660.か、勝てない…! part2
「そして、思いやりのある味方が、彼らの攻撃によって脱落していくと、残るのは味方の振りをした搾取者、搾取者だけだった」
漏魔症人権回復運動は、「国と戦う者達」という物語に浸り、敵を政府機関と定め、反社会的集団、組織と結びついてしまう。
彼らの金稼ぎの為になる行動を、自分から熱心にやってくれる、なんともやりやすいカモ鍋達。
漏魔症も、
それを助ける者達も、
その名声は地に落ちた。
漏魔症罹患者とは、罪人の代名詞となった。
罹患者が集会を開くだけで、それは犯罪相談だと見られるようになった。
漏魔症関連の組織は白い目で見られ、大きく衰退、或いは解体されていった。
今や“シノギ”として使う目的以外に、彼らの支援を叫ぶ者は、ほとんど存在しない。
「それはっ!」
三枝が進を見る目には、痛ましさが差していた。
「それは、声が大きい、少数の人が、目立ち過ぎて…!」
この少年は、とても努力家で、勤勉だ。
だからこそ、分からないのだろう。
「海の底より深い悪」としての、“怠惰”という病のことを。
「居住区への隔離が、法律上強制でなくなった時、どれだけの罹患者が、転居申請をしたか、知っているかね?」
自分の足で歩きつつ、時には人に頼り、時には大きな力に助けられる。
それが進にとっての普通だ。
だから時間と共に、その数は増えていっている筈だった。
「今日まで累計で、およそ3000件程度。そのうち9割強が、別の居住区や、同居住区内の別の部屋への転居を望んだケースだ」
丹本国内に1000万人。
なのに半世紀あって、外に出ようとしたのが、2~300件。
素行等の問題で受理されなかったものや、後に出戻ったものを除くと、50件もいかない。
年に1度あれば驚くような、極めて稀な事象。
「漏魔症罹患者というレッテルを外し、ただの人になる。それを彼ら自身が、望んでいないのだよ」
少なくとも、後から「実はこう思ってました」なんて言われたとしても、通らない。
主張は声の大きい過激派に任せ、自分達は行動として、「誰にも貢献しない」、「偏見から抜けようとはしない」、という意思表示をして見せた。
ならばそれは、丹本という国のシステム上、「そういう意見表明」として受理される。
それ以外に、理解のしようがないからだ。
「君にも心当たりが、ないわけでもないだろう?君が潜行者として稼ぐことを、居住区の者達は歓迎しただろうか?」
進の顔が蒼褪める。
身に覚えがあると、そう答えているも同然。
漏魔症の身で彼が成功すると、支援金不要論が生じてしまう。
進の成功を最も憎んでいたのは、「漏魔症は成功できない」という神話を守りたかったのは、罹患者側のコミュニティだった。
「君の居住区の職員が、祖父母君からの手紙を握り潰した、嫌がらせの件もそうだ」
「え…、え……?は……?」
「当該職員からの聞き取りで、あれは住民から頼まれたことだと、そう判明した。君の心を折る為だと」
職員からすると、罹患者達は反社集団のように見えている。
だから集団で詰め寄られ、執拗に要求されて、つい「これくらいなら」と従ってしまったのだろう。
「自立支援は、彼らの意にそぐわぬものだった。彼ら罹患者は、人間になりたくなどないんだ」
進の背が落下するみたいに部屋の一面にぶつかり、叩きつけたかのような鋭く渇いた衝撃が響く。
肘をつき船を漕いでいた、麦わら帽子が「うぁっ?」と意識を戻す。
「彼らは今の地位を気に入っているんだよ。悲劇の主人公で居ることを許される、今の世の中が」
彼は、何かに当たり散らしたかったのではない。
ただ、卒倒しそうになったのだろう。
壁に貼り付いて体を支える両腕が、それを如実に語っている。
「だがね。何の貢献の意思もないどころか、反社会的組織の肥やしに進んでなる者達を、このままの待遇に置いておくのは、政府としても本意ではない」
その構図を放置したら、真面目に生きる者達に、「見捨てられている自分は、国にとってあいつらより下なのか」、そういう空しさを生んでしまう。
それどころか、「漏魔症は政府から見捨てられている」という言い様は、罹患者達内部にその間違った認識を植え付け、極端な行動を生み出す引鉄にもなる。
毒だ。
罹患者達は、今や現代丹本を蝕む、毒となったのだ。
放置など、出来はしない。
「我々、国政を担う者達の仕事は、それぞれの勢力の要望と、社会秩序や実現性、それらのバランスを取ることだ」
国民は、漏魔症罹患者を、敵扱いしたい。
罹患者は、特別待遇のままでいたい。
どちらにも偏ることなく、全員がほどほどに満ちて、ほどほどに足りず、誰も爆発せず、出来るだけ安全、安定のまま、終わらせることができる一手。
それが、漏魔症罹患者を、人間でないものとすること。
