2061/8/31 01:00~2061/8/31 02:00
「『“ホワイトカラー”とは、直截的な貢献が出来ない出涸らしが、奢り高ぶる為のカスの言葉だ』」
「はい?」
漸く帰路に就いている車内。
隣の三枝から、彼らしからぬ汚い呟きが聞こえ、秘書は驚いて眼鏡の位置を直す。
「父が昔、私に言った言葉だ。『真っ白を求めるな。汚れたものを敬しろ。生きることは汚れることで、泥の重さは人間の勲章だ』、と」
無論、法の範囲内のこと、という前提は付くが。
「我々は、穢れそのものではなく、それを浴びて汚れた人間を、存在の芯から憎んでしまう。あの人はそれを嘆いていた」
「……惜しい人を亡くしました」
「同感だ」
今頃閻魔相手に、獄卒の待遇改善を認めさせている頃だろうか。
その姿がありありと想像出来て、三枝は少し愉快な気分になる。
三枝の父は、銃に撃たれて死んだ。
犯人は、復讐だと言っていた。
民衆はその熱意に大いに感じ入り、正義の執行者として神格化するほどだった。
連日連夜、その男の犯行が、如何に「仕方がなかった」か、それをメディアや識者が喧伝し続け、今でも「聖戦」として語り継がれている。
一人の力なき男が、悪を倒して世界を変えた、と。
世の中が気に入らなければ、自分の可哀想さを叫びながら、誰かを殺せ。
そのロジックが、通ってしまった。
あれから、暴力へのハードルは、随分低くなった。
排外主義者同士がぶつかり合い、極端さで目立つポピュリストが台頭し始めた。
誰も彼もが、表立って怒っていた。
怒っていいんだ。
それをぶつけていいんだ。
耐えるより、人を殺す方が、寄り添って貰えるんだ。
そっちの方が、正しいんだ。
そう理解した大衆は、融和よりも戦いへと走った。
誇りから来る忍耐を辞めて、“のど自慢大会”に精を出した。
カルトのような勢力が、国政へと食い込み始め、不安になった人々が言う。
「どうしてこんなに物騒なことに」、と。
あの時、あの男を否定しなかったから。
聞く耳を持たず、一笑に付さなかったから。
叫べば叫ぶだけ、頷いたから。
彼らの言い分を口で広める。
それだけのことが、テロリストへの援護・肯定になると、分かっていなかったから。
「先生、頑張りましょう。ここが踏ん張りどころです。やっとです。やっとあの方の仇を討てます」
勢い込む秘書に、
「勘違い、勘違いだ、それは」
三枝は首を振る。
「我々がやるのは、『仇討ち』ではない。継承、継承だよ」
「継承、ですか?」
「そうだ。何かをやられたから、血によって雪ぐ。その生き方は、父を撃った男の物語を、継承するに等しい」
それでは、彼の父の精神は、誰が受け継ぐと言うのだろうか?
人々の汚れを、不遇や不幸と慨嘆せずに、彼らの意義だと礼賛する。
その情報遺伝子を、誰が次に繋げると言うのだろうか?
