640.どうする?色んな意味で、どうする?
「な……にが、起こって……!」
6人を保護する、煉瓦造りの白い立方体。
訅和交里の“我が家へようこそ”。
詠訵のリボンで全員を移動させた先で、一時的な聖域を作ることで、なんとか話せる合間を設けた。
だがこの間にも、ローカルを完全消滅させることは出来ていない。
全員の首回りに依然として、薄っすらと麻縄が取り付けられており、不明なタイミングで明滅を見せる。
更に外では歯が壁を擦っているようで、黒板を引っ掻くような不快高音が、加護を突き抜けて彼らを襲う。
「そうだ、“不快感”、だ…!」
狼鎧の鼻を潰し、耳をペタリと前倒れに閉じながら、ニークトはローカルの内容を推察する。
「奴が…、“鳩槃”が人間の姿を取っていた時の能力、そしてこのダンジョン内での出来事や、昨年のフラッグにおける体験、乗研の証言といった事前情報……」
それらを貫く法則性とは——
「このロープは、オレサマ達が不快を感じるほど、強く締め上げ力を奪う!」
ハッとした一同は、他の4人と、ニークト、進両名の縄を見比べる。
「た、確かに…!五感がトガりめな二人が、一番被害が大きくなってる…!」
「訅和が真っ先に動けたのは、戦法的に『厭な思い』に慣れているからだ…!」
人体が最も苦しみのたうつやり方を、自爆上等で相手に押しつける。
その研鑽が生んだ「鈍感さ」という耐性!
逆に、細かく感じることそのものを武器とする者には、
名指ししてしまえばニークトや進にとって最悪の相手!
「俺は敏感でも特別耐性があるわけでもない半端モンってことかよ…!気まずい…!」
「『厄は外、福は内』、だったか…?『厄』、つまり『良くないモノがある』という感覚こそが、ローカルのトリガー!」
耐えるだとか受け流すだとか、そういった次元の話ではない。
まず不快を強く感じてしまった時点で、発動が確定する!
向き合い方を工夫しても免れようがなく、真面に取り合う者ほど不利になる!
「くそお…!最近俺のニガテ分野ばっかり押し付けられてる気がする…!」
「ちょいちょいちょっち!ってことは、カミっちとニクっち先輩の戦力が半減するって事になってない!?」
「半減どころじゃあない!オレサマはともかく、神経質チビはほぼ無力化されている!」
進は魔力を微小単位で感じることで、肉体強化や体内魔法陣を始めとした、数々の戦闘技法を成立させている。
その根本。
魔力を細かく知覚できるほど、感知を尖らせるという行為。
それ自体が、敵の術中となった!
「そうなるとこっちのアタッカーで残ってるのって……」
5人はそこで、稲光と虹彩とを、未だに散漫に揺らす彼女に目を遣り、それから顔を見合わせる。
「………先輩。私が“あれ”を使います」
「魅力的な提案だが、奴を相手に治療役が一人、しかもピーキーで限定的な訅和だけと言うのは、あまりに………」
「だけどもう、ここまで来たら、安定択なんて考えてられません…!」
〈その通り、私を倒したいのなら、安心に縋る弱さなど捨てなさい〉
バッと一度に上げられた視線が集中したのは、煉瓦の壁の一点。
そこを貫通した歯によって刳り抜かれ、蟲やモンスター、髪の毛が蝕んで押し広げ、「の」の字の形の眼が覗く。
ゲゲゲゲゲゲゲゲ ググググググググ
ヒハハハハハハ
ゲラゲラゲラゲラ
愉しむような爆笑が、癪をしつこく撫で擦る。
〈さぞかしご不快なことでしょう、皆さん〉
巨大な体、異なる構造、
そこから発声される人外の言葉。
けれどその口調と言ったら、間違いなくいつもの壱前灯。
憎たらしいほど、いつも通り。
〈私を除かなければ、それは終わりませんよ?〉
それが続けばどうなるか?
人の神経は参ってしまい、いつしか必ず——
——ぶら下がる
〈考え、工夫し、戦いなさい〉
ぞろぞろぞろと、歯を持つゴキブリが侵略していく。
〈理性によって、打ち倒しなさい〉
訅和の神経にノイズを溜め込み、壁の補修を許さない。
〈あなた達が、感覚に傾倒した瞬間、〉
ガタン、
何か硬い物が落ちたのだろうか。
〈足下は脆くも崩れ去る〉
それは絞首台の足場が、開く時の音に聞こえた。
〈正しい行動を選びなさい〉
笑い声が大きくなっていく。
薄らいでいた臭気が盛り返す。
人外にとって害悪だと、全方面からアピールする、生活排水に似た白濁液が、雨漏りや浸水のように滲み落ちてくる。
この禁域も、間もなく土足で蹂躙される。
訅和の魔法が完全に消される前に、彼ら自身の意思で解除し、攻めに転じることをしなければ、情けなく無抵抗のままで、悍ましき頓死を迎えることになる。
戦士の覚悟や誇り以前に、人間としての尊厳の凌辱。
到底許せるものではない。
詠訵がハートマークを作り、詠唱を切り替えるマインドセットを済ませる。
この場でillを殺せるほどの攻撃力は、自分をおいて他に無い。
ならば、彼女がやるしかないのだ。
彼女は理に則って「バッカじゃないの」
ライトイエローが、電源コードのように細く滑らかになる。
ただ角膜をチクチクと刺す危険さではなく、
結い上げ纏め上げる真っ直ぐさを獲得する。
「センセーが言ったのは、『感情に振り回され過ぎるな』ってハナシでしょ」
お決まりの安定択だとか、
誰にとっても優しい道だとか、
そういった「都合の良い」ものに、逃げてはいけない。
不安になろうと、考える。
痛みを伴おうと、行動に移す。
「アタシが、やればいいの」
指ピストル二つで、稲妻マークを作るプロト。
「アタシが、センセーを、殺せばいいの…!」
電流路がその背中から広がり、その様はまるで光るアゲハ蝶の両翅。
「“月は欠け蝶は舞う”!アタシにハイリョなんて、してんな…ッ!」
ライトイエローは彼女に巻き付き鎧と化す。
一帯に張り巡らされ迷宮と化す。
「やること、やってやる…!アタシは、潜行者だから…!」
電路の一部は、メンバー達に巻き付き、その端はどれも少女と繋がっていた。
訅和は魔法の維持を止め、魔力の徴収から全員を自由にする。
全面衝突。
聞き慣れたチャイムが、どこかで鳴った気がした。
世にも苛酷な課外授業が始まったのだ。




