641.王子様なんかじゃない
パラスケヴィ・エカトは、お姫様だ。
勿論、本人談による自称で。
遠い国を追われてしまった、高貴なる魔法使いの一族が、とある島国に流れ着き、その地で生んだ女の子。
愛と祝福を一身に浴びて、最高の才能に目覚めた末裔。
エカト家は、自分達を裏切った陽州から巣立ち、更なる高みへ飛翔したのだ。
一生涯に亘るサクセスストーリーで、一族の栄光を証明する。
そんな夢と希望を詰められ、プロトはグングンと伸びていった。
戦いも、勉強も、自分の力で勝ち上がり、誰にも文句を言わせないほどの頂点に立って、いつかは王子様が迎えに来るのだ。
誰もが羨む理想の主人公。自分がそれだと、彼女は全く疑っていなかった。
その思い込みの強さか、それとも自惚れの深さのせいか。
ただでさえ優れた“物語”を得ていた魔法は、その伸び方も異常なほどだった。
トントン拍子に成長していき、1段飛ばしで登っていたら、国でも最高のステージに上がっていた。そんな順調さが、彼女に書き割りの世界を見せた。
絵本みたいに簡略化された背景。
クレヨンで書き殴ったような登場人物。
何もかもが作り物。
彼女を引き立て、押し上げる為の足場。
世界は彼女を中心として回っていた。
魔法は、核となる物語を信じ込んでいるほど、効力が強くなる傾向がある。
だが盲信が行き過ぎると、コントロールが効かなくなる。
普通なら、威力が大味になり過ぎて、却って微妙な性能になるといった、怠け者への竹箆返しで終わる。
だが彼女には、才能があった。
魔学分野においてだけではなく、多方面での努力が報われるくらいの、豊かな土壌を持っていた。
能力が劣化したり、成長が鈍化するような、生易しい結末に着地するには、エネルギーが有り余っていた。
結論として、彼女は墜落した。
まだライセンスも与えられていない、実戦経験皆無な小学生女子は、法律上のダンジョン入窟制限を焦れったく思い、実力でそれを覆してやろうと、強硬手段に出た。
地方の管理が甘いダンジョンに忍び込み、記録映像付きでソロ踏破してやろうと、勇み足のままに突っ込んだのだ。
確かに彼女の力なら、そのエネルギー量だけ見れば、それが可能だと思うのも、仕方のないような手段だった。
少女が頭の中だけで検証し、理に適っていると自画自賛したのも、無理からぬ話ではあったのだ。
彼女は知らなかった。
ダンジョンとは、魔学とは、実戦とは、現実とは、
予想外なんて当たり前に起こる。
規制とは、予想外が起こる前提で、その時のダメージが致命的な綻びにならないよう、余裕を持たせておく為のもの。
「完璧な自分がやれば完璧に実行して完璧に成功する」、それは計画ではなく、博打と呼ぶような代物なのだ。
彼女はモンスターと遭遇し、その魔法で敵を焼き殺した。
「殺した」。
モンスターは生物のカテゴリに入るのか、その議論は絶えない。
別の見方をすれば、魔法で作られたような異形の化け物であっても、そこに命を感じてしまう者が、少なくないという事だ。
彼女もまた、理屈ではなく直感で、敵に“息吹”を、“意思”を見てしまった。
蟻の列に別の虫を放り込んだり、蜘蛛の巣を払ったり、そういう無邪気な殺傷は、彼女だって経験していた。
だが、彼女が初めて“死”を感じた瞬間は、その時だった。
「殺した」と、確かにそう思ったのだ。
次の瞬間、彼女の皮膚は爆ぜ、血流は煙に変わった。
ライトイエローが眩くダンジョン内を照らし、肉が焦げ臭く黒ずんだ。
彼女の力は、意識という器の中で膨張し、それを割りながら溢れ出た。
それが流れるのを止めたり、掬って戻したり、なんてことは、砕けつつある彼女では不可能だった。
人間とは、集団で生きる者である。
それは人間が弱いから、そうされてきた。
では、強い人間ならば、一人で生きていけるのか?
