629.分からないから考えないって、退屈だもの
大気にその身を擦り付け、火花を散らして道を引く。
直径1cmに満たない礫が、彼らの胸を通り過ぎる。
そこから、横に一歩。
軌道から完全に離脱。
直後、見えていた光景に重なるようにして、音を切り裂き弾が通る。
並んだ十数人が、銃口を移動先へズラそうとする。
魔力弾を撃ち、一人を倒す。
次々と爆殺されていくテロリスト共。
咄嗟の反撃であったにも拘わらず、複数の潜行者が放った攻撃は、一人として射撃目標を被らせていない。
訓練の賜物、と言えれば格好もつくのだが、この連携は、ある人物の能力による補助で支えられている。
それは、現代的な防御陣地として設計された西門、その上部からグラデーションで変化する瞳で見下ろしている、丈の長いケープを羽織った老齢の淑女。
高等部主任、八志兼。
親指、人差し指、中指で輪を作り、上下逆で第一関節から第二関節までを接させて、8の字状の図形を作り、顔の下で構えている。
二つの輪はどちらも、彼女の虹彩と連動して色を変えており、何者か神秘的な存在が、それを通して覗き見ているようだった。
その輪の中から伸びた直線が、前衛で戦う者達と繋がっており、彼らは額に同じ色の穴を、“第三の眼”を獲得している。
周囲数十mの情報を収集、分析、計算し、その結果を共有者達に直接流し込む。
「流し込む」と言うと間に一つ挟まるイメージを得るが、実際には処理能力が一つに統合されている形であり、彼ら全体が大きな脳といった状態。
思考の範囲も深さも速度も大幅に向上し、結論はほぼゼロ秒で情報共有される。
何より八志の“思慮を兼ねし先見”は——
「『未来が見える』、ってマジなん?」
今年が始まってすぐ。
世界大会参加の為に赴いたクリスティア。
そこでの訓練中のことである。
小休止中の六本木が、八志にそう聞いてきた。
「厳密には、可能性が高い予測を描くというだけだ」
体術だけで殴り合うニークトと辺泥に、虎次郎と進が飛び入り参加していくのを見ながら、八志は答えた。
「本当に未来が見えるわけではない。それはまだ“ない”ものだ。『ない』ものは知りようがない。そうだろう?」
どれだけ確実に思えても、時に覆るのが、“未来”という代物だ。
彼女の魔法は、ほんの細かい変数まで探知、計算に入れ、高精度の未来予測を構築する。
だが、人が触れる「変数」など、言ってしまえば高が知れている。
広大な地球、壮大な太陽系、巨大な銀河、無間の宇宙。
それらのどこかで起こったことが、タイミングなど考慮せず、世界のあちこちに降り注ぐ。
最小単位で見た世界では、粒子が偶然ポッと生まれる、という現象が茶飯事らしい。
例えば空向こうの遥かな果てで、ひっそり起こった現象が、玉突き式に力を伝え、何億年もかけた末、遠く離れたこの場所に、ある些末な粒子を生み出す。
そういうこともきっとある。
ならば彼女がどこまで細かく、何処まで遠くを見抜いたところで、完全な計算など出来る道理が無い。
「飽く迄、『起こりそうなこと』、だ。勝負勘や天気予報と、本質的には変わらない」
半径100m未満を完全に知り尽くしたところで、そこで何が起こるかなど、断言できるわけがない。
が、それは人の意思決定の、全てに対して言えることだ。
人は大抵、結果を期待して行動する。
「こうすれば、これが起こる」、自然とそう思い込む。
何か稀な偶然があれば、そんな予想は簡単に覆ると、そんな杞憂をわざわざ考えない。
「『偶然』?」
「例えば、お前はどうして学園に来て、物を学び、力を磨く?」
「……アレっしょ、生活の為」
将来、生き延びる為。
「そうだろうな。明胤学園という場で、何らかを得ることで、それは知的な貯蓄となり、社会を生き抜くことに役立つ」
当たり前に過ぎる話。
六本木は相槌も打てず、訝しむ。
「だが、それは本当に、“正しい”だろうか?」
「……んん?ガッコーキョーイクの方向性が、どうこうって言いたいん?」
「もっと簡単な問題提起だ。お前が学園に通う決断が——」
——逆に、お前の命を奪うとしたら?
