2061/8/31 00:00~2061/8/31 01:00
『12時間、ですか』
内丙の一人、壌弌本家筋の男は、機械的に平らな声色で確認する。
『それは、何時を基準として、でしょうか?』
「8月31日開始時点で、カウントダウンがスタートした」
『本日午前12時までを目途に……、と言うことは、日の出から行動を再開するとして、』
「7時間以内に決着をつけたい」
窓に掛けられたカーテンから覗くと、光の魚が黒い海を泳いでいた。
この辺りでは、夜もまた昼のように、人によっては昼間以上に、精力的な活動時間だ。
『矢張り、夜間での作戦を強行するべきではありませんか?内丙の実働部隊なら可能です』
「こちらが数で優れる以上、視界の開けた平場こそが有利な舞台だ。視認性が不良な場所に、大軍が自ら入っていくなど、愚の骨頂。『堅実にやれば勝てる』とは、『堅実さを守らなければ負け筋を生む』、ということでもある」
「防衛大臣からの受け売りだがね」、
その防衛相も、部下から聞いた話をしているのだろう。
現場からの報告を纏めた上で、各所への配慮や調整も含めた、大局的な判断を下すのが、彼らシステムの役目である。
「各個撃破されて数を減らされ、待ち侘びた朝が折角来たのに、手薄になった部分を突かれて逃げられる。それではいけない。戦線離脱者を最低限に抑え、万全の包囲で朝日を迎える。それがベスト、ベストだよ」
あと5時間弱。
それだけの猶予が失われていくのを、じっと耐え忍ぶ。
暗い夜では、焦った者から簡単に足を取られ、崖を転げ落ちてしまうだろう。
歩みを止めて、万全に戦える機へと備える。
そういう“待ち”の行動が出来る気の長さもまた、プロフェッショナルには求められる。
「日の出を待ち、隠れられるところを潰し、最高の状態で待ち受けろ。今を逃す代わりに、確実な将来を見据えろ」
「作戦行動中の各員、HQ、別命あるまで現状維持」
『容疑者は天観山に潜伏した模様です。現在警察車両が主要道路を封鎖しており——』
「だーからー!しーりーまーせーん!依頼の内容はプライベートにも関わったりするから、大事なことは所長だけ把握してることが多いんです!私は細かいこと聞かされてません!」
「私達も行くべきです!」
やたらと縦に長いテーブルを叩き、詠訵がニークトに抗弁する。
「今こうしてる間にも、丁都警視庁の使える人員全部使って山狩りとかされたら、ススム君達に逃げ場なんかなくなります!」
「ちょっ、ヨミっちゃん、落ち着いて……」
「捕まっちゃったら、私達じゃ何も出来なくなっちゃうんだよ!」
「そうだけどさ…!」
ルカイオスが丁都に持っている、ニークト用の邸宅。
丹本の景観としては異質な、洋風の屋敷の一室、来客用の食堂で、1年生を除いた在校トクシメンバーが集まっている。
「いや、今動くべきではない」
自分なら進を見つけられるから、今すぐ助けに行ける。
そう主張する彼女に、ニークトは頑として頷こうとしない。
「奴らは、日魅在を簡単に捕捉できないからこそ、手を出しあぐねて、立ち往生している。お前がそこに飛び込んで、あいつの居場所を特定してくれるなら、向こうからすれば願ったり叶ったりだ。前倒しで大規模検挙が始まるぞ」
「でも…!」
「ミヨち。私もサトジに賛成」
「六ちゃんまで!」
「あーしらの強みは、少なくとも今はマークされてないから、ガン張り付きとかもされないところっしょ?ってことは、バリバリにフリーなワケ。その自由時間、使わない手はないっしょ」
六本木の言う通り、彼らの今の位置づけは、進側の陣営にとって、数少ない有利点だ。
それを衝動的で感情的な吶喊で使い捨てるより、価値を最大限に引き出して、美味しい思いをむしゃぶり尽くす方が、後に繋がるというものである。
「今から行ってカミザを拾って、それでおけ、って話じゃないっしょ?相手が国だって言うなら、『マジこいつ捕まえるの萎えぽよ』って思わせないと、解決になんないじゃん?」
「う………」
そう。
反社会的勢力や、異国からの刺客、テロリストやモンスターを相手にするのとは、わけが違う。
日魅在進が帰属すべき共同体との、利益や正義の食い違い。
起こっているのは、どうやらそれだ。
ならば、敵を倒せば万事解決、という話ではない。
どうにかして、国が進を敵視する、その意思から挫かなくてはならない。
ちょっとした優位では、そんなことは出来ないだろう。
ならば、小さな有利を、出来るだけ大きく拡張し、最大に強化してから挑むくらいでなければ、勝利など望めない。
