664.「ここにあるものだけで戦う」、当たり前のことだろ?
〈辺獄現界〉
鉄と霧の巨人は、日射に曝され続けた砂礫に勝るとも劣らぬ高熱で、体表の見え方を歪め、周囲を白く染め上げる。
最高潮に高まったテンションと回路内の流動そのまま、己の世界を詠み上げる!
〈“〈ぴ、ぃぃぃいいいいいい……っ!〉”〉
そして歌われた音階は、
〈は?〉
総じて一息で掻き消された。
〈ナンデ……〉
発生途上だったダンジョン、その末端の形がぐにぐにと曲げられ、整形され、全く異なる閉鎖空間を、檻を結んでいくのを感じる。
自らの意思に従うエネルギーを必死に追加し、主導権を取り戻そうとするほど、傷口は広く裂け、痛みは深くなる。
そこに生じた巨大な穴、力の流出。
その在り様を、呼吸だけで調整されている!
こちらへと押し出されるエネルギーの中に、任意の配置で爆風を仕込み、都合の良い形に作り替えるのだ。
体内どころか魔学回路の“向こう側”を攻撃することで、出力を操る技法。
“仲人”が構築していた枠を使って、自身の世界を作り出す無法占拠行為。
敵が強大であればあるほど、開く穴が大きくなって、そいつの術の効力も強くなる。
それを受けた者は鏡写しのように、自らと対等なパワーをぶつけられる。
抗うことなど出来ない。
押し勝とうとして、そいつが強くなればなるほど、術もまた強力且つ強固になるのだ。
言うなれば——
〈辺獄侵害現界〉
ダンジョン構築が可能なほど、巨大な回路を持つill相手でこそ、その真価を発揮する呼吸術!
校正者と呼ばれるまでに至った男が、遂に手にした絶殺の切り札!
そして悪夢めいた暗黒の中、彼らだけの円形闘技場が現れる!
〈“圏十姿”〉
真っ黒な空、静かな空気、平らなアリーナ。
ローポリゴンのCGのように、全ての表面が粗く溶けている。
その中に、
ぴ、ぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいぃぃぃぃぃ………!
身を切るような風が吹いている。
〈なんだ、この……〉
ひょ、ぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおぉぉぉぉぉ………!
そこには二つの命がある。
それだけでなく、観客席には折り目正しい服装で、顔の無い紳士・淑女が詰まっている。
だと言うのに、この淋しさは、孤独さは、なんだろう。
世界にたった一人、自分だけ取り残されたような、この感覚は。
〈なんだ……!?この、寒さは……!?〉
堕落と退廃、格差と腐敗、それらに骨身を削られ、魂を蝕まれた物語、“仲人”。
それが、未だかつてないほどの疎外感に、苛まれている。
それは恐らく、自己との対峙、己との向き合い。
余計な情報が省略され、見るべきものが総じて切り捨てられた結果、内側にしか意識を向けられない。
彼の前に立っているのは、きっと彼自身だった。
鏡ですら映せない、彼の内面そのものだった。
その歪さ。
誰であれ持っている、整序とは無縁な、付け足しばかりの不格好さ。
それを、網膜に直接、貼り付けられる。
〈やめ、ろ……!〉
逃げる場所など、無い。
〈やめ、ろぉぉぉ……!!〉
虚飾をこそ自己同一性とする彼は、それを見ることに耐えられない!
自身が“見せかけ”という要素ありきであることまで含めて、その弱さと劣悪さを引きずり出されたに等しい!
〈キサマっ!それ以上!土足で私の核心にっ!!〉
見たくない。
けれどお願いされたからといって、止めてくれるわけがない!
ならばやめさせるしかない!
その術を成立させている男を、力で排除するしかない!
“仲人”は合掌する水晶怪人へと駆ける!
まず右腕にあたる鉄骨から刃を複数生やし〈ぴ、ぃぃぃいいいいいい……っ!〉
根元から、手が吹き飛んだ。
〈はうあっ!?〉
すぐにパーツを補修しようと魔力を送り込〈ひょ、おおおぉぉぉぉぉぉ……っ!〉んだ部分から爆散していく!
〈これは、これはああああああ!?〉
そのダンジョンを、魔素を、道を、穴を開けたのは、“仲人”であったのに!