その答えが、そこにあった。
人は、不足を支え、過剰を分け合うような、誰かが隣にいないことには、生きられない。
どれだけの潜在能力があろうと、一個体だけで完結するなど、あり得ない。
彼女はその教訓を、何よりも大きな説得力で刻まれたが、それを活かすことはできない。価値ある気付きは、無為と帰した。
彼女はここで死ぬからだ。
だが、ご存知の通り、彼女は助かった。
ブスブスと胃が重くなるような匂いに包まれながら、痛みに目を見開いた彼女が見たものは、どこかで見た気がする平坦な顔。
自らも焼かれながらも、眼鏡の奥の理知的な光を乱さずに、彼女の肌に優先して治療薬を塗る男は、小さな身体をダンジョンの外まで運び、その一命を辛くも繋いだ。
それからずっと、彼女はどこかおかしかった。
性格に一応の慎重さが芽生えた。
魔法の制御が上達した為か、戦闘能力がより圧倒的になった。
だが、そんなことが気にならないほど、彼女の中では変化が起こっていた。
これまでの彼女にとって、障害や邪魔なんて存在しなかった。
教師を始めとして、今は勝てないように見える相手だって、いつか超えられるという絶対の自信があった。
だから、そんな感情は、持ちようがなかったのだ。
胸の内の一画を占拠し、隙あらば意識の表舞台に登壇して、その度に今にも走り出したくさせる熱を噴くそれは——
——ムカつく
苛立ちだ。
彼女は、何か思い通りにならないものに、生まれて初めて出遭ったのだ。
能力は使いこなせるようになった。
どころか、更に強くなった。
もうあんな不覚は取らない。
事実、彼女の急成長ぶりに、学校中の生徒が、学校外の大人までもが注目していると、その実感があった。
なのにどうして、こんなにイライラしてしまうのだろうか。
自分で自分が分からなくなった。
そうやって悶々としていたある日、彼女はある場面を目撃した。
校内の揉め事で、中等部の生徒が勢い余って、指定区域外での魔力使用に及んでしまったのだ。
あわや大惨事。
同道していたクラスメイトを流れ弾から庇おうと、プロトが簡易詠唱を口にしかけたところで、目の前には既に背中があった。
地味で、平凡で、かと言って慎ましいわけでもなくて、ただパッとしないような見た目の男が、周囲に撒かれかけていた破壊を止めた。
当事者達を無力化し、周囲を見渡して被害が他に無いか確認したその体には、無数の破片が刺さり込み、焼け跡が痛々しく刻まれていた。
「よくやるよねー?大したマホーでもないクセに」
翌日、彼女はいつの間にか、その教師に絡んでいた。
廊下でその特徴のない顔を見た途端、無性にムシャクシャが込み上げてきたのだ。
「私の仕事ですから」
「あっそー?ふっ、うーーーん?」
「何か、疑問な点でも?」
その男は、いつだってそういう態度だった。
学内で起こったトラブルに、いつの間にか駆け付けて、被害を最小限に抑え、淡々と事後処理を終えてしまう。
その手際が良過ぎる為に、起こった事は大した問題とも思われず、功績として目立たない。
だからプロトもこれまで、その男のことを取り立てて、成果の多い働き者だとか、そういった目で見てこなかった。
死にかけたあの日までは、視界に入れていたかすら怪しい。
後から記憶を見返してみれば、確かにその仕事ぶりを見ていたのに、その時の意識のフックに引っ掛からず、あっさりスルーしていたのだから。
「センセーって、セートのこと、キラいなんじゃな~い?」
「いえ、そのようなことは」
「ほんとかなー?あっやしーい!」
「どういった理由で、そう思われたのでしょうか?」
「改善したいので、もし宜しければご教示頂けると、大変助かります」、
クソ真面目なその態度に、腹立ちがより募っていく。
「だってさー?仕事だからってガキんちょにフり回されて、後始末ばっかやらされて、でもそれでキラキラできるわけでもないし、ほめられるわけでもないし……ってゆーか、子ども同士がケンカしても、センセーたちがセキニン取るんだから、むしろ怒られるんでしょー?」
