615.あと何人繰り返す?
大気にノイズを走らせるように、乱れる空模様。
8月の熱気が籠る地面にぶつかり、煙る滾々。
深夜、古いテレビの画面を埋める砂嵐のように、静かな雑音が降り籠める中、
雨打際を撥ね散らかし、雫を吸ってピシリと冷える裾や靴下。
「邪魔を壊す」、その機能に特化された筒を、宝物のように抱える一団。
傘を持たない彼らは、全身を覆い尽くす不快から逃げるため、屋根のある建物へと一目散に向かっているようだった。
だがその実のところは、標的を探しているだけ。
これまで胸に溜め込み、閊え続けた澱のヘドロを、嫌いな奴の顔面に吐きつける。
それをしたいというだけで、彼らは命のことすら忘れて、足を必死に動かしている。
「壊していいもの」を求めて。
靴がふやけ始めた頃、事前に受け取った地図で指定された、一つの建物が見えてくる。
あれだ。
あの、見るからに偉そうな、札束を呑んでブクブクと肥えて見える、「金持ちの道楽」のような1棟。
あれの中を、彼らは目指している。
溺れそうだと錯覚する高湿の中、夢でも見ているみたいに思い体を前に押し、巨悪の根城に突進する。
先頭の男が後ろに転ぶ。
足の先で綺麗なアーチを描いていたのを見て、盛大に足を滑らせたのかと思っていたが、そう思うには吹き飛び過ぎで、いつまで待っても立ち上がろうとしない。
意識を失いかけている。
そう見た時、前列の人間が次々と、壁にでも激突したかのように卒倒。
ただでさえ悪い足元に、急に成人男性が転がったことで、走行の勢いが阻害され、後ろがつっかえていく。
20人ほどで構成された先頭グループ、彼らは謎の爆発によって、360°包囲され、集合させられていき、そこにライトイエローの道が繋がる。
スパークと、水溜まりが泡立ち弾ける音。
バタバタと倒れていく彼らに、隠れていた人影が群がり、拘束していく。
一人が道に隠されたパネルを開いて操作すると、地面から防衛用の壁が迫り出す。
魔法陣回路で強化されたその陰で、他のメンバーが銃器を回収しようとして「!?捨てて!」一人が警告。
直後、押収された武器が爆発。
何も残さず溶けて消える。
「証拠隠滅機能!?」
〈どんだけヤクいネタなのヨ!?バックがデカいこと確定じゃないノ!〉
銃火器をここまで揃えていた時点で察せられることだったが、これでもう疑う余地が無くなった。
かなりの力を持つ組織、それこそどこかの大企業や国が保有するレベルの何かが、こうなるよう仕向けている。
丹本という国に対する、大規模攻撃。
単なる夢見がちな貧民革命ではなく、大富豪の策略だ。
「次が来る!ライト・ナウ!」
「応戦しろ!」
後続の数十人が追い着いた。
道の真ん中で突き出ている謎の遮蔽物を前にして不審に思い、その後ろで味方が倒れていると知ると、何らかの兵器なのかというところまで考えが及ぶ。
ならば壊すと単純な思考の切り替えが行われ、トリガーが引きっぱなしにされる。
ビスケットが鼠に齧られているみたいに、壁が驚くほど簡単に削れていく。
魔法による物質的、エネルギー的障壁が何重にも張られて止められるが、それらも数発で突破されてしまう。
最も有効と思われた、水色のバリア。
それすら数発で破られていく。
彼らが持つあらゆる守りが、障子紙めいた頼りなさとなっていた。
『サトジ…っ!?ちょっ』
〈いいや!待たん!〉
その銃列を横から襲ったのは、人を超える体躯を持った猛獣。
厚い毛並みが雨水を破きながら、ゴワゴワした白の背景に残像を払う様は、水墨画の如き幽玄さを持っていた。
暗雲の下でも燃える赤金が通り過ぎると、小銃が次々と割断されていく。
それを止めようと銃口が向く先が散らされ、その隙に壁の後ろから魔力・魔法弾が飛ぶ。
だがそうしているうちに、次なる一団が来る。
その前に、学園が手を打つ。
あちこちで防御壁が起動、身を隠す場所を生徒達に与える。
管制室で遠隔操作を行ったのだろう。
身を屈めてその裏に張り付き、次の行動を吟味する。
避難民や総理を守る為に配置された、防衛用兵力と異なり、彼らの役目は遊撃である。
敵の脇を食い破る、それが運用思想。
後ろが安心だと思っている者と、そうでない者。
どちらの軍勢が、スムーズに敵地を攻略できるのか?