今、それを利用し、操り、使っているのは、水晶怪人の方だ!
魔力を、エネルギーの一端でも取り出そうとする度に、制御不能の破裂作用へと変換されてしまう!
〈バカな……!この空間の中で、私の意思より優先されるものなど……っ!〉
何でも思い通りになる明晰夢、その主導権が他者に奪われたが如く!
完全覚醒状態であるにも拘らず、悪夢的現実に魘われる!
全身が続けざまに連続爆発!
蒸気を体の一部として纏めているのは、彼の魔力だ。
豊富な魔力供給ありきで維持されているのが、その鉄と霧の肉体である!
つまり形をそのままで保つ為に、魔力を常に取り出し続けているということ。
この空間では、その姿であり続けるという行為が、処罰対象!
霧を集め、離れていかないよう掴むほど、魔学回路の向こうから爆破され続ける!
〈ふざけるな……!通るものか……!そんな理不尽………はっ!?〉
我に返った時は、そいつの間合いの中だった。
と言うより、他のことに夢中になって、そこまでの接近を許してしまった。
〈ぴ、ぃぃぃいいいいいい……っ!〉
切り刻まれる!
そこから入った魔力で内から爆滅!
〈ひょ、おおおぉぉぉぉぉぉ……っ!〉
拳連打!
一発一発が霧を散らして鉄骨を貫通する!
〈うぎぃぃぃぃあああアアアアアア!!〉
新たなエネルギーを得てはいけない!
今体内に残っているエネルギーだけで戦うしかない!
彼は全身を集めて高密の鎧を形成。
回路から力を取り出し攻撃する、そういった放漫経営ばかりだった彼は、この縛りの中で実行できる攻撃手段をほぼ持っていない!
最終的にはコアを守るしかなくなってしまった!
「自身の本当の姿を見せられる」、或いは「それを丸裸の状態で見られていることを知覚させられる」、その精神攻撃は、どちらかと言えば副作用である。
本命は、敵の回路を掌握し、理解し、その術が成立している間だけ、完全に封じてやること。
「使えるものは、今持っているだけ」という、制限状態での戦いを強いること!
〈この、私が……!数多の情念の堆積物たる、私が……!〉
末端を削り取られていき、遂には単なる球体となった彼は、硬く守る以外には、身動きの為の力すら残っていない!
効率的な魔力運用を会得するには、追い詰められる経験が足りていなかった!
〈単なる個に……!たった一個に……!一人が、多数の意見を、望みを覆し、踏みつけるなんて、おかしい……!間違っている……!お前は、負けなくてはならないだろう……!?〉
突き刺される水晶の円錐!
内側には擂鉢状の空洞と爆薬代わりの魔力が詰まっている!
水晶怪人がバックステップ、からの跳躍!
落ちるような片足ジャンプキック!
まず疑似HEAT弾の後尾を蹴り叩いて円錐の先端を食い込ませる!
内部の魔力を起爆!爆轟が一点集中突破!
通った穴から魔力が侵入!
〈“爆轟真徹《BEATスマッシュ》”……!〉
水晶怪人が空中で後転一回、からの着地。
背を向けると同時に、高密金属球体が爆発!
魔学回路の向こうからも囲むことで、「コアの自爆」という逃げ道すら塞いでしまった!
爆殺!
ill一体撃破!
〈ぴ、ぃぃぃ、………〉
が、
〈……あ゛………しまった………〉
少々張り切り過ぎたようだ。
無理に捻じ曲げられ、歪んだ形を力づくで形成させられていたダンジョンが、丸めていた手が離れた下敷きのように、元の形へと戻ろうとして、しかし設計図となる意思も、実現する力も無い為、勢い余って崩壊、消失。
霧が消えた炎天下に投げ出された怪人は、その表皮を半ば人の皮に変えるも、姿の移行が中途で止まる。
剥がれきらないガラスで、自身の肉を傷つけながら、青年は砂の上にぶっ倒れた。
すぐに砂の波や単弓類がそれに群がり、ぶちぶちと切れ端すら残さないようむしゃぶりついて、
更に重い四つ足が駆ける音が、段々とそこに迫っていた。




