627.来た…!
肘や肩を殴る力。
平手で顔の横を張られたような衝撃。
最初の何発かは、撃っている側なのに感じるそれに、大いに怯んで腰が砕けた。
尻を地面に擦りつけている間も、パニックで手が固まったことで、引鉄から指を離せなくなり、連射は続けられていた。
自分より前に居た奴らは、たぶん全員死んだ。
彼は何も出なくなった銃を抱え、道の脇に這い転がって、奇声を上げて突撃していく仲間達を、半分寝ているような倦怠感に包まれながら、息を殺してただ見送った。
撃った弾が、何人か味方を殺したような気もする。
だが、本当のところは分かりっこないのだし、気にすることではない。
その思考に、彼は狂喜した。
彼は今、気紛れで他人の全てを奪える立場なのだ。
やられる前に、やることが出来たのだ。
自分の命の自由どころか、他者の生まで握り込んでいる。
平等で公正な世界が、彼の番だと言ってくれている。
「へ……、へへ……」
雑踏や喧騒が遠くなっていった。
その場に小康状態が戻る。
銃把から指を一本ずつ剥がし、名前も知らない長い銃を捨てる。
腰のホルスターから小さい方を抜いて、ヨロヨロ立ち上がり破られた塀へと足を向ける。
その武器の方が、手にフィットして使い易く、彼は好んでいた。
途中、草むらの中に隠れるようにして、女が倒れているのに気付く。
頭の上半分は、防具らしきもので覆われている。
露わになっている、ほんのりと薄桃色な頬と、血色の良い唇が、天からのシャワーでしっとりとぷるつく。
「ん……、んン………」
銃の反動を扱うには、魔力無しの女では厳しい。
だから彼が属する軍勢には、女が居ない。
と言う事は、これは敵の“魔法使い”だ。
忌々しいディーパー。
悪を蔓延らせる“加害者”の代表。
彼らは彼女にやられて来たのだから、
やり返さないといけないのだ。
「んん゛…!」
両手でしっかり握り、胸に一発。
間欠泉のように真っ赤な血が……ということはなく、思ったよりあっさりと服の一点が破れ、ビクリと體が痙攣するに合わせて、ぴゅー、と豪雨に紛れるくらいの少量が、飛び散っただけ。
「ん………!」
もう2発。
腫れぼったい口から垂れた一点の紅が、肌の白さを際立たせる。
撃たれる度に、腰を突き上げるような上下運動を見せる。
彼の指先が命じるままに、前衛的なダンスを踊ってくれる。
「ん……、は……!」
得も言われぬ信号が、腰の奥から脳天までを、嘗め上げた。
口の端から顎を伝って、手の甲に当たった生暖かい一滴を、雨のせいだと言い訳しながら、それを飛ばすようにもう1発。
いや、1発と言わず、何度も、幾らでも。
勝てなかった筈の、諸悪の根源。
それを支配していることの優越に、ただただ達し、果てる。
先端から出し終わり、余韻が身を震わせながら駆け巡り、もっと欲しいと、腰を弄り次を挿れようとして、興奮の余りに取り落とす。
「あ、ああ……っ!」
情けない声を上げ、袖やズボンが水を吸うのを不快に思いながら、容器からバラ撒かれた弾を搔き集め、拾い上げて戻そうとする。
「おい、こっちにも落ちてたぞ」
一発を抓んだ長い指が、横から視界に入ってくる。
「あ、ありがとう……、たすかる…、助かるよ、ほんと……」
拝み倒さんばかりに深く謝意を告げ、声の方へ向き直り、目を疑う。
夢かと信じかけるほど、場違いに見えたから。
三つ揃えを肌のラインでぴったり決めた、スレンダーで端正な容姿。
髪を頭の後ろで一つに纏めた、美男子にも美女にも見える、見知らぬ誰か。
いいや、彼はその顔を、どこかで見たことがあるような気がした。
一目で脳に刺さるほど強烈で、見るからに金回りの良さそうな人間。
知り合いに居る筈がないし、居たとしたら忘れる筈はなく………
「あ」
知り合いではない。
一方的に、彼が知っているだけ。
メディアに露出のある人間であるだけ。
「あづま——」
がつん、
その姿がボヤける。
「わ………」
そうじゃない。
ボヤけているのは、彼の意識の方だ。
反射的に下方向へ伸ばされた手が、つっかえ棒や杖の役を果たす前に、頭が先に大地に着いた。
「百万遍死んどけ」
吐き捨てた吾妻は、煙草一本を咥えて取り出し、けれどシナシナになっているのを見て握り潰し、箱ごと地面へ叩きつける。
「くそ……っ!」
その長い脚の下敷きにし、
「なんで……!」
滑らせるように蹴り飛ばし、水溜まりを一つ弾け散らせる。
「こーなんだよっ!」
彼女の機嫌が悪いのは、テロという国難のせいでも、たった今けったくそ悪い光景を見たからでもない。
「なんでだ…!っんでだよロベのおっさん…!いや——」
——ロベ・プルミエル……!
