679.今から行きます
「いーかげん、やんなっちゃうなあ、あのガラス野郎君はさぁ……」
ピカピカの太陽を仰ぐ砂漠の一角。
燃える岩に囲まれ、ビーチベッドに寝転がる女。
このところ出不精気味な“提婆”は、今日もニヤニヤと薄笑いを浮かべている。
だがその口の端の皺をよく見れば、頬に入った力の緊張に気付く事が出来るだろう。
ボリュームのある髪を掻き上げ、脚を落ち着きなく組み換える。
「無駄なんだけどなあ……?何をやってもさぁ……。たかが人間が、“可惜夜”ナシに喧嘩を挑んでくるなんて、ナマイキしちゃってさあ……」
グツグツボコボコ、マグマが沸いている。
「勝てる」と思われていること、それ自体が気に入らないみたいに。
「わたしだけでも、余裕で勝てる。全然負ける要素なんかないのに……。
メンドーだからほっといただけのことをさあ、わたしに勝つ自信がないから、直接対決を避けてるって、勘違いしちゃうのは、良くない思い上がりだよねえ……?
間違えてるなら、正さないとだよねえ……?」
彼女はこのダンジョンの主であり、ダンジョンそのものである。
故にダンジョン内で起こっている事を全て把握し、だから勝利を確信している。
「こっからさあ、予想外を幾つか起こしても、わたしと、あと数体が一緒になって、あのガキンチョをボコボコにするのは、変わらないんだよねえ……。どうやって負けるの?って話だし、ホントに……」
各階層で孤立した人間達。
一部は階層被りを許容せざるを得なかったが、合流できるとは思えない。
彼女のダンジョンは広く、他の人間を見つけるまでに掛かる時間、一人で生存し続けられるわけがないから。
単体のパワーでは劣る“聖聲屡転”は、彼女の眷属たるモンスターの群れで殺せるだろう。
彼らとカミザススムを除くと、残りは6人。
それぞれ一人で、大量の永級ダンジョンモンスターにプラスして、illの相手をしなければならない。
彼女の配下は、外で戦っている“鳳凰”以外に4体。
一人殺すのに3分も掛からないだろうし、念を入れるなら、入れ子のようにダンジョンを生成して閉じ込めた上で殺す、というやり方だって取れる。
二人以上になるには、モンスターの群れを切り開き、illに捕まらずに逃げ、広大な砂漠の中で味方を探し出すしかない。
この、激しい日射の下で。
出来るわけがない。
各個撃破は固い。
唯一、カミザススムが大暴れして、それぞれを繋ぐ可能性が、考えられなくもない。
だから彼女は、そいつを5層に置いた。
そいつは上か下か、どちらかを選ぶことになる。
どちらか一方に進んでしまえば、同じ地点に戻る頃には、反対に居た全員が死んでいる。
奴らの選択肢として最も合理的なのは、上層に居る人間を「救えない」と切り捨て、引き返さずに下層へと潜り続けること。
だから深層側には、弱めの奴らを配置しておいた。
チャンピオンやグランドマスターをより多く確保したかったら、1層まで上ってから10層まで降りるという大回りが求められる。当然、道中には大量の永級モンスター達。
どっちを選んでも、戦力は半減。
どうやっても、損をするように出来ている。
賭けは必ず胴元が儲かる。
このダンジョンでの選択全てが、“提婆”の都合を良くしてくれる。
「だから、勝てない……。どんなに頑張っても、残るのは5人とかかな……?うん、そうだね、運が良くて、それくらいだな……。わたしらを複数相手に出来る、そんな戦力はどうしたって残らない……」
彼女の視界には、端から端まで勝利しか映っていなかった。
どこに目を向けても、負け筋が無かった。
さっきから彼女は、それを何回も確認していたのだ。
ここまで咀嚼してそれでも見つからないのなら、「無い」のだ、敗北可能性なんて。
「そう、死ぬんだ……。きみらみんな、わたしに逆らったんだから、死ぬんだよ……」
瞳がサングラスで隠されて、表情は半分ほど窺い知れない。
だがこの場に誰かしらが居れば、「機嫌が良さそう」とは思わないだろう。
負ける筈のない勝ち戦の中、彼女は何故か不安定だった。
「さあ、ほら、最初の一人が死ぬよ……。死んでしまうよ……」
彼女は第8層を見る。
モンスターに囲まれた男。
殴りこんできたメンバーの中でも、完全詠唱時の継戦能力が、最も低いであろう潜行者。
それが理由で彼は、最も死にやすい8層に招き入れられた。
カミザススムは走り出している。ルートは下層に向けての道。
いや、もしかしたら、自分がどっち側に走っているのかも、よく分かっていないのかもしれない。
どちらにせよ、間に合わない。
6~8層で得られる仲間は4名。
そのうち一人が、これで脱落。
「ほらほらほら、ダメ、駄目だよだめだめ、もう駄目だ。ああ、死んじゃう、死んじゃ——」
『物の道理を知らない、白痴暗愚の蒙昧女』
自分の煽りに言葉を返されたのか、一瞬本気でそう思ってしまった彼女は、息を潜めるように止めた。
『よりにもよってこのオレサマを、最も侮り貶めるとは』
そこから続いて、怒りを覚えた。
どうしてこんなに偉そうなんだ?