その答えは火を見るよりも明らか。
なので、敵の殲滅よりも、一撃離脱を繰り返し、存在感を示し続けることが、優先される。
特に、相手方に囲まれる中を駆け抜けながら、長く生き続け、戦闘不能にならない。
それが求められる為、機動力と攻撃力に優れ、この学園でも屈指の実力であると証明済みの、特指、八志教室から人員が選ばれた、
というのが、表向きの建前。
実際のところこの人事は、反発や猜疑心といった味方内に巣食う不和を、最小限にする為の工夫だ。
何故なら、敵が漏魔症罹患者だから。
自分達を殺しに来るのが、どんな連中なのか。
それが知れ渡った時点で、進を見る目に疑いの色が浮かび始めていた。
「こいつはグルなんじゃないか」、「そうでなくても、容赦してしまうのではないか」、と。
それを否定する為に、最も危険な役回りを引き受けたのだ。
護衛対象からは遠く、裏切るには周囲に人が多過ぎる。
他が謀に引き込まれていても、生徒会総長という最高権力にして武力が監視している。
裏切り者でなかった場合、本気で戦わなければ、自分が死ぬ。
そういった立場に身を投じることで、漸く納得を得ることができた。
そうでもしないと、完全に無力化され、拘束されたいたところだった。
話の流れが悪ければ、殺されていたかもしれない。
相手からの視線を切れている間に、それぞれの班に分かれて散開。
流石に20人以上が一緒にというのは、身軽な部隊としての身動きが取りづらくなる。
進とプロトが離れないことを条件に、最低6人の構成。
あちこちに形成されていく遮蔽や塹壕を利用し、建物内も経由して位置を隠蔽。
少ししてから、六本木の人形で連携を取って、一斉に攻撃を仕掛けて敵勢を混乱させる。
そのつもりで歩き出そうとした進の足首を、気絶していると思われていた一人が掴む。
「ズル…、いじゃ、ないか……!」
墨やタールのような黒色が、その眼窩を満たしていた。
「お前は、こっち側なのに…!」
籠められる力が、骨を折らんばかりに強くなっていく。
「自分だけ、美味しい思いして…、仲間を……捨てるのか……?」
「お前は仲間を捨てるのか?」、
真っ黒な二つが、彼に問うている。
「お前だけ、救われれば、良いのか……?」
黒の液体がどんどん溢れて、その顔の半分ほどが沈みかけている。
「良いのか…?それで……いいって、いうのか………?」
ゴポゴポと、気道が引き絞られる音を漏らし、それでも焦点は彼から外れず、逃さないと言わんばかりに——
「ススム君!」
肩を揺すられ、我に返る。
「大丈夫!?」
呼びかけに短く返答しながら、彼は恐る恐る下を見て、誰の手も指もないことを確認してから、低い姿勢を維持して駆け出す。
「お前、だけ……」
後には、折り重なる敗者達が残された。
許されざる罪人たちが放置された。
「ゆるさ、ない…!」
彼らの一人は、服の上からでも分かるくらいに胸を上下させ、
「ゆるさ、な、お、おおおお、ぉぉぉぉ………」
肺の奥からえずいて息を荒げ、
「ごぽ……っ」
大きく開かれた喉から、
ぬるりと銃口が伸びた。




