665.近付くことで、手に入らないって気付く
「今さ、結構楽しいんだよな」
そう言うと彼女は、はらりと花びら落ちるように咲った。
「あれ、ススムくんもすっかり、戦闘に現を抜かす、死線狂いですか?」
「そういうことじゃなくてさあ……」
まあ、俺の脳を解剖する以上に、詳しく中身を見通してる奴だ。
わざと曲解してるんだろう。
「戦いがどうのじゃなくて、ほら、分かるだろ?」
「なんでしょう?」
人差し指を顎の横に当て、空惚けて見せる彼女。
分かってる。
こいつのことだから、俺が羞恥に身悶えしながら、自分の口で言うところを見たいだけだ。
「お前と、その、ふ、」
「ふ?」
「ふたりきりの、毎日って、言うのもさ。ずっと、無かったじゃん」
「あれ、言われてみれば、そうですね」
ああああああ………!!
こいつ…!
その言い方だと、俺だけすっごく意識してるみたいじゃん!
まあ実態としてはそうなんだろうけどさあ!
「とにかく!みんなとは暫く会えてないけど、今の生活も懐かしいって言うか、安心するって言うか、だからそんなに不自由とも不幸とも思ってないから!それだけ!」
「それは良かったですねえ?」
「言い方が子ども扱いなんだよなあ……!」
その余裕が、
何をやっても響かない優しさが、
俺を時折、堪らなく不安にさせる。
こいつを楽しませる。
それが今の、俺の生きる意味、みたいなところがある。
だけど、一番の娯楽って言うのは、予想外な出来事だ。
それも、期待を裏切らず、けれど超えるくらいの何か。
俺はこいつを、それこそ「ぎゃふん」と言わせるくらい、びっくりさせなければいけない。それも、こいつの期待の延長線上で。
だけどそいつと話す時、俺は包み込まれるような安心と共に、自分の無力を痛感させられる。
俺はこいつの掌の上で、胸に抱かれて腕の中。
その外側には、一歩も出れていない。
反抗して期待を裏切るのも違う。そして俺が考える反逆程度じゃ、こいつの予想を上回れない。
こいつは俺の発想で、倒せる相手じゃない。
倒す。
そう、それだ。
それが一番近いのだろう。
俺はこいつに、勝たないといけない。
いいや、勝ちたいんだ。
こいつには、ダンジョンだとか魔学だとか、それが持つ深淵と同等の懐がある。
個人で太刀打ちできる相手じゃない。
俺が魔力で何をしようが、たとえ魔法を使おうが、驚かない。
有り得る可能性でしかない。
それは暇潰しになるだろう。だけど生涯には残らない。
ファストフードみたいな、求めたものがそのまま得られるだけの楽しみ。
終われば忘れているのに、何が出てくるかは毎回分かる。
だって、予想そのままだから。
美味しいものを注文したら、美味しいものが食べられる。
それだって、立派なことだ。価値あることだ。
だけど最近の俺は、ちょっと欲張りになっていた。
彼女に恩を返せればそれでいい、そう思ってた過去の俺は、心の中で淘汰されていた。
彼女の中に残りたい。
彼女の唯一に、特別になりたい。
美味しいものを食べようとした彼女が、思わず箸を取り落とすような、そんな最高の一皿を、そのテーブルに乗せてみたい。
彼女の為じゃない。
恩人がどうのとかじゃない。
俺の望み。
俺の欲。
俺という思い出を、彼女の中で永遠にしたい。
そんなのまるで——
ああもう!
その安直さで、余計に詰んでるんだろうが!
こう思ってるのも、彼女の知る所なんだ。
バレバレだ。全部見抜かれてる。
陳腐でちっぽけで、ありふれた欲。
これも彼女の予想通り。
もしかしたら、誘導した通り、なのかもしれない。
俺が熱心にやるよう、彼女は俺の精神を掌握した。
彼女にとって便利なように、俺の人格を調整した。
その時に植え付けられた感情をモチベーションとして、どれだけ必死に燃やしたところで、彼女の絵図から逸脱できない!
