621.やらなきゃいけないこと
左の掌の上に、人差し指だけを立てた右手を乗せ、構える。
「“強弱均衡同害報復”!オトシマエ!ドスエ!」
完全詠唱!
「取り立て」の魔法!
彼女が感じた損害を、そのまま敵へと返してやる!
が!
「!浅い……!」
外皮がボロボロと朽ちていくだけで、垢を落としたかのように無頓着。
歩調は一定なまま、不快になる様子もなく近付いてくる巨獣。
「足リテネエゾ!チャント明胤学園全体トノ係争ダッタンダロウナ!?」
跳ね回っていたオットーが隣に着地。
「そう設定してるドス!」
「ジャアマタ、繋ガリガ切ラレタカ!?」
二人で原因を洗い出す。
「そういうのでもないドス…。でもそれは、おかしいドス。幾らなんでも、被害金額に見合って……いや…!」
「ナンダ!?」
「あいつ、融合したものを自分の所有物ヅラしてるドス!?」
「ア?……アリカヨソンナノヨー!」
この場に、AとBの二者が居る。
Aが受けた被害と同じ分だけ、Bからも取り上げる。
それがジャミーラの魔法効果。
この時、Aが思う被害の重さが強いほど、Bが受ける罰も大きくなる。
今回のケースは、Aに「明胤学園」という自分が属する集団を、Bにナイニィを代入し、発動。
だがナイニィ側の魔法が、融合したものは「自分そのもの」であり、故にお前達の物ではない、という物語を押し付け返した。
本当であれば、魔法能力で強奪した物品なのだから、「盗った」という意識が生まれる筈。両者の間に発生する、「加害」と「被害」の関係性。その合意が縁となり、共有されたストーリーとなり、この魔法を成立させる。
だが今のナイニィの倫理観は、野生動物のそれと同じ。
殺意を持って人間を狙うモンスターと比べてすら、稀薄で考えなし。
アメーバが捕食と共に広がっていくのと同じように、道程を取り込み進んでいるだけ。無軌道で享楽主義であった壊し屋時代以上に、「悪」を行う意識に乏しい。
大方の人間が虫を踏み殺しても、何かを「奪った」感触を得ないのと同じく、ナイニィは「加害」の自覚を欠いている。そもそも、「所有権」の概念すら育っていない。
人は熊を法廷で裁けない。
「ダガ『出来ナイ』ジャア困ル!」
創口だ。
それを殺すには、体内流動まで届く創傷が要る。
「モウチョイ深ク!切レ込ミガ入ルクライヲ頼ムゼ!」
「……、獣と一緒なら、概念を理解できないってことドス…!」
「なら奥の手だったら利くドス!」、
指を支柱として、赤茶の秤が出現。
再審請求!
「次は行けるドス!」
「信ジルカラナ!」
オットーは地を蹴りいつでも追撃可能な間合いまで再接近!
「“強弱均衡同害報復”!それは“お前”じゃないドスエ!」
ジャミーラが次に片側の皿の上に置いたのは、人間だ!
ナイニィが正門を突破した時の大破壊。
その生存者の中で、最も重傷だが死んでいない者!
「持ち物を壊される」という間接的被害でダメなら、直接的、肉体的被害を受けた原告を連れてくればいい!
事前に無線で使えそうな職員を聞き出しておいて助かった!
「天秤に載せられることは同意済みドス!」
そしてナイニィに触れても生きているということは、取り込まれそうになっても抵抗した者であるということ。
ならばナイニィ側からも、“他者”として認識されている!
〈ニィィィィイイイイイイイイイイ……!〉
今度は入った!
「略取」の容疑は証拠不十分だが、「傷害」について言い逃れができない!
全身数箇所がパックリ割れて、幾つかの脚が切断される!
「今ドス!」
「既ニダ!」
胴体部に最も近く、最も深い傷に、オットーの背から生える八足が捩じ込まれ、
「“神聖海棲釣足八本”ァッッッ!!」
伝達阻害の蛸墨!
ナイニィが持つ、信号や栄養が通る経路に沿って、それは全身に広がっていく!
その中であらゆる「伝わり方」が狂い、乱れ、途切れ千切れる!
8割不随!
巨体を維持できない!
「ドンダケデカブツデモ!ツーカ!デカケレバデカイホド!身体ヲ端カラ端マデ繋グ“システム”ガ急所ニナル!」
体躯が大きいと、末端にエネルギーを届けるのに、より強い勢いが必要となる!
盛られた毒も、それに乗って凄まじい速度で回ってしまう!
オットー・エイティットの必殺!
大型モンスターにはこの手に限る!
「可愛クナッタジャネエカ!」
ビチビチとウネる先端部を、巨大なガス噴射戦斧2本で斬り上げる!
魔力や魔法の機能も阻害されているので、今なら触れても融合侵蝕は軽度!
攻撃チャンス!
「地面ニ付カセネエゾッ!」
敵能力に対する、
完璧な対処!完璧な解答!完璧な適応!
惜しむらくは、まだ“対人”のつもりでいたことである。
魔力の流れから言って、本体があるのが頭部付近だと睨んだのは、正しい見立て。
だが今のナイニィからすれば、“本体”は重要ではあれど、“致命”ではない。
何故なら、魔学回路さえ逃がせれば、別の“本体”が手に入るから。
「ウオリャアアアアアア!!」
連撃を入れるオットー!
