、そういった態度が許される空気が、中でも色濃い場所なのは間違いなかった。

 

 古きと新しきが侵害し合う、矛盾と建前の国。

 

 ガネッシュの血筋は最下層のそれであり、地域で最も見下されるグループの一員であった。


 ただ偶然そこに生まれたというだけで冷遇される、そんな理不尽に耐えかねて彼は国を捨てた




 というわけでは、必ずしもなかった。




 いや、一部それが含まれているとも言えなくもないが、それが主要因ではなかった。


 彼には学問が、知的好奇心があった。

 潜行者の才もそれなりにあった。

 理不尽な境遇を覆せるくらいの資本は、生まれた時から持っていた。


 単に生来のハンデと言うなら、ギフトと合わせてプラスマイナスゼロくらい。なんならプラスが超過しているくらいだと、ガネッシュ本人がそう思っている。


 社会制度への不満や憎しみというものにも、心当たりはあまりなかった。


 階級社会や独裁国家といった、世間的にはマイナスとして語られるシステム。

 彼はそれらを、必ずしも悪いものとは思っていなかった。

 

 集団とは約束や合意によって成り立っている。

 それがそういう形をしていると言うのなら、そこには何か理由があるのだ。


 社会の仕組みとは合意の集積であり、人の意思を完全に離れるものではない。

 構成員が望んだことで生まれたものだから、格差や差別にも一定の理や効能があるのだろう。


 どちらかと言えば被差別者側だった彼は、けれどそれを受け入れ、それから「どうしてそうなったのか」を考え始めた。


 その社会構造が求められた理由を学び、それに合意するか、修正を求めるか。まずは調べて、知ることから始めるべきだ。そう思った。


 彼はたずねて回った。

 様々な文献を読み漁った。


 なんの為に?

 知りたかったから、以上の理由はない。


 どっちつかずの綱渡りをするシンドの体制や、非合理で非効率的な方法で社会の変革を訴える者達の動機等、彼の目からは不思議なことが沢山あった。

 好奇心によって、社会というものを掘り返した。


 そして彼は知った。

 民衆というものは多くの場合、同意したつもりなく同意をしてしまうのだと。


 どういう意味か?




 「ああ、こいつら、別にそんなに考えてない」、である。



 

 不公平に怒る者がいる。

 不幸を呪う者がいる。

 不満を叫ぶ者がいる。


 けれど、彼らは知ろうとしていない。


 例えば、現代シンドは超学歴社会である。


 まず、生まれで全てが決まる身分制からの脱却という、耳当たりの良いお題目によって、努力主義が台頭した。

 

 ではどうやって努力を量る?

 実力や結果によって。

 努力主義が、実力主義、成果主義へと変わった。


 実力があるかどうか、どうやって知ればいい?

 「私達が定量的に計測します」、高等教育機関が名乗りを上げた。


 どれだけ凄い学校を卒業したか。

 そのパラメーターが「実力」を表すようになった。

 大学名が重視される社会が完成した。


 貧しさや地理的理由から、大学に手が届かない者は?

 量れない場合、数値上は「ゼロ」として記録される。


 裕福でなくても卒業できる仕組みがある?

 親が金を持っている人間ほどの楽さで、そうでない人間が挑めるものなのか?

 いいや、そうはなっていない。


 つまりは周囲の環境や境遇によって、アクセスの難易度や可否に差が生まれるものが、人の価値を左右するようになっている。




 ガネッシュが驚いたのは、現代社会を平等なものだと本気で思っている人間の多さだ。



 

 身分制度であり権威主義は、今も生きている。

 だがちょっと看板を変えただけで、彼らは「脱却」を済ませてしまった。


 方便でなく、心の底から思っているのだ。

 上がってこれないのは実力が無いから。

 評価されないのは100%自己責任、と。


 それではと批判する方へ目を向ければ、今度は別のズレがある。


 彼らは「悪」を探している。

 完璧を阻む何かがあって、それさえ無ければ「理想」が可能なのだと、信じ切っている。


 「出来ないのはやらないからだ」、彼らが嫌った論理を、相手にそのまま返しているのだ。それも、そんなつもりなど一切無く、自分達だけが正しいという顔で。


 そして弱者である筈の彼らは、自分達を守る巨大なもの、社会というものそのものを不要と、時には邪魔とすら言い始める。


 強いられた困難から逃げる為、より深刻な困難に身投げする。当人たちは「解放される」つもり満々で、そういう暴挙に出る。制度の中にある優しさを、覚悟も無いのに捨ててしまって、切り離された後を考えていない。


 上だろうが下だろうが、支配する者も挑む者も、見当違いな話をしていた。

 ある者は「身分制度は絶対悪」だと言い、またある者は「これは平等で正当な制度だ」と言う。

 

 話が噛み合っていない。

 