目標が向かったらしい、学園敷地内部を睨み付け、炎を息巻くようだった。
「んでテメーが、モン坊の、モンタの顔に泥塗りつけてやがんだ…!クソを練り込んでやがるんだ…!」
彼女の黄金期、
最上最高にして、今尚その在り方を決める、核とも言える思い出。
それを侮辱されたことで、彼女の精神は沸点を突き抜け、プラズマへと変質していた。
そこに五十嵐からの指令という、お墨付きが与えられたことで、
突っ走る彼女を止めるものは、
全てが取り除かれてしまった。
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「フー…ッ!フー…ッ!フー…ッ!」
店内を徘徊し、テーブルの下まで覗き込み、次の獲物を探す狩人。
それを慎重と称するなら、素晴らしい素質だと言えるだろう。
これで狙いが人間でなければ、もっと多くから素直に褒めて貰えただろうに。
「フー…ッ!フー…ッ!」
一つ一つ、順番に順番に、彼は割れたガラスを踏み砕きながら、隅から隅まで丁寧に洗う。
清掃業者であれば、頭の下がる働きぶりである。
男はやがて客席を回り終えて、カウンターの裏を覗き、バックヤードへとズカズカ踏み込む。
中に人の気配はない、ように見える。
だが錯乱気味である一方、極限状態で感覚が鋭くなってもいた彼は、不自然に転がされた中身入りのダンボールを見つけ、更に奥、備品倉庫へと踏み込んでいく。
ここで視野が狭まるのではなく、観察眼に磨きが掛かるという、戦場で生きる才能を彼が持っていたのは、幸か不幸か、吉か凶か。
ダンボールを蹴り飛ばし、そこにあった扉を突き破る。
中には数人が、全てを悟って表情だけで悲鳴を上げていた。
その中には、一時期メディアで顔と名が知れた、ある家族が混ざっていた。
幼い息子が漏魔症に罹ってしまった、3人家族。
言うなれば彼の同族。
だが彼は気付かなかった様子であり、気付いたとしても関係がなかった。
彼にとっては、今の間違った世間に認められた者は、悪に受容された者達であり、乃ち全てが悪だからだ。
ほとんど一斉に、頭を抱えて目をきつく瞑る。
そして一発。
思ったよりも打撃音に近い、衝突の調べ。
「アアアっ!?」
彼らは声を上げ、今にも破裂寸前だったが、自分の番がいつまでも来ないので、恐る恐る目を開ける。
男は銃を落とし、後ろにあったロッカーに後頭部を押し付け、四肢は床に投げ出していた。
吹き飛ばされて、頭を打って、朦朧としている、という状態らしかった。
銃が爆散したことで、短い悲鳴がまた上がり、
「あっ、おい!人が倒れてるぞ!」
「要救護者一名!こっち!」
そこに駆け込んで来たのは、機動隊員達。
警察の到着に、市民達は糸が切れたかのように脱力していく。
助かった。
その感慨があった。
「皆さん大丈夫ですか!安心してください!救助に参りました!」
一人一人助け起こされ、盾に守られる安心感に囲まれながら、連れ出されていく。
その間、隊員達は部屋の状況を精査し、倒れていたのがテロリスト側だと把握。
デリケートな問題ながら、それでも彼らに訊ねた。
「先程の男ですが、あれは一体誰が制圧したんですか?」
だが、皆が皆、首を傾げるだけ。
男を倒してくれたのは、警察だったと思っていたので、「聞かれること自体が意外」、そうと見て分かる反応だった。
“攻撃”があった時、彼らはまともに前を向いていなかった。
当たり前だ。
あんな簡易型終末量産ツールを振り回す人間を目の前にして、事態の観察ができる民間人などいるものか。
「あかかった……」
「え?」
唯一得られた証言は、少年の一言。
「あかいひかりが、パッ、って……」
「赤い光」。
こんなに幼い子どもに、魔力光が見えるとは考えにくい。
となると、詠唱された魔法か、それとも副次的に発生した炎だろうか?
仮説は幾らでもあるが、それ以上は踏み込めない。
ここまで聞いて、それでも名乗り出ないということは、ディーパーであることを周囲に知られたくないのだ。
そう理解した隊員達は、今は深く問うまいと頭を切り替え、
安全地帯まで彼らを守る、その仕事に注力するのだった。