俺がそうなるように動かしたのは、彼女なんだから。
全然駄目だ。
彼女に勝ちたい、彼女に刻みたい、そう思うほど逆説的に、俺は普通でつまらなくなる。彼女の予想のど真ん中に固定される。
刺激が無い。
驚きが無い。
魅力が無い。
ただ淡々と、働きかけに見合った結果を出力するだけの存在。
テンプレートで無難に固めた、どこかで見知った英雄譚。
俺が彼女を見る時、その聲を聞く時、その冷たさを感じる時、その柔らかさに溺れる時みたいな、鋭く刺さり体軸を貫き、脳を焼き尽くすほどの衝撃。
熱狂なのか官能なのか感動なのか。
どれが適切なのかは分からないけれど、とにかくそういった極端な何か。
それに遠く及ばない。
そういったものを、与えられない。
だから想いも、一方通行になる。
俺はきっと、彼女の中の本当を、全然見れていない。
何も分かれていない。
彼女が素を出すほど、無防備にできていないから。
俺の見せる驚きが、娯楽が、足りていないから。
彼女と出逢ってすぐの頃は、気がつかなかった。
もっと脳天気に、彼女の優しさを受け止めていられた。
あの日々と同じように、彼女と二人の時間が多くなって、世界と俺達とが離れたような錯覚があって、
なのに、俺と彼女との間が、こんなにも遠く感じる。
俺が何も分かっていなかった、見えていなかったんだって、それを今頃理解する。
この距離は、細かく見れば、増減を繰り返しているのだろう。
だけど全体で見れば、ほぼ変わらない。
西に沈みかけた太陽へと歩いても、大して距離を縮められていないのと同じ。
彼女には、届かない。
俺が行く先々に彼女が居て、懸命に手を伸ばしても彼女の視野の内。
魔力だけで魔法を超える。
人類最強より強くなる。
illと戦える。
複数同時でも勝利できる。
ダンジョンを生み出されても対抗できる。
どんなに強い奴を相手にしても、最後に立っている自信がある。
だから、なんだ。
俺が目指していたこと、誇っていたこと、その全てが、酷くつまらないものだって、最近やっと分かってきた。
森羅万象を等しく無に帰す、この世のものではない何か。
最強だとか最高だとか、そういった言葉を受ける次元に無い、
絶対的に隔たった存在。
そこから外れるって、
その期待を超えるって、
どういうことなんだろうか。
底も果ても見えない彼女を、風船みたいに破裂させる。
そんな衝撃が、実現し得るのだろうか。
でも、もし彼女が、
世界で最も例外的で外法的な何者かが、ルールの外であるが故に、それを倒す道筋も無いのだとしたら。
彼女を出し抜くことが、彼女に勝利することが、構造的に不可能なのだとしたら。
それが出来るように、世界が出来ていないのだとしたら。
「どうしましたか?ススムくん」
彼女の手。
俺より大きいようで、なんだか小さくなったとも感じる、彼女の右手。
「ススムくんにしては、大胆ですね?」
それを衝動的に、両手で握り締めてしまった。
その痛みを、力を、彼女に記憶して貰おうなんて、そう思ってしまったんだろうか。
だけど彼女にとって、緩くなったゴム以上に、取るに足らない縛りだろう。
握力も、体温も、離した瞬間に、いや、今この時も、彼女の中から抜けているのだろう。
橙の夕陽が、僅かに潰れる。
俺の焦りを、必死さを、肯定するような微笑。
それで俺がやる気を出すって、もっと彼女の期待に応えようとするって、それを全部分かった上で、彼女はそんな顔をする。
そして俺の内側は、その通りに掻き乱される。
考えるほど、決意するほど、足掻くほど、受け流そうとするほど、何か手を打つほどに、俺は彼女の思い通りに、思惑の中心に堕ちていく。
それに伴って分泌される多幸感。
それが俺を、余計に追い詰めるようだった。
俺は、
俺はここから脱け出て、
これに打ち克って、
彼女にとって本当の予想外に、
最高のエンタメに——
「ふう、なんとか意識が戻りましたなあ!」
天幕越しにも瞳を射す、強い日差し。
それに潰れた視界が、段々とブレを収めていく。
だがその前に、声の主が誰かは分かった。
最近の顔馴染みだからだ。
「助かりました。ガネッシュさん。ちょっと計算が狂っちゃって」
「学者ですから、最善を尽くしますぞ!」
「ただし!」、
起き上がろうとした俺の顔の前、太い指がビシリと止まる。
「この場所が敵に露見するまで、1、2時間。その間にお説教ですな!」
「その体が如何に貴重なのか、理解が足りていないようですので!」、
しまった。
今回は少し長くなりそうだ。




