2061/8/30 22:00~23:00
『あなたを信頼していいのかね?Mr.サエグサ』
「当然、当然です。事態は完全なる制御下にあります。キーンケ大統領」
固定電話越しに、胸倉を掴むかのようなプレッシャーを放つ、厳めしい声音。
通訳を介して話している相手は、クリスティア合衆国の大統領である。
ということはそのまま、AS計画をよく知る者であり、先日のテロ事件で、三枝に一杯食わされた男、という意味も持つ。
元はと言えば、丹本だけを除外し、一方的な軍事圧力を掛けようとしたことが契機なのだから、同情の余地はないのだが、彼からすれば知ったことではない。
口では言わないが、「この前はよくも手を噛んでくれたな」、という茹で窯を腸に所蔵していた。
『しかしどうやら、そちらの捜査機関は、対象をロストしたと、そう聞き及んでいるが?』
「その後すぐに、再発見に成功しました。ご心配に及ぶほどのことでも御座いません」
『それは確かな情報かね?』
「少なくとも我が国の捜査の進捗については、あなた方よりも私の方が詳しいでしょう」
丹本がAS計画の、旨み部分だけ事実上齧り取る。その形に持って行かれたのが、よほど気に食わないらしい。
本来は味方側である管理職を捕まえて、矢の催促の的にする為に身柄拘束。
迅速な解決を願うなら、悪手であるとすら言えるだろう。
いや、これが単なる憂さ晴らしであれば、長官達とのオンライン会議に割く筈だった時間を使って、腹を探り合うのも吝かではない。
が、クリスティアの狙いは、こちらの足を引っ張るどころか、確立された数々を崩壊させかねない内容。
つまり——
『しかしやるなら、確実である方が良い。どうかね?ここは矢張り、我々に一任してみては』
「丹本国内に彼らの戦力を受け入れ、現地のトラブルを解決してもらう」、その構図を描くこと。
丹本の自治能力、独自内政への挑戦であり、AS計画の主導権争いだ。
注意深い交渉によって得た、“環境保全”からの最恵国待遇。
浪川テロで捥ぎ取った、新時代国際秩序のハンドル。
今回の件でクリスティアの言いなりとなり、丹本の体面、問題解決能力への信頼性が損なわれてしまえば、それらの優位が消し飛びかねない。
“環境保全”の方針を決める“提婆”。
あれがワンマン経営者のように、掌を返す事への躊躇いが薄いことも、これまでの付き合いでよく分かっている。
クリスティアが実例つきで、「こいつら使えないですよ」、「我々の方が能力的に優秀ですよ」と売り込めば、あっさり向こうに付くこともあり得る。
威厳とは、信用だ。
つまらないプライドではなく、確かな効力なのだ。
それを今、他でもないこのタイミングで、手放すわけにはいかないのだ。
大体、どれだけ派手にやったとしても、犠牲になるのは他国民で、責任は丹本政府に押しつけられる戦場。
そんな場所を提供したが最後、何をされるか分からない。
容認できない。
三枝の選択肢は一つ。
出来るだけ穏便に、角が立たないように、首を横に振り続けること。
世界にも、モンスターにも、彼らの手際を、疑わせないことである。
「何度でも申し上げます。お気遣いは大変ありがたいことでは御座いますが、我々にそれは不要であり——」
「総理はまだキーンケ大統領と?」
「会食が終わってから30分以上拘束されてるぞ……」
「最低限必要な許可や手続きは事前に済ませてくださっている。俺達だけで、収拾すればいい」
「先輩!ススム君今どこですか!……え?分からない!?探偵さんと連絡は!?」
「HQ、ライコ01、天観山付近にて目標捕捉。甲梨との県境である山岳地帯を目指し西進しているものと思われる」
色の暗い雲の形をした、浮遊物体。
観測手と共にその上に寝そべり、組み立て式の長柄魔具を構え、発射準備に入る者。
全長3mもの、「杖型」と言いつつ最早その用途では使えない、魔力調整・増幅器。
魔学的機構により、閉じ込められた電荷の塊を撃ち出すことができる。
前部分は2脚で支え、後端を肩につける衝撃吸収姿勢。
観測手が彼だけに見えるマークを、実際の風景の中に描き込んでくれる。
『ライコ01、HQ、発射許可は既に下りている』
「了解、制圧する」
カートリッジの装填は済んでおり、あとはグリップについたトリガー機構を握るだけ。
その視界が歪む。
対象との距離感覚を失調する。
「んぐ…っ!?」
狙撃の為に止めていた息をそこで吐き出そうとして、開いた口から容赦なく激流が入り込む。
『ライコ01、バイタルが乱れている。問題を報告せよ』
「ぐぼが、ぼ…っ!」
声はゴポゴポと膨らむ気泡となって弾け、サインを送ろうと端末に伸ばされた手は固められる。
横を見ると、観測手もまた、身体不随による痙攣を引き起こしていた。
溺れている。
そして手足の末端が、土に埋められている。
そして上から、何かが着地した気配だけがあり——
『ライコ01、報告せよ』
無線が虚しく呼び掛けるのを相手にせず、バチバチと僅かな電光を散らした、小さな雲がそこに近づく。
その光に照らされて、背景に溶け込んでいた映像投影型迷彩姿の黒衣が、二人で雲を掴む姿が現れる。
『政十さん、このまま次のポイントまでお願いします』
『来て早々、人使いが荒うてかないまへんな』
『無駄口は叩かず』
『はいはい、分かっとりますがな』
五十嵐は進から話を聞いた直後、甲都の特作班員と、政十の私設部隊である十影を、最速で丁都に送り込んだ。
片道2~3時間の弾丸ツアー。
新幹線という便利な乗り物によって、体力を温存したまま到着。
内丙を始めとする、総理派の戦力との暗闘に、滑り込みで間に合わせたのだ。
こうして漏魔症の未来は、張られていた網目を抜けて、山間部へと溶け入った。