その数10m先でアスファルトが沸く!
『地下施設掘削されています!』
『目標進行中!』
「ナニィ!?」
『予測針路は!?』
『そのまま……こ、ここです!警備管制室に直行しています!』
『総員退避!急げ!』
剥がれた表面組織、落ちた残骸達。
その一つに魔学回路が移植されており、それが地面に着いて新たな“自己”を確立。
物語は、それを覚えてくれる意識を求め、猛スピードで穿孔する!
地下構造物を喰らいながら、大きさを増して進む様、ミミズの如し!
「ジャミーラ!」
「……載せられない……!」
遠隔による取り立てを試みるが、魔法がそれを“主体”として認識しない!
単純化されたプログラムそのもの、使い手無き魔法。
それは敵ではなく、現象だ。
地震もまた、法で裁けるものではない!
「じゃあなんで、“こっち”じゃないドス……!?」
それがシンプルな“動作”そのものだとして、手近に居たオットーやジャミーラを通り過ぎることに、辻褄が合わない!
否、それを問うなら、それ以前からだ。
高度な思考など持たないように見えたナイニィが、どうして明胤が隠していた急所の一つ、警備管制室をちょうど進路上に収めて、一直線に学園を縦断していたのか?
偶然ではないのだとしたら、
その物語に、何者かが追加プログラムを書き込んだ?
『セキュリティシステムが各種機能停止!』
『到達予想まで……あと10!』
閃きが降って、理由が分かったとして、
これから全速力で追い掛けたとして、
間に合わない。
管制室が中の人間ごと“融合”させられ、ナイニィは本体を獲得し、地下に巨大なワームが巣食ってしまい、学園は陥落したも同然の状態に——
——“一一一一一一一一一”
書画に使う筆で、墨が撥ねるままに引いたような曲線。
灰の空の下ですら、くっきりと映えるペンタブラック。
それが無尽の網目を引いて、管制室に雨を呼ぶ。
かちり、
鯉口の軽やかな音と共に、腰の刀が納められる。
「り、理事長……!」
正村家当代、明胤学園理事長、正村十兵衛。
地面も、装甲も、隔壁も断ち切り、ナイニィが人に辿り着く前に、斬り刻んだ。
「滅した……、が………」
最終手段は、その立場に相応しい働きをした。
けれども、彼らの肩を打つ雫が、状況の深酷さを物語っていた。
「遅きに失した、か……」
中の人間を出来るだけ多く助ける為、そしてナイニィを確実に除去する為、十兵衛は突貫工事で広く斬り掘った。
彼が開けた穴は、地上から地下数十mの管制室までを、繋げてしまった。
相手が漏魔症だけならまだしも、モンスターの大群まで現れている。
司令塔が丸裸と、言ってよかった。
「ングゥ……ッ!」
そして、ナイニィという危険な大物が消えたことで、そのエリアにも銃火器兵が満ちていく。
最初の1発が弛緩した空気を刺し、それから銃弾大量到来。
ジャミーラが撃たれた。
胸や腹から中身を溢しながら、なんとか自分に命中させた“幸運な”発砲者に、能力でダメージを返す。
だが突発出血と共に倒れたのは3人ほど。
火力の1、2割が減じ、そして新たに数人が銃列へ加わる。
彼女をオットーが抱え上げる。
回転させた斧、蛸足、そしてシールドで銃弾を受けながら、穴に飛び込んでその途中に身を隠すことに成功。
されども治療役が、ここにはいない。
苦悶に細い息を漏らすジャミーラを押さえつけながら、体内で止まった弾丸だけ手早く摘出し、止血処置を施すが、所詮は応急手当の域を出ない。
「おい、誰か」
壱萬丈目が天井を指して、望みに縋るように訊ねる。
「誰か、ここに回せる者で、これを修繕できる能力者は、いないかね?」
オペレーターの一人が、ディスプレイのバイタルサインと位置情報を目線で洗い、
「全て出払っているか殉職済みです」
職務をしっかり熟してくれた。
壱萬丈目は、両手でもったタオルで顔を拭くような仕草と共に、腰砕けで司令席に掛け、
「放棄だ。警備管制室の放棄を決定する」
撤収を指示。
即座に行動を開始した職員に、移転先を指定。
「敵変身能力者の動きからして、こっちの“頭脳”を叩こうという意図が見えることからして……簡易司令部は避難所や生徒詰所から遠く……、地下アリーナ経由で行ける、南西、第9号棟に置こう。設備もある」
明胤学園は、各所で司令部を設けられるようになっている。
その備えを活かす時。
だが問題が一つ。
「学園長、それまで全体の統制が利かなくなります」
手を止めて振り返った若手職員が言うように、手綱が暫く放されてしまうと、明胤の防衛力が脆弱化してしまう。
特に、彼が命じた行き先は、最寄りの管制予備施設ではない。
そのタイムロスは、極めて大きいものとなる。
「うむ……その通りだ……。だから……すまないが……」
壱萬丈目は、信頼できる数人のベテランを、覚悟を決めた彼らの顔を一度見回し、頷く。
「最低限の人員は、ここに残って貰う」
「私と共に、だ」、
ギリギリまで居残って、最高のスムーズさでバトンをパスする。
明胤学園の長として、然るべき決断。
彼は十数秒で、その受け入れを完了した。