「私には分からない話ね」
トロワはニークトが淹れた紅茶を一口飲んで、その熱さを溜息として吐き出す。
出された皿はすっかり空になっているが、そのほとんどが彼女によって食い尽くされていた。
「信念があれば、その為に国を捨てるってことも、あるでしょう?」
「出来るだけ多くを拾って、大切に守りたいって、そういう信念もあるんですよ」
「それはまた強欲な信念もあったものね」
「あの子らしいけれど」、
そういう彼女は、進の危機に駆け付けている事実だけを見れば、彼の為にこの国を捨てても良いと、そう思っているようにも解釈出来た。
「詠訵、お前が日魅在を本当に、この国に受け入れられるままにしておきたいなら、」
帰れる場所を用意しておきたいなら、
「相応の手順が要る」
策と入念な準備、どちらも必要になる。
「その『ユートくん』ってキッズが、バリバリに魔力操れるって、それを証明すればよきっしょ?」
「でも、魔法じゃなくて魔力だからねぃ……。大勢の前で寄ってらっしゃい見てらっしゃいしたところで、観客に見えなきゃどうしようもないし」
かと言って、魔力を測定できる機関に持ち込むのも、微妙なところだ。
国に喧嘩を売りたい人間も、漏魔症に喜んで協力してくれる人間も、どちらも非常に少ない。
と言うか、国に不満を持つタイプは、そのままローシに対して「無駄遣い」と憤っている場合が多い。上述の条件は、見事に互いのカバーできない範囲を、補い合っている関係と言えるのだ。
「本格的な設備があるところであれば、国との距離も近いから、最悪全く逆の結果を出してくることも有り得る……」
「じゃあ規模が小さいトコってなっても、世間から信用されないんじゃあ、意味がありませんよね……」
そう、大衆から見て妥当かどうか、それもまた高過ぎるハードル。
「漏魔症は安全です」という主張は、そもそも感情的に受け入れられにくい。
罹患者が実行犯であり、憑依現象まで起こされた浪川テロの後からは、それがより顕著になっている。
人は合理を説かれても、納得しないどころか、却って頑なになるものである。
正しいことより、楽しいこと、感動できることに流れ、間違った熱狂で社会を壊す。
愚民の常の変わらぬことよ。
「それにこの場合、潜行界隈からの反発が、一番大きいでしょうね」
「漏魔症罹患者と潜行者の差を、ほぼ無くすみたいなものだからねぃ……」
憑依には、魔学回路が利用される。
罹患者がモンスターになったのは、魔力操作が出来ないせいだから、回路を持っていても潜行者は大丈夫。
その一線が破られてしまう。
魔力を操ることが出来るなら、漏魔症でも憑依を防げる、という方向に行くのが理想。
だが現実問題、これまで下に見てきた相手の認識を、急に上方修正するなんて、心が疲れることはしたくない。
そんなことより、潜行者も漏魔症みたいに異形化する、そう思うことでどちらも蹴落とす方が、遥かに気が楽なのだ。
潜行者は非日常であって欲しい。
日常から追い出したい。
その圧を日々感じている潜行者達にとって、罹患者と自分達の間に殆ど差異がないという結論は、追放刑を確定させる証拠に等しい。
進が公表しようとしている事実は、大多数の人間から歓迎されない。
もしかしたら罹患者達からすら、「余計なことを」と後ろ指を差されるかもしれないのだ。
感性に響くように発表し、一時的であっても、熱を、テンションを作り上げる。
ただマスコミにリークするだとか、そこらの魔力計測装置を持ち出して来るだとか、そういうことでは足りないのだ。
知った側を乗せる流れを、大波を起こすより他にないのだ。
「その手段と、舞台。それらを用意できるのは、まだ手を回されていないオレサマ達だけだ」
外堀を埋める作業は、渦中に居ない彼らだからこそ、進行可能。
「つまり、感動ポルノやって、勢いで持ってこう!ってことだねぃ!」
「………言い方が非常に引っ掛かるが、それでいい」
「それなら、今回問題になっているのが、6歳児なのは良かったのじゃないかしら?ああいう人達って、可哀想なものに弱いでしょう?」
「それな。みんな子ども好きがち。まあそんな子どもが巻き込まれてるのは、マジおこでガチ最悪なんだけど」
「『可哀想』………」
詠訵はそこで、何かを思い立ったかのように、じっと考え込んだ後、
「あの」
ポケットの中から、USBメモリを取り出した。
「ちょっと、お見せしたいものがあるんですけど」