2061/8/31 03:00~2061/8/31 04:00 part2
「9年前の10月10日」
壁に寄り掛かっていた乗研が、出し抜けに口を開いた。
「あの永級窟害の日、お前はあそこに居たのか」
「ど……っ、どうして、そう、思うのですかねぇ……?」
「ほらよ」
彼が指で弾いて飛ばしたのは、黄金板の欠片。
それがテーブルの上で跳ねて、天王寺の前で止まる。
そこには、彼の肩を叩く二人が、日魅在進・衛兄弟の幻姿が映っていた。
「……!これ、は……!?」
「それがお前の“望み”だ。罪悪感からの解放、ってところか?」
それは彼が、「許されている」場面だ。
「思えばあの頃、俺達が調べてたのはそれだった。NPOって、良いモンの仮面を被った偽善。心ある団体の足を引っ張って、慈善事業ってカテゴリを腐らせるクソ愚行」
吾妻、乗研、紋汰の3人。
当時、彼らが目を付けていた悪。
「あれで遠山が動いたとすると、悪事の規模と反応の過敏さが釣り合ってねえからよ。じゃあ別件かと、今の今までそう思ってたんだがな」
漏魔症の運動を安全な枠内で制御する為、丹本政府が設けたパーツである、天王寺とその団体。
それを、世界に漏魔症のパラダイムシフトを起こすことに、そっくり利用する。
諸国家諸勢力の思惑の絡み合い。
そこまでの話に触れてしまったと言うなら、対処の速さや乱暴さにも説明がつく。
遠山の御主人である三都葉家は、クリスティアから利益供与を受けていたのか、それとも詳細を知らないままに、間接的な処理役として利用されたのか。
「帳簿データを我々に提供した人間は、日魅在進の周りに眠る不祥事を探していた」
天王寺の隣に立つニークトが話を繋ぐ。
「そして、奴の兄である日魅在衛が所属していた“ドント・シュリンク・アローン”、そのキナ臭さを感じ、更に漏魔症擁護の中心であるあなたが、それに関わっているところまで突き止めた」
漏魔症全体のイメージと共に、日魅在進を一発で失脚させることも可能な、最強の一手。
けれど彼女は、そこに何か良からぬ気配を感じ、それ以上は踏み込まずにデータを塩漬けにした。
「大した嗅覚だ。少なくとも学生時代の俺よか賢い」
「あなたは当時、日魅在衛と面識があった。例えば彼が、自身が所属する団体に、海の向こうとグルになった不正の気配を見て、それをあなたに相談したとしたら、どうなるだろうか?」
天王寺はその場は誤魔化し、上の人間に指示を仰ぐ。
この場合の「上」とは、丹本政府ではなくクリスティア外資だ。
でなければ、もう少し穏当な手段が取られた筈だから。
そして聞かせられた決定に、彼は唯々諾々と従った。
「あの日、理由は忘れたが、俺達はあの街にいた。一方その頃、日魅在の家族も同じ地域まで来ていた。偶然だ。偶然だったが、テメエらからどう見えるかは、別だ」
嗅ぎ回っている要注意人物達が、疑問を抱いた関係者から情報を引き出そうとしている、そう映ったのだろう。
妨害するべく何人かが送り込まれ、そこで丹本史上最大規模の窟害が発生した。
「デカい災害に乗じて殺しちまえばいい。モンスターが死体処理まで全部やってくれる。現場の暴走か上層部からイカれちまったのか知らねえが、ライブ感でそういう話になったんじゃねえか?」
乗研達の許には、遠山が、よく見知った教師がやって来た。
同じように、潜行者である日魅在衛をスムーズに騙し討つ為、刺客とセットで天王寺が会いに行くのも、有り得ることではないか?
