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ザ・リベンジ・フロム・デップス~ダンジョンの底辺で這うような暮らしでしたが、配信中に運命の出逢いを果たしました~  作者: D.S.L
第二十三章:呪いが解ける時

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660.か、勝てない…! part1

 誕生から1960年代まで、世界中で猛威を振るい続けた、“貴伝きでん思想”。


 これは少数民族、犯罪者、障害者等、「生殖するにあたいしない者達」を、人間の遺伝的継続性から排除し、「とうとく健全な遺伝子」のみを伝え残そう、という思想である。


 悪い枝を剪定せんていするように、植物や家畜の品種改良のように、人間全体を「あるべき姿」に整える。


 この「理想郷計画」は、一時期人類社会を席巻し、「差別」という語が大っぴらに問題視されるようになるまで、強制断種、不妊手術や、虐殺といった形で実行されてきた。

 

 丹本も例外ではなく、戦前は国策と反する為に励行れいこうされなかったものの、戦後になって「人口抑制」が叫ばれるようになると、一足遅れのブームが到来。


 敗戦の混乱に乗じて“貴伝保整(ほせい)法”が制定され、1998年に母体保護の側面だけ残して大幅改定されるまで、何千件もの強制手術が実施された。

 

 が、実は丹本がそんな法律を作っている頃、世界では「貴伝」ブームは冷めつつあった。


 それは思想の危険性について周知が進んでいたことに加えて、断種の対象とされていた様々な疾患が、「遺伝するものではない」と判明し始めたことも大きな理由だ。


 世界はこの思想を棄て、法案を廃止し、「誰にでも平等な権利を」、という方向へ舵を切っていく。




 漏魔症候群罹患者の人権獲得とは、その過程で起こった潮流の一つである。




 「世間的には感染・遺伝することになっているが、実際にはそんなケースがない疾患」として、漏魔症は代表格のような存在だった。


 人類は「貴伝思想」が起こした、凄惨なる暴挙の数々に恐怖し、その後ろめたさによって、贖罪しょくざい方法探しに血眼ちまなこになっていた。


 「漏魔症罹患者に人権を与える」、その大転換でもって、“清算”にてようと考えたのだ。


 そして丹本は矢張り、一拍遅れでその波を受け取り、“貴伝保整法”改定の翌年、罹患者の人権剝奪条項を含んでいた、“漏魔症候群防疫(ぼうえき)法”を廃止。


 2000年には、“漏魔症候群罹患者に対する補償金の支給等に関する法律”が、

 2005年には、“漏魔症候群の諸問題解決に関する法律”が成立。


 漏魔症差別の克服、その第一歩がようやく踏み出された、




 筈だった。




 誰が悪かったかと言えば、過去の差別主義者達なのだろう。

 けれども彼らを罰することはできない。

 政府が責任を持つと言っても、法案成立の当事者達は、今は全員墓の下。


 法律が簡単に変えられない以上、現役の政治家達がすぐにそれを撤廃できなかったからと言って、「政府は漏魔症を攻撃したかったのだ」という話には、必ずしもなり得ない。

 

 事実として言えば、今の丹本は、漏魔症を助ける味方側だ。

 人権が復活してから、半世紀以上。

 国民のボリューム層となる者達も、ほとんど入れ替わっている。


 そして、法や政府というレイヤーで言えば、既に漏魔症差別というものは、消滅している状態にある。


 だがそれは、差別問題の解消を意味しない。

 議員単位で見れば、今も漏魔症隔離法の制定を訴える者が、何人か議事堂に送り込まれている。


 この国は、民主主義の国だ。

 国の方針が傾こうとしている時、その背後に必ずあるものは、大勢の国民の要求である。


 変えるべきは、民間、または民衆、彼らの意識。

 罹患者の敵とは、国民の心の中に巣食う者達。


 ならば、被差別側はどう戦うべきなのか?


 「あなた達と変わらない」と、事実によって見せつけることが出来れば、それが一番早い。


 政府に肩を貸されながらも、社会進出を果たしていき、自身が「ディーパーにはなれないだけの常人」なのだと、証明すること。

 その証拠によって、根気強く人権と自由をくこと。


 そして、魔学的な疾患である漏魔症ならば、それが可能なのだ。

 ダンジョンや魔法さえ絡まなければ、普通の人間でしかないのだから。


 彼らが受け取っているのは、“償金しょうきん”。

 法律や、前時代から続く偏見という、不可抗力によって叩き潰された、そのつぐない。

 失ったものの補填ほてんとして、今は国の助けを借りている。


 それは、これまでの詫びのようなもの。


 それが無くてもひとり立ちできる、そこまで持ち直す時まで、貸し出されている杖みたいなもの。


 足を怪我したのと同じ。

 いずれ自分も、他の誰とも同じ、国を支える側となる。

 時間が解決してくれる。

 

 受け入れてくれさえすれば、選択肢は幾らでもある。

 私達を働かせてくれれば、国が漏魔症を特別支える必要もなくなり、コストは減って労働力だけが増える。

 

 


 今だけ、

 今だけ優遇に目をつぶってくれ。

 そうすれば、あなたの将来も、国全体も、もっと楽になるから。

 



