閑話.一つの山を越えて part1
「皆さん、準備を……」
それぞれが自らの前に配られた分を手に取り、喉を鳴らして静かに合図を待つ。
ギラついた眼光が交わされ、獲物を前に腕を引いて構える。
「前置きは省略します」
彼らの意気を汲んだ星宿は、小さな体に大きく空気を取り込んで、
「一年お疲れ様です!かんぱーーーーいっ!!」
音頭に続けて重なる怒濤の喜声と、合わせられるグラスの高音!
今年度も無事に乗り切った事を祝う宴が、貸し切られたパーティー会場で盛大に始まった!
「イェー!コレニ参加スル為ダケニ、非常勤ナンテヤッテルンダゼ!!」
「それは……、職責として、どうなんでしょうか……?」
両手にジョッキを持ちながら本音をぶっちゃけるオットーに、苦い顔をしながら今日のところは見逃す三谷。
明胤学園で働く職員のほとんどが参加する、大人だけの毎年恒例行事。
費用はなんと理事長の自費から出ており、誰でも気兼ねなく無礼講で参加する場として、提供されている機会である。
少しくらい羽を伸ばし、羽目を外すのも目溢すべきだろう。
これは教師という重責を労うものであると同時に、教職とそれ以外のスタッフ間でも、結束を高めるという意図もある。
明胤学園は教育機関だが、有事には要塞となることも想定されている。
その時、互いに敬意を持って、スムーズに命を預け合うことが求められる。
背中を任せていいか、そんなことを考える暇など、土壇場には存在しない。
だから予め、それぞれの命を軽んじないと、そう信じ合えるくらいの絆は、確立しておく必要がある。
様々な組織の息がかかった、幾つかの派閥が睨み合う、権力争いの園庭で、「仲良しごっこ」とは笑えるかもしれない。
けれど、そういう綺麗ごとが消えれば、その時こそ本当に空中分解しかねない。
そう考えると、この乱痴気騒ぎは、存外に重い意味を持つ。
最低限、「仲間」と言える。
それだけの人間を戦場で得るのに、どれほどの苦しみがあるか、想像できるだろうか?
この伝統は前世紀から続いており、たまに報道が「公的機関の職員による豪遊」のような、糾弾の文脈で書き散らすこともあるが、それでも維持され続けてきた。
そこであれこれ言ってくる、うるさいクレーマーの命を守る為、意地でも残すと決められていた。
腹に一物も二物も抱え、それぞれの目的意識を研ぎ澄ませる者達。
彼らもこの時間の中では、ただ純粋に楽しめていればいいと、三谷は感傷的になってしまう。
アルコールのせいなのだろうか。
「——で、そこで彼が言ったんですよ!『俺が全部カバーしますよ』って!その時の頼もしさと言ったらなくてですね!聞いてます?」
「聞いています。聞こえていますとも。ええ、素晴らしい生徒です」
と、山彪が早くも絡み酒をしていた。
三都葉姓の生徒を受け持つことになって、最近かなり張り切っている。
特指教室に負けたことも、更なる飛躍の材料にするべく、熱血ぶりを発揮しているらしい。
あれだけチクチクと詰めてきた同僚達に対して、フレンドリーに笑えるのは、鈍感なのか豪胆なのか。
ただ今回は、相手があまりよくない。
「山彪先生。白取先生はお酒が飲めませんから」
「大丈夫です。この厚い鎧がある限り、アルコールハラスメントなど蛙のツラに小便。ええ、鉄壁ですとも」
白取は能力が強過ぎる為か、常時酒に酔ってるような状態だ。
魔法をしっかり発動すれば、それらを制御できるのだが、それができないところで酒を飲むと、急性アルコール中毒になりかねない。
「ふん、その程度の目標、言うだけなら幾らでも言える。そんなもので満足しているから、あんな教室に足元を掬われるんだ」
「斯く言う枢衍先生も敗北されていたと、そう記憶していますが?」
「………」
教室としては勝利した八志にそう突かれ、無言のままスパークリングワインを呷る枢衍。
いつもなら気取って香りと共に味わうところを、一気に飲み干してしまったのを見ると、前段の一言がしっかり効いたらしい。
少し離れたテーブルでは、中等部を担当する職員が固まっていた。
そこに一人、初等部を管轄とする男が、挨拶回りのようなことをしている。
「彼女がご迷惑をお掛けすることになると思います。気難しい性格なのですが、能力だけでなく人間性でも“化ける”ポテンシャルを秘めています。表面上は問題児ですが真面目で努力家で、その真っ直ぐさが時に行き過ぎることがあるだけです。特別扱いとは申し上げませんが接して話をすることを恐れないで頂ければ——」
「もーそのお願い50回くらい聞いたドス!いい加減にするドス!」
「こういった重要事項は何度も確認をすることで認識のズレを修正する意義が——」
「似たもの師弟ドス!」
どちらかと言えばマイペースに巻き込む側のジャミーラが、愚直なタイプの壱相手に目を回していた。
あれも酒の席が為せる業か。
宴会特有と言えば、もう一つ。
「学園長!内閣仕込みの一発芸とかないんですか!」
「学園長!盛り上げが足りないですよ!」
「学園長!腹踊りって本当に実在する風習なんですか!?」
「ええい!お前達!明日から覚えていろ…!」
「そりゃないですよ学園長ぉー!」
「今日のことはもう言いっこナシ!明日に持ち越さず互いに忘れる!そうでしょう?」
「ぐぬぬぅ……!」
親しげに弄られている壱萬丈目というのも、なかなか見れない光景………いや、日頃もオブラートに包まれているだけで、こんな感じだったかもしれない。
「男どもの見る目がなくてですねぇっ!」
「分かります…!分かります…!」
そして空気を棘型に尖らせるような、物騒な空気を纏うことで、他者を寄せ付けない卓もある。
「つーっかこの仕事!食事に行くために時間を作るところからぁ!」
「そうですよね…!まず激務なのがいけないですよね…!」
出来上がって仮面が剥がれた瀬史と、さっきまで檀上に立っていた星宿である。
「おーおーミツのヤツ、すっかりいつものテンションだな」
それを遠巻きにしてゲラゲラ笑いながら、会場の隅で一人静かに飲んでいる老人の隣に座るシャン。
「で、あんたはシレッとお休みかよ」
「声を掛けられないものでな」
「気配を消しといてよく言うぜ」
仏頂面でちゃっかりしているところは、昔から変わらないと、彼は正村との過去を思い起こし、そのまま最初に会った時を思い出す。