「それで、意識がねえ末っ子以外、一家惨殺かよ。なるほど、『仕方ない』ことだな?おい」
「違う!違いますぅ!私が彼と会った時、ご両親は既に亡くなっていた!彼の手で殺されていたのです!」
「はあ?言ってること大ヤバなんだけど、おっさん。デタラメ言うのやめれる?張っ倒そっか?」
「本当なんですぅ!ご両親が、モンスターになったってぇ……!」
室内の時間が、凍り付いた。
進の両親は、重度漏魔症を発症、異形化していた。
進の魔学回路が、罹患者の中でも複雑化が酷い方だったことも考えると、窟害発生当時、彼ら家族はちょうど異形化ライン上に居たと、そう推測できる。
衛は両親の成れ果てを殺し、進を背負って逃げていたのだ。
「それにっ!それに衛君を殺したのは私ではありませんっ!私を監視する役でもあった、桑方が、クリスティアの巨大資本の手先が……!」
「そいつがガキを殺すのを、黙って見てたってわけか」
「いやっ、当時は桑方も、それなりに若くて、年齢にそれほどの差があったわけでは……」
「あ?」
「ヒィッ!?」
組んでいた腕を解いて一歩前に出る乗研の剣幕に、天王寺は椅子から転げ落ちながら必死に釈明する。
「で、ですが私はっ!私は彼を殺したくなかったんですぅ!本当です!その証拠にほら、進君は助かってるじゃあないですかぁっ!彼は殺さなくてもいいだろうって説得して、避難所まで抱いて運んだのは、この私ですっ!私の良心こそがっ!彼を救ったんですぅ……!」
腰の下が上手く動かず、ずりずりと這うように乗研から離れ、ニークトの足に縋りつく。
「私が彼の、本当の命の恩人なんですっ!私に理性があったから、だから彼は成功して、今まで幸せに生きていたっ!考えることをやめた他の罹患者とは違うっ!私は、人の為を思える人間ですぅっ!」
言葉もないとはこのことだった。
トクシメンバーそれぞれ、眩暈を起こしたかのように苦しげな顔を見合わせた。
「何を、どの口で、何を勝手なこと——」
我慢の限界を超え、今まさにぶん殴ってやろうと詰め寄りかけていた訅和を、詠訵が腕を掴んで制止。
それから床でおいおい泣いている天王寺の前にしゃがみ込み、子どもにそうするように視線の高さを合わせる。
「怯えなくてもいいんだよ?」、そう言い聞かせる。
「分かりますよ、天王寺さん。大変だったんですね」
「わ、わかって、くれますか……?」
「あなたは何も、選んでいない。選べなかった、そうですね?」
「そうなんです…!選べてさえいたら、こんな、こんな悍ましいこと、私はやりたくなんて」
「だったら協力してくれますよね?」
奈落から引き上げて貰ったら、そこは刑場だった。
「え………」
「今、あなたの前には、選択肢があります。あなたの力で、変えられるものがあるんです」
漏魔症の魔力操作、その2例目。
世界観を転覆出来る一手。
「漏魔症の人権が奪われることに、正当性が無いっていう証明です。分かりますか?あの人達を、人とは別のものとして扱うのは、少なくとも理屈上は間違いなんです」
「ま、ちがい……」
「そしてあなたは、それを正す助けになれる場所にいます。人権剝奪の前に、間違った認識を訂正して、取り返しのつかない過ちを止められる、その最後の地点にいるんです」
彼はそこで初めて、当事者意識に目覚めたようだった。
盤上の駒から、指し手に成った。
「これを逃したら、もうチャンスがないんです。あなたも含めて、今の人達の罪として、ずぅぅぅぅっと、歴史に刻まれちゃうんです」
天王寺が行動しなかったせいで、
存在した選択肢を見送ったせいで、
二度と消せない「間違い」が生まれる。
今回は、天王寺が自由意志で間違ったのだと、その謗りは免れない。
彼はもう、漏魔症が魔力を操れると、知ってしまった。
誰がなんと言おうと彼自身が、漏魔症の人権喪失、罹患者とそれ以外の論理的区別、それに理がないと理解してしまっていた。
彼は罪から逃れられない。
自分が直感から「悪いこと」だと認識している以上、どんな言い訳も無力となってしまう。
「選べるなら、正しいことを、するんですよね?」
そっと、両手で包み込むように、
「あなたは、正しい人ですもんね?」
彼女は、逃げ道を締め潰した。
「まさか、自分から間違ったことをするなんて、あるわけないですよね?」
天王寺から身ぐるみを剥がし、「YES」以外の全てを奪い、
「あなたは、悪人じゃあ、ないですよね?」
沈黙すらも、許さなかった。