プロトなら、そんな生き方は耐えられない。
弱い奴に足を引っ張られ続けて、それでなれる役が黒衣Aだ。
割に合わない。
「ムナしくなるか、暴れるヤツにムカつくか、するよね~?フツー」
彼女の直球で無遠慮な質問を聞いて、
「ふ…っ」
なんと男は、微笑んだ。
今まで見た事のない表情だった。
「はっ?なに急に笑ってんの?キモッ」
「失礼。エカトさんは、優しい人ですね」
「はあっ!?」
これまでのやり取りから、どうしてそんな結論になるのか、彼女には本気で分からなかった。
「イミわかんない!どこにヤサシサ感じてんのーっ!?」
「私のような、トラブルを防ぐ、或いは修正する役の働きに気が付くだけでなく、その心情を慮って下さるのですから」
「稀有な思い遣りの心をお持ちです」、
彼はそう言いながら、その場で膝を折り、腰を屈ませ、右手を差し出す。
「ありがとうございます。あなたのように見てくれている人がいることが、我々にとっての励みになりますから」
心底、分からなかった。
この程度のこと、誰にでも分かることだ。
見ていれば、普通に思いつくことだ。
そんなことを「優しさ」と言う彼の節操の無さも、
それで怒りが吹きこぼれる自分の沸点も、
分からないことだらけだった。
「センセーは、セート、大事なわけ?」
「はい。とても大切に思っています」
「どんなに弱っちくても?ムノーでも?バカでも?メーワクかけても?」
「言い方が良くありませんが、どんな生徒でも、私なりの全力で、向き合っているつもりです」
「反省は必要ですが、迷惑を気にし過ぎるのも良くないですよ?」、
握り返されず、迷子になってしまった手で、プロトの頭を優しく撫でる。
「皆さん、私の大切な生徒です。皆さんに迷惑を掛けられるのが、私の仕事です」
肺の間に刺さって固定された、イガイガの塊。
それが一際針を伸ばした気がした。
彼は有言実行の男だった。
誰にでも分け隔てなく接していた。
初等部主任となり、そこに重点を置くようになった後でも、学園全体に目を配ることは、続けているようだった。
プロトをギリギリで助けられたのも、日頃から彼女の様子を観察していて、過ぎた増長を嗅ぎ取ったから。
そしてそれは、プロトだから見ていたわけではなく、自らの職責の範疇として、“一生徒”に注意を向けているだけだった。
彼は誰にでもそうするし、それを大して苦とも思っていなかった。
あの日起こったことは、学園内で悪ガキが起こす、困った騒動を収めるような、日常の一コマに過ぎなかったのだ。劇的な変化もドラマも無くて、淡々と業務を遂行しただけ。
そういうことを、当たり前にやれてしまう男だったのだ。
校舎の廊下ですれ違った、様子のおかしい少年少女に、そっとその場で声を掛け、彼らの悩みを共に背負う。
それと、我が身を顧みずプロトを助けることは、彼の中で同列なのだ。
同等なのだ。
あの日、彼女を見下ろしていた目。
柔らかくも冷静なそれが、何よりも語っている。
彼にとっての彼女は、“守るべき子ども”の一人なのだ。
——ああ
——あああああああ!
——ああ!もう!本当に!
「ホントにさあっ!」
外への徒な放出を抑え、力を練り上げ収束させた、明るさ控えめのライトイエロー迷宮。
「ムカつくッ!ムカつくッ!ムカつくッ!」
同色でありながら、他とは明らかに鋭さが違う光が、その中を縦横無尽に飛び往く。
「ほんっとおおおおおおおお、にッ!!」
空を割る白い雷電。
それが青地の布を貫き、暴れ狂うボルテージは、
亜麻色に和らげられてすぐに鳴りを潜める。
「ゆるさないからッ!!」
だが少女の光量は、落ち着くどころか烈しくなるばかり。
彼女が発する、脳幹も眩む輝きは、
両手で相手の頭を挟み、自らを目線で追わせるようだった。




