660.か、勝てない…! part1
誕生から1960年代まで、世界中で猛威を振るい続けた、“貴伝思想”。
これは少数民族、犯罪者、障害者等、「生殖するに値しない者達」を、人間の遺伝的継続性から排除し、「貴く健全な遺伝子」のみを伝え残そう、という思想である。
悪い枝を剪定するように、植物や家畜の品種改良のように、人間全体を「あるべき姿」に整える。
この「理想郷計画」は、一時期人類社会を席巻し、「差別」という語が大っぴらに問題視されるようになるまで、強制断種、不妊手術や、虐殺といった形で実行されてきた。
丹本も例外ではなく、戦前は国策と反する為に励行されなかったものの、戦後になって「人口抑制」が叫ばれるようになると、一足遅れのブームが到来。
敗戦の混乱に乗じて“貴伝保整法”が制定され、1998年に母体保護の側面だけ残して大幅改定されるまで、何千件もの強制手術が実施された。
が、実は丹本がそんな法律を作っている頃、世界では「貴伝」ブームは冷めつつあった。
それは思想の危険性について周知が進んでいたことに加えて、断種の対象とされていた様々な疾患が、「遺伝するものではない」と判明し始めたことも大きな理由だ。
世界はこの思想を棄て、法案を廃止し、「誰にでも平等な権利を」、という方向へ舵を切っていく。
漏魔症候群罹患者の人権獲得とは、その過程で起こった潮流の一つである。
「世間的には感染・遺伝することになっているが、実際にはそんなケースがない疾患」として、漏魔症は代表格のような存在だった。
人類は「貴伝思想」が起こした、凄惨なる暴挙の数々に恐怖し、その後ろめたさによって、贖罪方法探しに血眼になっていた。
「漏魔症罹患者に人権を与える」、その大転換で以て、“清算”に充てようと考えたのだ。
そして丹本は矢張り、一拍遅れでその波を受け取り、“貴伝保整法”改定の翌年、罹患者の人権剝奪条項を含んでいた、“漏魔症候群防疫法”を廃止。
2000年には、“漏魔症候群罹患者に対する補償金の支給等に関する法律”が、
2005年には、“漏魔症候群の諸問題解決に関する法律”が成立。
漏魔症差別の克服、その第一歩がようやく踏み出された、
筈だった。
誰が悪かったかと言えば、過去の差別主義者達なのだろう。
けれども彼らを罰することはできない。
政府が責任を持つと言っても、法案成立の当事者達は、今は全員墓の下。
法律が簡単に変えられない以上、現役の政治家達がすぐにそれを撤廃できなかったからと言って、「政府は漏魔症を攻撃したかったのだ」という話には、必ずしもなり得ない。
事実として言えば、今の丹本は、漏魔症を助ける味方側だ。
人権が復活してから、半世紀以上。
国民のボリューム層となる者達も、ほとんど入れ替わっている。
そして、法や政府というレイヤーで言えば、既に漏魔症差別というものは、消滅している状態にある。
だがそれは、差別問題の解消を意味しない。
議員単位で見れば、今も漏魔症隔離法の制定を訴える者が、何人か議事堂に送り込まれている。
この国は、民主主義の国だ。
国の方針が傾こうとしている時、その背後に必ずあるものは、大勢の国民の要求である。
変えるべきは、民間、または民衆、彼らの意識。
罹患者の敵とは、国民の心の中に巣食う者達。
ならば、被差別側はどう戦うべきなのか?
