2061/8/31 17:00~2061/8/31 18:00 part1
〈やあ、思ったよりは、遅かったね……〉
山中まで逃げた“飛燕”の前に、翼を持つ三角帽子が降り立った。
〈まずは、僕から、か……〉
〈貴様も、カミザススムも、両方、だ〉
近くには他にも、強大な気配がある。
木々や茂みの向こうなど、到る所に鳩がとまっている。
彼は完全に囲まれていた。
〈………何故だ?〉
〈何が?〉
〈何故、カミザススムを助ける?最後まで、それほど奴に尽くす?〉
“飛燕”は人間の姿に化け、人の中に紛れることが出来た。
そうすれば、少なくともこの場は、“環境保全”の追撃が緩んだだろう。
丹本、クリスティア、双方との繋がりが微妙で、宙ぶらりんになっている彼らは、下手に両勢力の反感を買うような、大暴れが出来ないのだ。
それが分からないほど、“飛燕”は幼気でもない。
だが彼は、わざわざ人目のつかない場所に、逃げ込んだ。
まるで、「こっちを優先的に狙え」と、そう言っているかのように。
〈生来の、目立ちたがり、ということか?〉
〈それもあるけどねー。かっくいーい感じに、散るっていうのに、憧れがあったし〉
「だけどさ」、
彼は胸鰭を伸ばして口の中に突っ込み、アクリルキーホルダーを取り出した。
〈もっと別の、ふかーい理由もあるんだけど………聞いてくかい?自慢混じりのオタク語りになるけどね。結構長めの〉
「何をしとるんじゃ、オヌシ」
後ろからやいのやいのうるさい奴を、ちょっと黙らせるべく振り向く。
「料理の手伝い。今のじいちゃん危なっかしいからさ。見て分かんない?」
「………オヌシ、まだ状況が分かっておらぬのか?」
「話なら後で聞くよ。ちゃちゃっと用意するから、その辺に座って待ってろ」
呆れ顔のそいつを放置し、手元が覚束ないじいちゃんのアシストに回る。
まあ、ほとんど寝ぼけたみたいな状態で、俺の声が聞こえてる様子すらないのに、ちゃんと料理が進んでいるあたり、体に染み付いた習慣ってのは、そう簡単には離れないらしい。
ただ、火や刃物を使う関係上、流石に危ないのはそうなので、俺がカバー役として立つ。クサバスペシャルセットなら、じいちゃんと一緒に作った経験も、何度かあるのだ。
「一応聞くけど、“靏玉”には好き嫌いとか、ある?」
「妾は数多くの賓客を持て成し、或いは逆に持て成されてきた、大人物ぞ?食卓での弱点なんぞ、とうに克服したわ」
「あ、っそう。それじゃあ——」
——“奔獏”は?
背中越しで分からなかったけど、きっと顔を見てたとしても、何も読み取れないだろう。
そう簡単に動揺してくれる相手じゃないし、
「なんじゃ。分かるのか、ツマランの」
こいつもそこまで、本気で隠すつもりじゃなかっただろうから。
「能力で“火鬼”の魔法を復活させたっていうのは、聞いてたからさ。歴史改変で葬られてる奴まで呼べるって言うなら、こういう霊媒師みたいな真似ができるかもって」
「まあ、ここにいる妾は、厳密には死後の妾ではなく、生前に写されたバックアップじゃがな」
「そしてそれも、永遠には続かぬ」、
なんとなく、そうなんじゃないかとは、思っていた。
そいつの能力が「遅らせる」ことなら、先延ばしには出来ても、永遠にはできない。
「じゃからの。妾には、奇跡が必要じゃ。世の理に逆らい、無から有へと再生する、復活の奇跡が。故に、」
「この世のものじゃない、“可惜夜”が欲しいって?」
「左様。その力があれば、完全復活の望みが繋がる」
んで、「じいちゃんが人質」、ってことにしたわけだ。
「さあどうする、日魅在進。妾の要求を呑み、その男を救うか?それともオヌシの我を貫くか?」
毎度の如く、「究極」の選択、ってわけだろう。
えげつないことを考えやがる。
確かにこの賭けは、彼女が取れる手段の中でも、悪い方ではないんだろう。
勢いで誤魔化せる可能性だってある。
「俺からの提案としては」
同時に、彼女が本当に追い詰められているのだと、もう打つ手が無いのだと分かり、なんとなく、寂しくなってしまった。
「美味しいナポリタンを食わせてやるから、それで“お礼”ってことでどうかな?」
出来上がったものを3人分の皿に盛っていく。
予備なのか来客用なのか、余分な食器があって助かった。
「ほい。“クサバスペシャルセット”」
「……食い合わせも何もない『セット』じゃのう」
「文句言わずに食え」
ブツブツと、泡のような声を口の中だけで弾けさせるじいちゃんを、いつもの位置に誘導して座らせる。
フォークを持たせて、パスタを巻かせてから、喉に詰まらせることをちょっと心配し、すぐに要らない気遣いだったことを思い出す。
「じいちゃんから感じるこの気配、“奔獏”と、“靏玉”、両方、感じるんだ」
「夢幻の如くなり」。
何かを遅らせ、時にはすぐに消えないよう、保存する。
「枯木死灰花開く」。
使い古した、衰えたものほど、強化されるローカル。
「お前は、じいちゃんの生死を交渉材料にしようとして、ここに来た。如何にも自分が、じいちゃんをこうしたみたいな態度で。でも……」
じいちゃんも、もう歳だ。
いつ、何があって、ぽっくり病死してしまっても、おかしくなかったのだ。
人間は、ほんのうっかりで、簡単に死んでしまうのだから。
