633.あの勧誘の裏で
伝えられていた通りにパスコードを入力。
用意していたIDによって問題なく扉を突破。
搬入用エレベーターと非常階段の双方が存在するが、前者を起動させると中の人間に気付かれる恐れが高い。
大人しく足音を忍ばせながら、左右幅が広い段差を降りていく。
フルフェイスマスクに内臓されたカメラが、赤外線センサー等の二次、三次セキュリティを検知。
柔らかな身のこなしでそれらの死角を通り、地下会議室の大扉前に到着。
中からは無線や管制の行き交いが漏れ聞こえており、戦場がリアルタイムで状況を変化させる、その慌ただしさを克明に示している。
彼はガイドビーコンから発信しようと、ヘッドセットに指を掛け、それからふとした違和感に手を止める。
静か、
いや、遠い。
スライドドアを少し動かし、中を覗く。
すぐに身を隠すのをやめ、勢いよく引き開ける。
『これは……!』
確かに通信音声があちこちのスピーカーから飛び出ている。
が、人がいない。
もぬけの殻。
そして間抜けにも引っ掛かったのは——
正面の巨大スクリーンに赤く表示される退避勧告!
『しまった!』
回れ右をする彼の背を包む閃光。
起動したカートリッジが大量のエネルギー排出に特化した魔法陣回路を活性化する機構。
自爆装置!
明胤学園北西、第2号棟が下部から煤けた煙を吐いて、それが広がるに合わせて大きく傾いていく!
罅割れ、バラバラのピースに分かれていく床部分。
バリエーション豊かな形をした瓦礫を下から持ち上げ、這い出してくるのは、オリーブの葉や果実の緑に染まる、ザラつきながらも光沢を放つ甲殻。
〈ぐ……、謀られましたか…!〉
「人聞きが悪いな。『謀った』のはそっちだろ」
立ち上がり際にボララップが放たれ巻き付かんとするが、クワガタの姿に似た眷属が撃ち出され、それが拘束を肩代わりしながら、現れた女に襲い掛かる。
特殊警棒を展開しながら振り下ろし、刃を剥いた虫ッコロを地面に叩きつけ、踏み潰しながら笑い掛ける。
「よう、桑方、何をやっているんだ?こんなところで」
折角ここのところしばらく、顔を隠して動いてきたと言うのに、完全詠唱による変身を見られたら、まるっと全てが台無しである。
これでは道化だなどと自嘲しながら、クワガタのような2本角を頭に立てる、殻を持った変身者は、塵を払って肩を竦める。
〈助けに来たのですよ。環さん……いえ、ここでは念の為、瀬史教頭と、そうお呼びした方が良いんでしたっけ?〉
「助けにぃ?生憎だが、『来てくれ』と頼み込んだ覚えはないな」
明胤学園教頭、瀬史珠。
次世代娯楽育成事務所“UWA”代表、桑方胡吾。
そのどちらもが表向きの姿。
かつて、瀬史の伝手を使った桑方が、進に接触したことがあった。
それは、“UWA”という制御可能な檻の中に、カミザススムというイレギュラーを幽閉する、そういった目的があったから。
そこからも分かる通り、彼らは協同していた、どころか同僚とすら言えた。
その隠された身分とは、歴代総理大臣ですら、限られた人間しか認知していない、秘匿組織の一員。
“内閣丙種情報取扱室”。
通称“内丙”。
壌弌が作った非公式国家保全機関である。
瀬史に関して言えば名前すら変えており、本名は服部環。
その秘密主義の徹底ぶりは、壌弌派であった学園長にすら、その正体を明かしていないほど。
“理事長室”内において、他の御三家勢力、特に三都葉に対抗する壌弌の尖兵。
そう見られてきた壱萬丈目は、本人もそうだと思い込んでいるものの、実は囮である。
明胤学園に壌弌の意向を混ぜ込む、それを為す真の毒は、学園長の陰に隠れた瀬史教頭であったのだ。
ただ壱萬丈目は、どうやらそのことに気付いていたようだ。
彼は死に際に、瀬史に言い遺した。
——ここまで周到な連中なら、“仕込み”があったとしても不思議ではない
——気をつけたまえ
警備管制室の位置が把握されていたのは、零負遠照が原因だろう。
だが、ここまで大規模で、準備に準備を重ね、徹底して潜行者の城塞を対策し、クリスティアさえ巻き込んでいる——若しくは彼らが主導している——作戦で、二の矢三の矢を用意しないだろうか?
「巨大変身者が管制室を確実に落としてくれるだろう」、そういった楽観論で話を進めるだろうか?
学園の手強さは、遠照が一番良く知っているのに、そのような手緩いプランで満足するだろうか?
壱萬丈目が懸念していたのは、そこだ。
管制室を移した後も、追跡する“当て”があるのでは?という可能性。
そうなった時、最も綻びとなり得るのは、どこか?
そう考えた時、彼は内丙こそが“穴”だと考えた。
総理の命が愈々となった場合、速やかに救援を要請し、到着させる。
その最終手段のスピード感を確保する為、瀬史が学園の外部の同僚達と、絶えず情報共有をしておくだろうことは、予測できたからだ。
「そして私が『危ない』と判断し、助けを呼んだことで、内丙の人間がここに赴いても、不自然でない局面になった。それに乗じて、お前はしれっと移転後の管制室に忍び込み、敵を誘導する」
が、管制室の移転先についてだけ、瀬史は嘘を吐いていた。
呼ばれてもいないのに来る奴を爆殺するべく、一人そこで待ち構えながら。
「半信半疑だったが………まさか本当に来るとはな」
選良として、国を守る。
その矜持を共有している筈だった男の裏切りに、彼女はただ侮蔑を濃くする。
「“どこ”だ?一番クサいのはクリスティア関係の、ヴィルギニア……統合情報局か?」
真っ先に思いつくのはクリスティア政府筋だが——
「いや、そう言えば去年、壌弌管理下の特異窟に、人質を取って立て籠もったバカが居たが、あの日に限ってセキュリティが正常に機能していなかった。あれで本家には大きな損害があったが、あの時に随分荒稼ぎしていた企業があったな。金の流れも途中で切れて追いようがなかったが、」
「あれも、お前か?」、
だとしたら、AS計画に関わる、巨大資本あたり。
「あの事件で、『治安維持の為の武装』という大義名分を丹本国民に刷り込んで、お前らの“商品”を売る為の前振りにしたのか?」
世界規模企業。
それに雇われ、国を裏切った彼は、言ってしまえば“金の亡者”だ。
「二足の草鞋とはご苦労なことだな」
〈お気遣い、痛み入ります〉
目的は、丹本にしろ、カミザススムにしろ、社会的規範にしろ、AS計画の障害となるもの全般の弱体化だろう。
それと同時に、このテロ自体が、パフォーマンス、デモンストレーションとしての側面を持っている筈だ。
どこぞのメガコーポが、漏魔症収容に携わる桑方を取り込んだのも、AS計画の円滑化を狙ってのことだと、そう考えられる。
「お前を生かしてやりたい。人情からじゃないぞ?聞きたいことだらけだし、お前の不在は経済への混乱も招きかねないからだ。しかし、」
その余裕は無い。
彼女は今こうしている間も、移転後の管制室で指揮を執っているのだから。
「どうやらここに、墓を掘ってやるしかなさそうだ」
これ以上、そいつから情報を引き出せそうもない。
ならばここからは、最短で決着を付けなければなるまい。
「なるたけ穏当に他界させてやる」
返答を待たず、彼女は踏み切った足で、
破片と水溜まりとを後方に撥ね飛ばした。