「あーしが、学園のせいで、死ぬ?それは、訓練で?」
「極論だがな、死ぬ可能性という話なら、それが皆無な瞬間など、生涯一度も訪れん。ダンジョンや魔法など、関係なくな」
強くなる為にダンジョンに向かおうとして、道中で交通事故に遭うかもしれない。
切磋琢磨の為に人と会い、その時に感染症を貰うかもしれない。
身の安全の為に家に籠り、自然災害で潰されるかもしれない。
「現実とは、容易くこちらを裏切るものだ。否、そもそも現実は初めから、私達と何の約束も結んでいない。
苦難や努力が成功を確約しないのと同じように、頽廃や悪徳が不幸を確定させないように、
『これをすれば、こういう結果が来る』、そういった法則は全て我々の経験則で、乃ち培った体感が導く決め付け、それだけでしかない」
事の原因を突き詰めると、究極的な答えは“運”だ。
「そうなりやすい」、「そうなりにくい」、それらを出来るだけ積み上げて、賭けの確度を上げることしか、人間達には許されていない。
必ず“勝負”を強制される。
賽を振ることから逃れられない。
「では、我々は、諦めるのが賢いのだろうか?どうせ必然など作れぬのだから、博打以外の選択肢がないのだから、ならば全ては世界のせいだと、成り行き任せで流されるのが、正しい人間なのだろうか?」
「どう思う」、
八志は隣に立つ生徒に問う。
六本木は真っ直ぐと見返し、
「んな萎え萎えなの、ゴメンっしょ」
笑って答えてから、仲間達へと視線を戻す。
「ちょっと前のあーしだったら、そーゆーダサみが強いこと言って、サゲてたと思うけど。でも今はもうムリ」
彼女は「勝ち取る」ことを知ってしまった。
みっともなく足掻き、戦い続け、サイコロの目と振る回数を、どこまでも“確実”に近づける。
そのやり方を、忘れられなくなった。
どこぞの馬鹿共のせいだと、彼女は断言する。
世界で一番楽しげな恨み言。
「私の魔法は、結局そういう意思なのだろう」
ニヤリと鋭利な笑みを返し、八志は続けた。
「どこまでも賭けを有利にする、それを突き詰める。世界と相対するという勝負から降りず、偶然という理不尽に、“智”によって対抗する」
ポーカーの勝率を100%にする為に、目には見えないものまで、仔細に見通そうとしてきた。
本物の姿など人には見えない。
そう分かった上で、見ようすることをやめない。
「私の能力は、未来を見ることじゃあない。
本物を見抜こうと頭を動かし続けること、だ」
彼女に発現した能力は、他者と協力して「考える」力を増強する、そういうものなのだ。
時間を超えて条理を曲げるような、大それた奇跡などではない。
それは、細やかな諦めの悪さだ。
言い換えればそれは——
「私だけの、専売特許ではない、ということだ」
人はいつも、一歩先を見ている。
自分の足跡や、今踏んでいる土ではなく、これから踏み出す先に向いている。
そうでなくては、脳を動かさずサイコロを投げる機械と、何も変わらなくなってしまう。
今に立脚し、先を見る。
これから起こることを、予見する。
彼女は世界と戦っている。
「八志先生!敷地内から敵です!」
その直後に大きな揺れと風圧。
破片が飛んで魔法防御やエネルギーシールドを光らせる。
「距離100!報告にあったモンスターとの混成軍!」
「数は?」
「確認できるだけでも、モンスターは19体!人間は100以上!」
正門か東門から入った勢力が、こちらにも流れてきたか。
そして、モンスター達の破壊力と射程は、既に何度も聞き及んでいる。
「第二射!来ます!」
「防御陣構えぇい!」
またしても床が上下に波打つ。
天井が轟音と共に剥がされ、雨水がシールドの薄青い膜をチリチリと打つ。
「挟まれたか…!」
門を一つ落とされた時点で、遊撃部隊を編成して向かわせたが、手が足りていないのは明らかだ。
何より、“千総”と思われるモンスター達の登場という、想像できたら逆に異常者である事象が、彼らを極限まで追い詰めていた。
このようにして現実とは、何も約束してはくれない。
「どうします…!?」
1秒の逡巡の後、決断する。
「打って出るぞ」
背後から来る軍勢を引きつけ、彼らが居る場所まで雪崩れ込んだ瞬間、そいつらを前に放り出しながら、正面の敵陣へと切り込むのだ。
二つの勢力を混ぜこぜにして、その中に自分達も飛び込み、常人では敵味方などあったものではない、混乱の頂点を意図的に生み出す。
少なくとも、罹患者の兵隊達はパニックに陥り、まともに機能しなくなる筈だ。
そのランダムな連射地獄の中では、高度な状況解析と弾道計算を瞬時に導出し、敵の反射的思考までトレース可能な、八志の能力がフルに生きる。
「下手な鉄砲、数撃てど外れず」、そのローカルも、作用する瞬間にはエネルギーの励起が観測できる。それなら、計算式に組み込めるという寸法。
カオスの中で、最も自由に泳ぐのは、彼ら西門防衛パーティーだ。
彼女は一同の顔を見回し、同時に能力で繋がった者達の精神を覗く。
「よし、良い面構えだ」
互いに覚悟という名の拳を、相手の胸へと打ちつけた。
「連れ添う相手に、これ以上無し!」
後方への防備を厚くし、“波”がここまで到達するのを待つ。
勢い余って、この門を登ろうと突っ込んで来るまで、釣り人のように出来るだけ静かに、「今来られたらマズい」という顔で、耐え続ける。
前へは攻撃を優先することで、敵からの反撃を抑制することを以て、取り敢えずの防御とした。
どうせ長続きさせる気が無いのだから、今はこれが適切だろう。
彼らは学園内部の動きに、神経を張り詰めさせていた。
抜群のタイミングで、行動を開始する為に。
だからだろうか?
遠く離れた場所で発信されたそれを、
死が吹き荒ぶ学園の空気に、
一服の清涼を吹き込ませる気配を、
彼らは明確に、観測できた。