「お前は瀕死のじいちゃんを見つけて、だけどもう、手の施しようがなかった。だから、“奔獏”がギリギリで『星』に保存していた、最期の状態を死後に喚び出して、“靏玉”の能力で、なんとかここまで持ち直させた」
じいちゃんはもう、死んでいる。
冷静になって、その体に触れた時から、それが魔法生成物に近いと、気付いていた。
人間をデータ化してネット上に再現して、色んなシミュレーションを体験させて変化させる、みたいなSFがあるけど、それと同じだ。
コピーされた上で加工された、じいちゃんの複製でしかない。
「フン。魔学に関することとなると、オヌシが異様に細々しいのを、忘れておったわ」
「俺にとっては、じいちゃんの死に目に、疑似的にでも立ち会わせてくれたことになるからさ。だからまあ、そのナポリタンは、『お礼』ってことで」
「オヌシの家族を人質に取ろうとし、今も愚弄しているのは、間違いではないのじゃぞ?」
「でも、実際にやったことを見たら、『最後の時間をくれた』、ってなるだろ?」
思えば、おじいちゃんとおばあちゃんの時も、こいつは死んだ家族と会話させてくれたのだ。
俺に利するつもりはなかったと、それは分かる。
だから余計に、不思議な巡り合わせを感じざるを得ない。
「よく考えよ。オヌシの住む街を火の海にした、あの頭トリガーハッピー女の一味じゃぞ?数々の大量殺戮の黒幕じゃぞ?礼を言うなぞ、どうかしておる」
「“千総”のことなら、お前が死んだ後の暴走だから、お前を恨む理由にはならないし、それ以外は……、うーん、結局俺が、“靏玉”が率いるリーパーズから、実際に受けた被害って言うと、俺か友達の殺人未遂くらいだし………」
それもはた迷惑な話だし、その程度で済んだのは結果論なんだけど、「呪い続けてやるぞ許さねえからなあ!」、っていうテンションで語ることでもないと言うか。
「俺は、全部の事情を知ってるわけじゃないし、きっとお前達を含めてみんなが、それぞれの思う最善をやってただけなんだと思うし、だとしたら正しさを背景にしても的外れで、だったら俺個人の感情でしか怒れないって思うし」
勿論、色んな人が殺されて、奪われた人達はこいつを恨んでて、言いたいことが山と積まれるほどあって、だから彼らが赦されることはないと思う。
だけど俺は、それをどうこう言う立場じゃない。
少なくとも、俺が「罪」を糾弾するのも、「何様だよ」って感じで、なんか違う。
「俺はさ、恨んだり憎んだり怒ったりは、俺の届く範囲限定にしようって、そう思うんだよ。頼まれてもないのに、誰かの無念を勝手に分かった気になって、背負ってあげようなんて、おこがましいって言うか」
じゃないと、分からなくなる。
最近、俺の周囲で、沢山死んだ。
誰が、何が悪かったのか?
暗殺だったりテロだったりを企てた馬鹿か?
そういうのに狙われてる俺がそこに居たからか?
それともいつか、カンナが言ってたみたいに、もっと色んな理由が絡み合った、偶然なのか?
きっと、全部だ。
世界中、宇宙全体、過去の堆積。
色んなもの全部が、この現在を作っている。
そして俺は、それらを完全には、理解し切れない。
「分からないこと」を無視して、全部を憎んでいたら、きっと何かを見失う。
いつかの俺みたいに、全部を自分のせいにするか、
その反対に、理由をまるごと外に押しつけるか。
いずれにせよ、それは思考を止めることと同じだ。
間違えたまま、二度と改善されないという、絶望を受け入れることだ。
「分かろう」っていう努力の放棄だ。
「今の俺には分からない」、そう保留するのとは、雲泥の差。
「なんでもかんでも、全ての正しいことを自分のものにしよう、とか思わない。分からないことは、分からない。お前達がやったことは、どんな理由があれ、罪だとは思う。思うけど、それを裁く立場じゃないから、何もしない。
俺も、誰でも、間違ってることだらけなんだから、『間違えたから』お前を憎むなんて、面の皮の厚いことはできない。
その牙が俺を傷つけなくなった今、反撃もしない。
俺は、俺の理解が及ぶ範囲だけで、俺の感情を決める」
俺に言えるのは、俺の気持ちについてだけ。
呪いの言葉を吐きながら、目の前のこいつを絞め殺しても、俺の気は晴れない。
こいつに殺された人達はもう“居ない”んだし、だから何をやっても彼らには関係ない。
残された側の誰か、その恨みの代弁として、こいつを嬲るのも、やりたくない。
慰めにならないどころか、気分が悪くなる。
復讐心に燃える人達はともかく、俺はそうだ。
「だから、俺はやらない。お前に苦しんで死んで欲しかった人には、申し訳ないと思わないでもないけど、運が無かったって諦めて貰うしかない。
道徳とか正義とかじゃなくて、感性とか嗜好の話なんだ。
俺はやりたくないし、やるべき理由もないから、俺はやらない。俺はただ、お前に助けられたことについてお礼を言うし、なんだかんだ、お前が死んで寂しい気持ちもあるってだけ」
全部、こいつのせいにして、スッキリ終わらせるのが、賢いのかもしれない。
顔も知らぬ誰かに感情移入出来る、優しく人情に溢れた、優れた人間性の在り方として、こいつに怒るべきなのかもしれない。
だけど俺は、分からない。
殺された人達や、残された人達の気持ちが、どちらも分からないように、
目の前のこいつの気持ちが、
どうするのが正しい行動なのかが、
何に対して怒ればいいのかが、
分からない。




