656.社会を守る者同士 part2
「賢しらな顔をして、世の中のことを、何も分かっていないガキの話だ。学校の成績も良く、人脈もあり、全てが自分の思い通りになると、そう思っていた。彼は親族の中でも期待の星であり、父の地盤を継ぐことも確実視されていた」
彼は空を見上げ、世界を仰いでいた。
これからの時代、頭脳と情報が人を動かす。
自分の頭が、社会を良い方向に導くと、信じていた。
「17歳の誕生日、ちょうど今の君と、同じくらいの時分だ。彼は父に褒めて貰おうと、胸を張った。
『私は地べたを這いずり回り、人の言いなりになり、自分の体を売るしかない奴隷とは違う。人を使い、自らの手を振るわずに、世界を操る立派な人間になってやる』
そんな事を言った」
総理は庭園の方を向いて、何かを懐かしむように目を細めた。
「なんて、言われたんですか?」
「殴られたよ。鼻血が出るほど」
わ、わあお。
ノリが照輪と言うか………
「勘違いしないで欲しいのだが、厳格な父が手を上げたのは、後にも先にもその一度きり、ということだ」
「それほどまでに、救いようがないバカ発言だったんだよ」、
何故か総理は楽しそうだった。
「『住まわせること、食わせることの尊さが分からん奴は、社会に毒を撒く汚物だ。ゴミを片付ける困難さと崇高さが分からん奴は、ゴミの中でも最悪のゴミだ』、『足元が見えていないお前は、盛大に転んで死ぬのがお似合いだ』、そう言われた」
信じ難いことだけど、彼にとってそれは、良い思い出らしかった。
「建設業者は、自分で住むわけでもない豪邸や高層建築に命を懸ける。自分には何の関係もない誰かの家を、安全を堅守する。
彼らだけではない。農家は野生や天候と戦いながら毒を徹底して排除し、運送業者は自分の物でもない何かを心血を注いで守る。
それぞれが恵まれた身体能力を持ちながら、社会の中でどうしても生じる、彼らにしか背負えない損を引き受けて、それで左団扇となるわけでもない」
彼らは大勢の命を握っている。
本当なら俺達は、彼らに命を乞うように、捧げものをしながら褒め称えないといけない。
でも、彼らが持っている剣を、首に当てられている奴らが、それに気付かず普通に失礼な態度を取っても、特別莫大な報酬を差し出さなくても、刃を引いて切り裂いたりはしない。
片方が片方を、いつでも殺せる。
その状態でも力を振るわず、対等な社会構成員として接する。
何故か?
「誇りがあるからだ。父はそう言った。その技術に、『何も問題を起こさない』という実績に、誇りを持っているからだと」
彼らは体を売るしかない、のではない。
彼らのように、「安全」を作れる肉体を持つ者は限られていて、だから金を払ってでも、お願いしているのだ。
だから彼らは、「選ばれた者」として、人を守り、助けてくれる。
「『ブルーカラー』と人が呼ぶ時、そこには『意思無き道具』への見下しを含むことが多い。そして身体を使うことを蔑み、頭だけで全てを解決する、有り得ない人間を、神の如き人物像を、理想と思い始める」
頭が何か考えたところで、手足にそれが出来る技術が無いなら、その為に地面が均されていないなら、机上の空論でしかなくなる。
そもそも、彼らが手足と見ている人達は、それぞれに一級品の頭が付いていると、それすら忘れている。
「その身を汚す者達に陰口を叩き、それを既成事実化することで、社会に彼らを軽んじる風潮が醸成される。そして彼らに金を払わないことが正当化され、稼ぎの点からも見下されていく。
いつしか彼らは仕事をぞんざいにし、ともすれば投げ出し、国を、人の社会を、地盤から陥没させるだろう」
「誇り」を穢されたから。
「世の為、人の為」、それが報われない世の中は、支える人が消えて、壊れる。
「『誇り』は、誰かのズルや強がり、不合理な言い訳、見掛け倒しでは決してない。それ次第で、文明を生かすも殺すも、いかようにも振り回せる劇物だ」
本能的に、「美しくない」と思うもの。
それらは簡単に、足蹴にされてしまう。
誇りを奪われ、使い捨てられてしまう。
でも、社会を支えているものは、ぱっと見で汚いことがほとんどだ。
華やかに思われ始めた潜行業界ですら、流血やら人死にやらで、見たくもない現実に溢れている。
「私達政治家の仕事は、情緒的衆愚政治では成し得ない、『正しく報われる』社会の実現だ。『支える者達の誇りを守る』ことだ」
多くの人が「これが良いだろう」と思うもの、それを優先し続けると、まず切り捨てられるのは、「汚い」ものだ。
一番大事なものから順に、社会から切り離すように出来ているのが、民主主義の怖いところ。
だから、国民を説得してバランスを取る為に、政治家という仲介者が居る。
「これ良くないと思うんだけど」、そういう印象論に対して、俯瞰して物を見ている彼らが答え、その上で方向を調整する。
人の自由と平等を目指しながらも、楽な方に行きがちな、「人間」を信用していないシステム。
議会制民主主義。
「社会の踏み場、土台となっている事は、尊敬されるべきことだ。踏みつけているから、自分達は彼らより偉い、その思い違いは、正されねばならない。そうは思わないかね?」
「それは……、そうなれれば、理想だとは、思います」
俺は未だに、何でここに呼ばれたのか、その目的を掴みかねていた。
社会を支える人間の、注目度を上げたいから、配信者としての影響力を借りたい、とか?
でもそれなら、俺だけに言うのも意味が分からないし、総理直々に会う理由もない。
この前段から、どう話が展開するのか、想像がつかない。
俺が訝しむ間にも、彼の話は続いている。
「人の意識とは、そう簡単に変わらないものだ。どれだけ言い聞かせても、耳を塞いで受け付けない者も多い。国の根幹を担う者達、彼らの誇りへの軽視を、蔑視を、どう解消すべきか。私はずっと、それこそ半生を掛けて、考えてきた」
人の心を変えるなんて、一体どうやればいいのか。
俺も、何度も考えたことだ。
「そして、ある結論に到った」
再び正面からぶつけられた彼の視線は、その中の何かを手放したかのように、空っぽに見えた。
「国民に、民意に、彼らを尊敬させるより、彼らが惨めにならないことを優先しなければ、間に合わない、と」
俺は何か、その結論に抵抗を感じ、口を開こうとして、
「やーやー、盛り上がってるね~」
その時、庭園側から女の声がした。
新たに人が入ってくると思ってなかったから、驚いてそっちに目を向け、
総理の方を見直した直後、たった今脳が処理した風景に混乱し、椅子を蹴り飛ばしながら立ち上がって構えた。
「おーい、お行儀悪いんじゃあ、ないのかなあ?」
麦わら帽子に、金色ビキニの美女。
何度か見た事がある程度だが、忘れられるわけがない相手。
「お前…!」
名前は確か、川和切、いや——
「“提婆”…!」
「やあ、元気そうだね~、無駄にさあ」
女は無遠慮に踏み込んで、椅子を二つ引っ張って、そこに凭れながら卓上で足を組む。
「総理、人を…!」
「いや、日魅在進君。必要ない」
彼らの間に入って、総理を庇おうとした俺に、動かないよう手で示す。
「…!?……!??」
その落ち着きぶりに、
席を立とうともしない姿に、
俺は嫌な予感を覚えた。
「んでさあー、ソーイチロー君」
そしてそれは、たぶん当たった。
「これがホントに、『最善』なわけ?」
「そうだ。これが日魅在進君への最適解、最適解だ」