たかがそこらへんに居るだけの人間が、彼女と違って世界からなんの使命も持たされていないそいつが、どうして上から目線で話すのか?
そんなことが許されていいわけがない!
「うるさいなあ……!死んじゃえよ……!」
身体に穴を開けてやる勢いで、ローカルである太陽光線を強める。
ただそれに当たっているだけで、体内が釜茹で地獄になるほど、執拗に。
『ほうら、お前は分かりやすい』
狼共に囲まれた男は、見せつけるように箱のような物を取り出した。
『だから駄目なんだ、驕った下衆は』
投じられたそれは地面に展開、五芒星魔法陣の形を作る。
男はその中心に立って、角度をつけて両掌を打ち鳴らす。
魔法陣の表面は、半透明か鏡面加工済みであり、光を設計通りの方向に屈折・反射。
魔法陣を構成する線の中に、太陽の光線を閉じ込めた。
「……ちょっと……?」
片頬が、ピクリと攣った。
「それ……わたしの……」
ガネッシュが密かに制作していたその魔具の上で、光からエネルギーを受け取りまくった狼達が、破裂してその血で魔法陣をなぞる。
原初の永級の力を利用した多重魔法陣。
それが不完全部を補い、魔術回路が外部出力される。
『辺獄現界』
「ちょっと、おい、なにおバカなことやっちゃってんの……?」
『“疾落園”』
第1層から第8層まで。
大規模なダンジョン崩落と、全てを貫く大瀑布が発生!
「わたしのダンジョンをさあ……!」
滝の周りでは雨が降り、太陽と灼熱の猛威を相殺!
そしてそれが現れた瞬間、全ての人間の足取りから迷いが消えた!
「わたしのダンジョンを、こんな、ぶっ壊すつもりで入ってきたってことぉ……?ふはっ、よくないじゃん……!許されるわけ、やっていいわけないじゃん……!ぷっ、そんなの、さあ……!だいたい、ふふはっ、わたしがそのクソガキ毛玉を一番下に送るって、ふすっ、どうして分かるのさ……!ははっ、インチキじゃん……っ!」
笑い混じりの息を、すかしっ屁のように何度も漏らしながら、糾弾する彼女は知らない。
彼女のような性格は、そう珍しくないことを。
つまり、「賭けが出来ない小心者」。
慎重と言えば聞こえは良いが、過ぎると単に身動きできないだけだ。
ある種コズルいほどに堅実で、確実に勝てないと気が収まらない。
そうやって偏執狂的に最善ばかり選びたがるから、何をするかが寧ろ読みやすい。
枢衍教室を代表として、そういった手合いとの殴り合いを、トクシメンバーは済ませていた。彼女はそのパターンそのもの、何なら怠惰で外堀埋めも不徹底な分、下位互換であるとすら言えた。
“カミザススム”、そして“可惜夜”へのアプローチの仕方。
明らかな戦力差がある相手への舐めっぷりと、食い下がってくる恐れのある敵への慎重さのコントラスト。
彼女は今まで、素で思った通りに行動し過ぎた。
プロファイリングの材料は、片付けられなかった玩具のように、あちこちに転がされていた。
『「手の内を晒し過ぎ」だと、プリムが居ればそう言うだろうな』
「力を持った小人物」、それが最終的な結論だ。
器の話をするなら、ずいぶんとせせこましくつまらない女。
それが“提婆”。
だから、ラポルトの仕組みを使っての戦力分散も、ニークトを甘く見て最も深い層に置くことも、全てが予期できてしまう。
それについて事前に対策を話し合い、最短で適切な行動を選び取ることも、スムーズに果たせてしまう。
『8層まで直通だ。都市伝説みたいに、経過を連絡してやるまでもない。すぐにお前の後ろに着くぞ』
巨大垂直ウォータースライダーによって、合流も潜行も簡単に為される。
彼女がせっせと敷いたレールから、
列車が盛大に脱線し、
手の付けられない暴走状態に突入した!




