閑話.一つの山を越えて part2
もう30年以上前の話だ。
当時の東南洋は、ある独裁軍事政権による虐殺と、それに伴う国家間戦争の爪痕がまだ新しく、その瘡蓋も剥がれぬうちから、内戦に次ぐ内戦で荒廃しかけていた。
その独裁政権のトップ、“ファースト・ブラザー”と呼ばれる男の尖兵として、徴発された少年兵の一人がシャンだった。
と言っても、彼の戦闘訓練が終わったあたりで、指導者亡き後の政権は倒れ、組織は散り散りになってしまった。
彼は部下となったチビ達を引き連れ、方々の地を渡り歩いた。
「国に尽くせ」と命じられ、それを果たそうと巣立った直後に、その「国」が事実上バラバラになったのだ。
洗い立ての脳を染め上げた忠誠心は、行き場を失くしていた。
生きる意味が、ある日あっけなく消えてしまった。
そんな彼が選んだのが、ダンジョンの平定という役目だった。
あちこちで管理不足となったダンジョンが、フラッグを起こして町を呑み込んでいた。
モンスターと武装組織の群雄割拠、それが当時、東南洋の一部地域の現実だった。
モンスターから人間の土地を奪回する。
それを使命と設定して、彼の隊は進撃した。
一つ、二つ、三つ目のダンジョンに着いた頃には、半分も残っていなかった。
成長期の青少年にとって、満足と言える食事さえ取れず、ガリガリに瘦せ細っていた。
それでも彼らは、止まらなかった。
ここで諦めたら、彼らはただの被害者になる。
親兄弟から引き離されて、楽しい時分を犠牲にしてまで、殺しのやり方と国の題目を、全身に叩き込んだ苛酷な日々。
泣いて助けを求めたら、あれが全部、要らなかったことになる。
無意味に辛い思いをした、惨めな不幸せ者でしかなかった。
そんな現実を受け入れるには、彼らはまだ若過ぎた。
彼らは正しい流れの中に居て、痛さにも苦しさにも正当性があったのだと、そう信じていたかったのだ。
そうして彼らは、地上に築かれたモンスターの巣に突っ込み、
後から来た、白地に昇る太陽のような、見知らぬマークをつけた男の手で、モンスター共々制圧された。
「小僧、よくやった」
瀕死の彼の前に膝を突き、治療をしながら男は言った。
「同じ戦士として、主に敬意を表する。主は守りし者の鑑だ」
その男は、これまでのダンジョンとの戦いの最中に出会った、どんな人間とも違っていた。
彼を見る目が含んでいたのは、恐れでも、憐みでも、侮蔑でも、怒りでもなかった。
言葉通り、肩を並べる対等な友軍として、彼を取り扱っていた。
男は彼の悲惨な生に、意味を持たせてくれたのだ。
後から知ったことだが、それは他の国から派遣された、世界でも有数の潜行者達だった。
国連の活動の一環として、暴走ダンジョンの鎮圧を進めていた、丹本防衛隊。
その最高戦力の一人という呼び声高い男が、彼を救った正村十兵衛だった。
「重ねたか?」
正村は傍らのシャンに訊ねる。
「何がどうしたって?」
「あの少年と、かつての自分を、同じと見たのか?」
「……まあ、なんつーかな」
どうせ悲劇なら、最後まで自分の手での抵抗はしてやろう、みたいな、諦めの悪さ、無謀さは、なんとなく似ているようにも思った。
「自分にはそれ以外にない」、そう凝り固まっているところも、そっくりだった。
「だけどよ、あいつにこの国を変えられる可能性を感じたのは、マジだぜ?」
そうでなければ、明胤への編入は反対していただろう。
そんな高望みでなくとも、もっと安全で堅実な道が、他に見つけられただろうから。
「俺はマジに、あいつを俺達の手で成長させることが、この国の為だって思ったから——」
だからまた、腰を上げることにした。
“あの男”のように、裏目に出ることがあるかもしれないが、それでももう一度、勇気を出してみる気になった。
「やっぱり俺は、この国に、あんたに、恩を返したかったからな」
自分の生を肯定した、第二の故郷。
かつての祖国も、待っていた筈の家族も、彼が持っていたものは、残さず消え去ってしまった。
そんな彼を拾ったのが、正村だった。
「見所がある」と、そう言って。
「矢張り、あの少年と主とは、よく似ているな」
正村は言った。
「主を拾うたのは、温情からではない。それがよくよく、解せたのではないか?」
「どうだかな?俺は別に、国と反社との面倒に関わること覚悟で、あいつを擁護したわけじゃねえからなあ」
「『ディーパーであることを辞める』と言った。公の地位を棄てるということは、それらから何者も守ってくれなくなるということ」
「そりゃあ、元々俺の脛に傷があるってだけだぜ」
あの強行軍の最中も、その後、正村と再会するまでの間も、彼は様々な武装組織、非合法勢力と関係を持った。
生き残って、また戦う為に、武器や食料が必要で、手段を選べる余裕はなかった。
その時の彼はまだ、「あの土地」に縛られていた。
全てが喪われた跡地で、故国の亡霊として、離れられず彷徨っていた。
組織の中には、丹本に勢力を伸ばしているものもあり、政府機関からマークされている者達も居た。
シャンの動向は、そこから正村に伝わったのだろう。
それは才の浪費だと、正村は彼にそう言う為に、わざわざ海を渡ってきた。
「負けたら一度死に、新たに我の懐刀として、生まれ直せ」、
そういう条件で勝負を始め、鞘に収まったままの刀一本で捻じ伏せられた。
そしていつの間にか、彼は明胤学園の編入生になっていた。
幾ら正村の名があるとは言え、どういった奇術を使ったのか、シャンは今でも不思議で仕方がない。
当時の“理事長室”は、何を思って承認したのだろうか。自分事ながら、「トチ狂っている」としか思えなかった。
ただ、裏切られた組織も、国の治安維持・諜報機関も、彼の丹本国籍や、公的地位の取得に対し、絶対に良い顔はしていない。
少しでも損になりそうだったら、丹本は彼を切り捨てるし、組織はメンツの為、報復に動くだろう。
「国に抱えられたディーパー」、それでなくなると言うことは、シャンの場合はほぼ死と同じだった。
けれど、日魅在進を含んだ特指教室は、世界大会を優勝し、「最強」を証明した。
彼は賭けに勝った。
だからこれは、祝勝会でもあるのだ。
「どうだよ?俺が引っ張り込んだ未来は」
「なかなか明るいと思わねえか?」、小皿に取った骨付き肉を、大口を開けて豪快にかぶり取る。
「今度こそ、あんたに一つ、返せたぜ?」
シャンが脂を舐め取りながら得意げに言って、
「ふむ、では次も頼むぞ。こんなものではまるで足りんからな」
正村は彼の役目が終わっていないと告げる。
「強欲ジジイが」、
シャンは笑って立ち上がり、会場の中心に戻っていった。
瀬史と星宿に捕まって、二人の間で小さくなる三谷と壱萬丈目を、そろそろ助けてやるかと思いながら。