「彼らを生かす金は、ダンジョン対策の経費となる。無駄遣いではなくなって、道具としての敬意が払われる」
時が過ぎれば、罹患者達から「人間」の自認を奪うことが出来る。
主人と良い関係を築く奴隷が居たように、罹患者の未来は必ずしも暗くはない。
「でも……、そう…、潜行者から、仕事を奪ったり、とか……」
「ダンジョンだけが彼らの活躍の場ではない。加えて、私の新規範構想において、彼らには重大な役どころが与えられる」
「なにを、させるんですか……?」
「罹患者達の後ろに控える、セーフティーだ」
遠隔爆破という保険があったとしても、反乱の不安は拭えないだろう。
罹患者だけで対処できない窟害も、あるかもしれない。
だから、潜行者という羊飼いを用意する。
安全弁は、多ければ多いほど良いのだから。
「潜行者も含め、国民の死者数も減少させられる」
「罹患者を、たくさん殺して、ですか…?」
人柱を使って、荒ぶる自然を鎮める聖職者。
そんな、古めかしい様式が、復古されている。
そしてその立場は、潜行者にも、罹患者にも、「特別性」を与える。
彼らの中に、優越感のようなものが生まれ、「誇り」が確立される。
「間違ってる…!そんなの間違って……!」
「そうとも、『間違っている』。数多ある間違いの中から、最も多くの人間が耐えられる間違いを選ぶ。それが民主主義だとも」
双方合意の上で、新たな構造を作り出す。
「改革、改革だ」
「せめて、せめて罹患者側に、改めて、どうしたいか聞いて……」
「その意思確認は、今回の事で済んでいる」
人は追い詰められた時より、強者の側に立った時に、その本音を覗かせる。
漏魔症罹患者達に力を持たせ、「何をしたいのか」炙り出す。
三枝はその機会を探していたが、向こうが勝手にやってくれた。
彼らは主張や交渉ではなく、破壊と殺戮に明け暮れた。
彼らが向ける矛先は、民より国家が優先だった。
国にどれだけダメージを与えられるか、それが主眼の反乱だった。
実行犯達の関係者も、固く口を閉ざし協力しない。
国民からの反感を買ってまで、政府がこれまでしてきた支援、試み、全てが彼らにとって、“恩”とは成り得なかった。
ありがたいことではなく、余計なお世話と考えられていた。
結論。
罹患者達は人間扱いされたくない。
これは彼らの多数が共有する、確固たる認識である。
その意思の固さと言ったら、警察に対して一言も口を利かないほどだ。
「潜行者で銃火器武装した罹患者を鎮圧できる」、
「丹本の戦力で、illに勝てる」、
それらの実証に加えて、罹患者の本音を引き出すことにも使ったのだから、三枝は今回のテロを、しゃぶり尽くしていたと言えよう。
「許される、んですか、そんなの……?そんなあからさまな差別、いいって、みんなが言うんですか……?丹本が良くても、クリスティアが良くても、他の国とか……」
「魔力を操作できない、その制御が不可能な漏魔症罹患者は、“憑依”という干渉を受けやすい。それ自体は歴とした事実であり、『穢れた血』のような言い掛かりとは異なる」
「いつ異形化するか分からないから、人とは違う扱いをする」、
その理屈が、通せてしまう。
AS計画の下準備は、クリスティアが先導して、勝手に整えてくれている。
各国の政府陣の首を、縦に振らせる用意はバッチリ。
そして計画の主導権は——
進に見られた麦わら帽子は、「あっ、終わった?おじいちゃんは話が長くていけないよねえ」と、これまでの話に一切感情を動かさない様子で、立ち上がって大きく伸びる。
「AS計画を乗っ取る為に、こいつらと手を組んだ、ってわけですか」
丹本だけが、illを戦力として使える。
今の地球に、彼らに逆らえる国などいない。
「日魅在進君。私は君を、高く評価している。個人的にも公人的にも、とても気に入っている」
進の心を八つほどにへし折った男は、それでも悪意を持っていなかった。
「君にも、“臨界兵団”の“羊飼い”になって貰いたいと、そう考えている。君の“右眼”の中の存在にも、核エネルギー飛び交う危険な最前線を用意できる。必要なら——」
彼に目配せを送られ、“提婆”は親指と人差し指で丸を作る。
「いいよー。偶になら、うちの子達とやり合わせてあげる。ただし、止めだけは、そこのガキんちょ以外がやるって、約束してくれたらね?」
三枝は、進に最大の誠意を見せていた。
情報を全て伝え、最高の条件を整え、総理派に引き抜こうとしていた。
「納得しろとは言わない。だが、理解、理解はしてくれ」
進が望む全てが、そこにあった。
「世の中の為を思うなら、こちらを選ぶべき」と、道が滑らかに舗装されていた。
漏魔症救済の為、その理想すら、無効化された。
あまりにも見事なもので、
彼が総理に下るだけで、八方丸く収まるようになっていた。
「政治」という戦い方、
その凄みの前に、
男子高校生はあまりに無力だった。