「あなた達と変わらない」と、事実によって見せつけることが出来れば、それが一番早い。
政府に肩を貸されながらも、社会進出を果たしていき、自身が「ディーパーにはなれないだけの常人」なのだと、証明すること。
その証拠によって、根気強く人権と自由を説くこと。
そして、魔学的な疾患である漏魔症ならば、それが可能なのだ。
ダンジョンや魔法さえ絡まなければ、普通の人間でしかないのだから。
彼らが受け取っているのは、“補償金”。
法律や、前時代から続く偏見という、不可抗力によって叩き潰された、その償い。
失ったものの補填として、今は国の助けを借りている。
それは、これまでの詫びのようなもの。
それが無くても独り立ちできる、そこまで持ち直す時まで、貸し出されている杖みたいなもの。
足を怪我したのと同じ。
いずれ自分も、他の誰とも同じ、国を支える側となる。
時間が解決してくれる。
受け入れてくれさえすれば、選択肢は幾らでもある。
私達を働かせてくれれば、国が漏魔症を特別支える必要もなくなり、コストは減って労働力だけが増える。
今だけ、
今だけ優遇に目を瞑ってくれ。
そうすれば、あなたの将来も、国全体も、もっと楽になるから。
政府が考える漏魔症支援の、究極的な目標は、そこだった。
彼らが普通の働き手となり、一部の職種以外では、漏魔症かどうか問題にならない社会。
その願いを託されて、漏魔症は解放された。
「何故、失敗したのだと思うね?」
三枝は静かに、進の見解を、認識を訊ねる。
「……50年じゃ、人の思い込みは変わらなかったから……」
「本当に?労働者の顔触れも、政府中枢も、そっくり総入れ替えされる年月。50年とは、それほどのものだ」
公共事業による雇用の準備もあった。
大々的なキャンペーンを張って大人達に語りかけ、義務教育期間に反差別感情を刷り込んだ。
施策が始まった年に小学生だった者達が、今や50~60代。
子や孫といった世代の積み重ねで、認識のアップデートが何度も上塗りされる。
漏魔症問題が完全に無くなるわけではない。
けれど、もっと目に見える進展がなければ、不自然だとすら言える。
流れはあった。
反発もあったが、「差別撲滅」の勢いは、それに勝るほどに強かった。
何せその波は、世界を呑み込むほどだったのだから。
政府と法が、罹患者を人間にしようとした。
国民の半数以上も、漠然とでも同じ事を考えていた。
彼らに対抗し得るのは——
「罹患者を対象とした雇用創出に、真っ先に反対したのは、漏魔症の権利擁護団体だった」
政府の被害者である罹患者を、安い賃金で食い潰そうとしている。
政府と癒着した業者を潤す為、漏魔症の名を使っている。
彼らはそう言った。
「彼ら」。
それは連名だった。
ほとんど全ての漏魔症関連団体が、その反対運動に参加した。
罹患者達自身もそうだ。
国との訴訟をするまではいい。
本人だけでなく、その家族にも賠償をするのだって、当然だろう。
だが、“貴伝”思想撤廃後、新たに漏魔症罹患者になってしまった者達。
まだ偏見はあるものの、政府が敵だった時期を生きておらず、彼らの視点からだけで見れば、国から助けられてしかいなかった者達。
そんな人々までもが、特別雇用反対デモであったり、公への賠償であったり、とにかく政府との対決姿勢を露にし始めた。
漏魔症は、弁護士や市民団体の小遣い稼ぎの種に、変わり始めた。
「彼らの周囲に集まる者は言う。『お前達は被害者だ』、『もっと求めろ』、『もっと引き出す権利がある』、『お前はとことん救われなければならない』、と」
その悪魔の囁きに、罹患者の大部分は乗ってしまった。
漏魔症を理由に苦難を味わった者達は、いつの間にか、漏魔症でなくなることを恐れていた。
その病は、攻撃してはいけない者の称号であり、ステータスとなりつつあった。
不幸の言い訳であり、逃げ道となっていた。
呪いはいつしか盾となり、敵対者の口を黙らせる剣となった。
しかし畢竟、呪いは呪いのままである。
彼らは人の集合、集団の意識というものと、戦う度胸がなかった。
今まで自分達を苦しめていた、「漏魔症は人とは違う」という偏見。
それを利用して良い思いができると、そう分かった途端、喜んで促進し始めた。
偏見を覆すより、楽な行動に思えたからだ。
彼ら自身の手によって、差別は再生産されて、
次に潮目が変わった時、自分達が育てた怪物に喰われた。
「彼らは、自分達が政府から救済されていないと叫んだ」
彼らにとっては、被害者がする当然の主張。
けれど実は、著しく気遣いに欠けた物言いなのだ。
社会には、日々積もる不満を、大人として心の内に抑制し、システムを実直に回す者達が居る。
彼らは我慢強いからこそ、苦しんでいることが分かりづらく、被害者として見られにくい。
誰よりも強く、柱として国を支えているのに、その苦しさに誰も同情してくれない。
それでも真面目だから、責任感があるから、仕事を続けてくれている。
彼らから見ると、「この人達をなんとかしないと」、そう世間から認識されるだけで、格別の贅沢なのだ。
見果てぬ夢なのだ。
国を挙げての厚遇を受けておきながら、可哀想ぶる恩知らずがいたとしたら、彼らの心を大いに傷つけることだろう。
一方罹患者達は、自分の不幸の元凶である国家から、もっともっとと援助を強請った。
一生遊んで暮らせるようにしろ。それが、犠牲となった我々の人生に報いる、唯一の方法だ、と。
彼らは戦う相手を間違えた。
政府はもう、彼らの味方だったのに。
もう降伏し、全面的に協力をしてくれる、抵抗しない金蔓を、敵のままだと声高に叫んで、よってたかって棒で叩き続けた。
弱者はいつも、世の理不尽と戦ったりしない。
味方側につき、同士討ちを避けようとした者達を、自分より弱いから勝負を仕掛けてこないのだと勘違いして、止まることなく攻撃するのだ。
それは、自陣の弱体化だ。
そして政府のリソースは、他の国民の財産でもある。
国への攻撃は、国民への攻撃。
単なる偏見ではなく、現実として、
漏魔症罹患者の多数派は、物言わぬ納税者達の、敵となりつつあった。