 何度も言うが、身分制度があること自体は、問題視していない。


 それが“選別”であることを、意識せずにやれてしまう。

 その成立に自分の行動や、誰かが自分を守ろうとしてくれる意思も一役買っているのに、簡単に邪悪だと言えてしまう。


 それぞれの無神経さこそが、彼を戦慄させた。


 以上が一例だが、似たようなことは世に溢れている。


 社会の創造者であり当事者である人間達の中で、自分達が今何を作っているのか、どんな恩恵や損害を受けているのか、それを正確に説明できるものが誰もいない。


 一方で、「私はそれを説明できる」と、その気になっている者であれば、そこら中で見つけられる。


 決めつけと雰囲気だけで現実を理解する。

 目隠しをして歩いているのに、目蓋の裏に夢想を描いて、それを本物だと信じて直進。


 問題にすべきは、彼らはどうして間違えるのか、ではない。

 どうして間違えていないと思っているのか、である。


 理由は単純で、「疑う」ことを放棄しているからだ。


 違和感に気付き、疑い、考える。

 その習性は人類を繁栄させた、最も偉大な武器である。


 よりにもよって最も人間らしい行為を、人は簡単に捨ててしまう。


 面倒だから。

 楽をしたいから。

 必要ないと思い込んでいるから。


 恐ろしい。


 ガネッシュは恐怖した。


 彼もまた人間であったからだ。


 知的好奇心こそが自らの武器、彼はそう自負していた。

 だがその長所は、今こうしている間にも、うしなわれているのではないか?


 彼は「何故」を考える。

 それを求めている時こそ、充実した時間。


 だが本当に、「何故」を問えているのか?

 成長し、より多く、広くを知るにつれて、「そういうものだからな」と、そう切り捨ててはいないだろうか?


 彼はいつの間にか、自分の中に幾つもの「当たり前」を作ってはいないだろうか?

 正誤や善悪を、固定化してはいないだろうか?


 好奇心!

 彼の生の軸!

 彼の心臓を動かしているもの!


 それが尽きるということは、死ぬということである。

 彼は肉体よりも速く、死へと向かっているのではないか?


 その究極とは、リビング・デッドだ。

 自分は生きた人間だという顔で、屍の体を引きり歩く。


 彼に見える人間は、そんな相手ばかりだった。

 いつしか彼も、そうなるのだ。

 もしかしたら、もうなっているのだ。


 生物が最も恐れるのは、矢張り死ぬことだ。

 そして人は時に、生死より恥や尊厳について考える生き物。


 ガネッシュが直面した危機は、その両方だ。

 人間としての死であり、尊厳の終わり。

 理性と本能が、どちらも大いにみ嫌う末期まつご


 彼は何より安心を、満足を恐れた。

 分からないこと、それが至高だ。

 分かり切ったこと、それはダメだ。


 分かり切れることなどないのに、分かり切った気になってしまっている。

 自分が安心しているのならば、それは疑う感性の衰退。


 安住を恐れ、国を捨てた。

 自我の膠着こうちゃくを恐れ、「レディセン」という階級姓を捨てた。

 安全地帯を恐れ、危険からの逃避を捨てた。


 安定が、落ち着く事が、固定化されることが、恐ろしい。

 安心は良くない。何も感じなくなる。

 疑えなくなる。みにくく死んでしまう。


 より不安定な領域へ。

 もっと恐ろしい、疑問が湧き出る、当たり前の無い禁断の場所へ。


 驚きと負荷に満ちて、答えを決める時に生じる間違えた場合への不安が最大化され、常識も正気も「勝手なマイルール」という小物に変わり、それが常に続く地へ。


 死を恐れるからこそ、彼は死の恐怖を感じていたかった。

 生きたかったから死へと突き進み、死にたくないから怖い物に手を伸ばす。


 “全人未到ワイズマン”、皮肉な名である。

 そう呼ばれた本人こそが、世界で最も「全知」の感覚を忌避している。


 人間が世界を知れるわけがない。

 完璧に理解できるわけがない。


 それでも知りたい。

 知る事を諦めない。


 何故なら彼にとって、「疑う」ことこそが目的だから。

 

 不安と恐れが彼を人間にする。


 これまで積み上げた物の否定、無限の可能性を持った未知。


 それらが彼を生かすのだ。


 あらゆる定義も定理も、自分の1秒先の生死も、疑い続けていたい。好奇心を殺してはならない。


 “不可踏域アノイクミーヌ”の中枢への電撃的カチコミ作戦。

 その危険極まるミッションに、彼が参加していることは、ある種の必然であると言えた。


 戦闘能力はチャンピオン最弱、にもかかわらず世界4位に認定されるほど、その貢献を評価され、その生き様を危険視される。


 人は彼を死にたがりと言う。


 彼は同じ感想を、多くの人間に抱いている。


 「どうして自分の正義を疑わず、平気で過ごしていられるのだろう」、


 「死ぬのが怖くないのだろうか?」、と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