 政府が考える漏魔症支援の、究極的な目標は、そこだった。

 彼らが普通の働き手となり、一部の職種以外では、漏魔症かどうか問題にならない社会。


 その願いをたくされて、漏魔症は解放された。


「何故、失敗したのだと思うね?」


 三枝は静かに、進の見解を、認識をたずねる。


「……50年じゃ、人の思い込みは変わらなかったから……」

「本当に?労働者の顔触れも、政府中枢も、そっくり総入れ替えされる年月。50年とは、それほどのものだ」


 公共事業による雇用の準備もあった。

 大々的なキャンペーンを張って大人達に語りかけ、義務教育期間に反差別感情を刷り込んだ。

 

 施策が始まった年に小学生だった者達が、今や50~60代。

 子や孫といった世代の積み重ねで、認識のアップデートが何度も上塗りされる。


 漏魔症問題が完全に無くなるわけではない。

 けれど、もっと目に見える進展がなければ、不自然だとすら言える。


 流れはあった。

 反発もあったが、「差別撲滅」の勢いは、それに勝るほどに強かった。

 何せその波は、世界を呑み込むほどだったのだから。


 政府と法が、罹患者を人間にしようとした。

 国民の半数以上も、漠然とでも同じ事を考えていた。

 彼らに対抗し得るのは——

 

「罹患者を対象とした雇用創出に、真っ先に反対したのは、漏魔症の権利擁護団体だった」


 政府の被害者である罹患者を、安い賃金で食い潰そうとしている。

 政府と癒着した業者をうるおす為、漏魔症の名を使っている。

 彼らはそう言った。


 「彼ら」。

 それは連名だった。

 ほとんど全ての漏魔症関連団体が、その反対運動に参加した。


 罹患者達自身もそうだ。


 国との訴訟をするまではいい。

 本人だけでなく、その家族にも賠償をするのだって、当然だろう。


 だが、“貴伝”思想撤廃後、新たに漏魔症罹患者になってしまった者達。

 まだ偏見はあるものの、政府が敵だった時期を生きておらず、彼らの視点からだけで見れば、国から助けられてしかいなかった者達。


 そんな人々までもが、特別雇用反対デモであったり、おおやけへの賠償であったり、とにかく政府との対決姿勢をあらわにし始めた。


 漏魔症は、弁護士や市民団体の小遣い稼ぎの種に、変わり始めた。


「彼らの周囲に集まる者は言う。『お前達は被害者だ』、『もっと求めろ』、『もっと引き出す権利がある』、『お前はとことん救われなければならない』、と」


 その悪魔のささやきに、罹患者の大部分は乗ってしまった。

 

 漏魔症を理由に苦難を味わった者達は、いつの間にか、漏魔症でなくなることを恐れていた。


 その病は、攻撃してはいけない者の称号であり、ステータスとなりつつあった。

 不幸の言い訳であり、逃げ道となっていた。


 呪いはいつしか盾となり、敵対者の口を黙らせる剣となった。

 しかし畢竟ひっきょう、呪いは呪いのままである。


 彼らは人の集合、集団の意識というものと、戦う度胸どきょうがなかった。


 今まで自分達を苦しめていた、「漏魔症は人とは違う」という偏見。

 それを利用して良い思いができると、そう分かった途端、喜んで促進し始めた。

 偏見をくつがえすより、楽な行動に思えたからだ。


 彼ら自身の手によって、差別は再生産されて、

 

 次に潮目しおめが変わった時、自分達が育てた怪物に喰われた。


「彼らは、自分達が政府から救済されていないと叫んだ」


 彼らにとっては、被害者がする当然の主張。

 けれど実は、いちじるしく気遣いに欠けた物言いなのだ。


 社会には、日々積もる不満を、大人として心の内に抑制し、システムを実直に回す者達が居る。

 

 彼らは我慢強いからこそ、苦しんでいることが分かりづらく、被害者として見られにくい。


 誰よりも強く、柱として国を支えているのに、その苦しさに誰も同情してくれない。

 それでも真面目だから、責任感があるから、仕事を続けてくれている。


 彼らから見ると、「この人達をなんとかしないと」、そう世間から認識されるだけで、格別の贅沢なのだ。


 見果てぬ夢なのだ。

 

 国を挙げての厚遇を受けておきながら、可哀想ぶる恩知らずがいたとしたら、彼らの心を大いに傷つけることだろう。


 一方罹患者達は、自分の不幸の元凶である国家から、もっともっとと援助を強請ねだった。

 一生遊んで暮らせるようにしろ。それが、犠牲となった我々の人生にむくいる、唯一の方法だ、と。


 彼らは戦う相手を間違えた。

 政府はもう、彼らの味方だったのに。


 もう降伏し、全面的に協力をしてくれる、抵抗しない金蔓かねづるを、敵のままだと声高こわだかに叫んで、よってたかって棒で叩き続けた。


 弱者はいつも、世の理不尽と戦ったりしない。

 味方側につき、同士討ちを避けようとした者達を、自分より弱いから勝負を仕掛けてこないのだと勘違いして、止まることなく攻撃するのだ。


 それは、自陣の弱体化だ。

 そして政府のリソースは、他の国民の財産でもある。

 国への攻撃は、国民への攻撃。




 単なる偏見ではなく、現実として、

 漏魔症罹患者の多数派は、物言わぬ納税者達の、敵となりつつあった。

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