「あの男の物語は、今や派閥問わず、到る所で継がれている。我々はそこに対抗するが、それは人間と対立することを意味しない」
10年先、100年先の国全体を見ながら、人の献身に報いる政府を。
9年前、土木や特異窟関連企業を見捨てたような、あんな裏切りを許してはならない。
至近で聞こえる騒音に屈し、黙する巨人から誇りを奪ってはならない。
支える者達に、「承認されていない」と思わせてはいけない。
「我々が受け継いだのは、民の安全、安定を守ること。戦いを起こさず、戦わずして勝つことを至上とし、戦うなら確実に勝つ。それが、我々が持つ、無敵の城塞の物語」
クリスティアは、世界中の魔学的権威、貴種の避難先である、丹本国内においても、“均質化”を実行しようとしていた。
潜行者から、「特別」を奪おうとしていた。
その為には、十条にある軍事力放棄が、邪魔になってくる。
AS計画を成功させたとして、それら兵器を持てない丹本においては、潜行者の価値が温存されるから。
だから、丹本で度々過激な事件を起こさせ、市街地での魔力使用制限の緩和、国家権力の例外的武装解禁、そして銃火器が使えるように………と、段階的なロックの解除を図っていた。
お蔭で三枝の目指す、最新技術で武装することで、より安全にダンジョンや有事に対応できる戦士達、その未来図が近づきつつある。
「強力な武器も、最高の戦士も、国際社会での立場も、全ては民を守る為、だ。決して彼らを押さえつけ、傷つけ、復讐する為ではない」
「防衛隊には」国民を攻撃させない。
その一線を死守しているのも、それ故である。
「『間違いを思い知らせる』、『痛い目を見せる』、そんなモチベーションは削ぎ落とせ。唾を吐かれ、物を投げつけられ、あらゆる厄介事を押し付けられたとしても、『国民の生命・自由・財産を守る』ことに全力、その姿勢は一貫する。それが政治家の職務だ」
「人を憎むとは、職務怠慢、職務怠慢だぞ?」、
そう言われて秘書は、恥じ入るように見識の浅さを詫びた。
数分後、車は首相公邸に着いた。
政治的に重要な機能がある官邸のすぐ隣であり、古くは官邸として使われていた建物でもあるその内部は、城や高級旅館のように、オレンジがかって仰々しい照明や、真っ赤な絨毯で出迎えてくれる。
本音を言うと、プライベート空間くらいは、普通の住居が良かったという思いもある。
だが、彼のやろうとしていることの重大さや、父の例も考慮して、いつでも官邸に駆け込めるここを、居住場所としているのだ。
生活空間の大部分がある2階へ上ると、驚いたことに妻が待っていた。
「お帰りなさい」
「……着替えを取りに戻るだけだから、寝てなさいと言っただろう?」
こんな夜更けにまで付き合わせてしまったと、気遣わしげに肩を撫でる。
「あなた、お茶していかない?美味しい羊羹を頂いているんですよ」
「誰か詫びにでも来たのか?」
「まあ!羊羹は謝罪の隠語じゃありませんよ」
出会った頃と同じように、可愛らしくコロコロ笑う彼女に相好を崩し、少しだけ言葉に甘えることにする。
かつての閣議室を使ったリビングで、二人は静かに安息の一時を過ごす。
「着替えなら、わざわざあなたからいらっしゃらなくとも、どなたか送って頂ければいいでしょう?」
「効率だけを求めるならね」
「少なくともあなたは、そういう人です」
何でもお見通し、とでも言うように、彼女は一つ一つ言い当てて見せる。
「ついでに私達の寝顔でも見て、自分を奮い立たせようって、そっちが本命じゃありません?あなたそういう、小心なところがありますから」
彼は両手を上げて見せる。
昔から彼女には、頭が上がった例がないのだ。
「それでしたら、こっちの方が効果的、でしょう?」
「全く仰る通りだね、名探偵殿」
「あらあら。私に探偵は無理ですよ。あなたのことしか分かりませんから」
羊羹という言い訳が無くなり、彼は腰を上げる。
見送りについて来る彼女を、護衛も見ていない階段上で、そっと抱き締める。
「苦労をかけるね」
「あなたは国を守っているのでしょう?その妻が家一つ守れないでどうしますか」
背中を優しく叩き合ってから、「いってくる」「いってらっしゃい」と短く交わし、三枝は1階へ。
護衛達と共に、官邸に移る。
そして人払いをしてから、普段使っているのとは異なるスマートフォンで、ある番号に掛けた。
『はぁい、ソーイチロー君』
たっぷりコール音を繰り返した後、そいつは電話に出た。
『どうも、わたしらが始末をつけないと、いけないみたいだね?』