639.なんでこんなことになってんだよ!?
ケラケラケラケラケラケラケラケラ
目、鼻、口、耳………
きっと、体に開いた他の穴からも、そうなのだろう。
ゴキブリの形をした白い虫の群れが、そこら中の死体の中から、液体のように流れ出てくる。
ゲラゲラゲラゲラ
ゲラゲラゲラゲラ
ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ
「こいつら……!」
魔力噴射でそれらを焼き殺しながら、思い出す。
これは去年、永級ダンジョンから湧いていた奴らと同じだ。
乗研先輩が、9年前に戦ったって言ってた奴らと同じだ!
そうなら、
それが確かなら、
本当に——
「本当に、壱先生は!」
「ふざけんなっ!」
ライトイエローが目蓋の裏まで焼き尽くす!
ゴキブリ共が生臭い白濁を撒きながら潰れ死ぬ!
「ありえっ、ありえないからっ!ありえっ!」
「気まずいこと言ってる場合か!」
「プロトちゃん!しっかり!」
攻撃と言うよりは、激情で電光を振り回す少女。
彼女を守るべく、それぞれが掌印を結んで詠唱を——
「ぐぉ……ッ!?」
〈にゃっ、にぃッ!?〉
息が詰まる。
声がつっかえる。
首に擦り傷が開き、生皮が剥がされ、ぎゅうぎゅうと搾るように絞めつけられる!
「か……っ!なん…っ!」
なんだっ、これぇっ!?
首元を指で触ると、そこにガサガサとした触感!
他のみんなを見ると、麻縄らしきものが頭の下を一周し、背後、いや頭上へ引っ張り上げようとしている!
「ま、まほ、う……!?」
だけど、詠唱も、発動気配も感じられなかった!
ただ、ダンジョンの空気の揺れがあっただけ。
この感じは——
——ローカル!
ダンジョンそのものが持つ環境!
この空間の効果!
「うぐうううううううう!!」
ほっそい肢がボディスーツ表面を這い回る!
カサカサと糸のような不潔に全身を撫で回され、鳥肌と共に足から髪まで震え上がる!
その戦慄と共に、首への食い込みが深まっていく!
呼吸が制限されるだけでなく、魔力の出力まで弱まってしまう!
それどころか、肉や骨にまで、力が入らなくなっている!
ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ
ケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラ
ゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタ
ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ
「お゛お゛お゛ぉぉおおおオオオオオ!」
柔らかい声色にドスを刺したようなシャウト!
「“我家”オオオオオオオオ!!ヨミッちゃああああああんん!!」
簡易詠唱!
半透明の立方体がミヨちゃんの頭を包み、麻縄の実在感を薄める!!
「こぉおおおおおんんん!!」
透明度の高い青色が球状に膨張!
ゴキブリを弾き飛ばして払う!
「“九狐旧亙倶苦窮涸”!!」
九つの青白ツーラインリボン!
それらが全員を包み込むと、倦怠感が遠ざかっていく。
「ぐ……、酷い、臭いだ……!」
変身を解除した先輩が手の甲で鼻を押さえ、整った眉を寄せている。
「アンモニア……、胃液……、腐敗……、これは……、これは、死臭だ……!」
言われてみれば、鼻の奥を押した瞬間、問答無用でえづかせるこの不快感。
これと同じものを、俺は間近に感じた事がある。
去年の夏休み、父さんの実家で、
あの家で——
「う……!」
ドス黒く埋まった記憶のフラッシュバック。
それに食道の疼きが酷くなったその時、
ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ
「こはっ!?」
「ススム君!?」
俺の縄だけが急に質量を取り戻したみたいに気配が濃くなる!
引く力も強くなり、また立っているのも精一杯な状態に!
「“我家”!!カミっち!」
「ふぐっ、ハアッ!!」
訅和さんの能力で何とか小康状態を取り戻す。
だけど、何で俺だけが……!?
「おい……、」
蹲りながら、ニークト先輩が呻く。
「オレサマのも、だ……!」
違う。
先輩は縄の力に抵抗しているんだ!
「えっ、ちょっ、どっちを助ければ…!?」
「こもりちゃんはそのままススム君をお願い!私は先輩を」「おい!まずいぞ!」
和邇君の声に顔を上げると、へのへのもへじ獅子舞の口が大きく開いて、
〈ギャー!!ッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハハハハハハハハ!!〉
そこから白い汚濁と共に大量のモンスターが噴出する!
「このっ!」
魔力爆破!……やっぱりだ。威力が弱くなってる!
「“八尋晦狸幻化建設”!!」
和邇君が体中に取り付けた四角い装甲の中から、ネジやらボルトやらを大量に放出!
それらが複製され、壁や棘となって白濁波とせめぎ合う!
「全然止められない!気まずい!」
だがその耐久力は、明らかな弱体化を喰らっている!
塵取りの前に集められた部屋中の埃みたいに、一吹きで呆気なく蹴散らされていく!
ギヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ
グフフフフフフフフフフ
アハハハハハハハハハハ
モンスター共は白く綺麗に並んだ歯列を上下に割って、ミヨちゃんの防御領域に噛みつく!
球形は噛み砕くのに適さない。
けれど現実として、奴らの前歯がズブズブと入り込み、内側から刮げ取ってしまう!
ミヨちゃんの防御まで、薄くなっている!
更にフィールド表面に蟲共が走り、蠢く裏側を見せつけながら、綻びを探して這い回っている。
そいつらはモンスターがこじ開けた隙間を見つけ、船底に流れ込む水のように殺到!
微妙に力を弱められた俺達はそれらを全て潰すので精一杯となり、外の奴らを押し返すことが出来ない!
「なんで!!」
そこを貫く数本の電路!
「なんでよ!」
スパーク!
フィールドの穴に刺さったそれがゴキブリごとモンスターの口内を歯科治療!
健全歯、虫歯の別なく黒焦がす!
「ねえ!!なんで!!!!」
松脂を塗り過ぎた弦楽器の如く、喉をギィギィ引っ掻く悲鳴。
社会性が育ち切っていない幼児の、満身の体力を籠めた泣き声のように。
「せんせい!!なんで!」
答えたのは、漫才の観衆のような笑い声。
ドッと会場を揺らすそれは、歩く舞台の上からだ。
何十、ともすれば百を超える数のニヤケ顔、プーカ達が、移動ステージの上で笑っている。
そいつらに目がついていないからか、「こちらを見ている」とは思えなかった。
ギャハッ!ギャハハハ!ハハハハハッ!
ヒュッ、クフォッ、ブォフォフォホォ!!
ギュフフフキッヒヒ、エヘハハハ!!
舞台の足は、酷く汚れてボロボロだった。
寂びた金具が耳触りな関節。
使い古した拷問器具を思わせる棘や刃の数々。
上から垂れ流される、吐瀉物に似た胃液の黄色。
それを浴びながらウジャウジャわさわさ、生きようと足掻く蟲の節足のように、細いパイプが無数にくねり、見ている者の神経を擽る。
そこに糞尿のようなものがこびりつき、
死体を潰す度に臓物が絡まっていた。
「なるほど、そうか……!コイツは……!」
先輩が何かに気付いた。
と同時に、舞台を支える脚のうち、前列がへし折れるようにして躓き、
こちらに傾斜した超重量を乗せて、
恐るべき勢いで驀進してきた。




