614.あとほんの、ひと絞り
到着早々、彼はバイクから飛び降りながら、ワイヤーケーブルを射出。
ビルの外壁にアンカーを引っ掛け、巻き取りながら登攀。
それを繰り返し、屋上まで来たところで、眼下を振り返る。
見下ろした風景は、平屋や一軒家がひっしりと並んでおり、平坦に開けていた。
『相手の平均速度から言って、間に合ってる、はず…!』
眷属が殺されてから、再発射までの間。
その時だけ、狩狼はスパルタクスを追えなくなる。
その間で、相手の次の狙撃位置として予測された地点に、密かに潜伏できたなら?
『来た…!東からそっちに真っ直ぐ向かってる!』
絶好のスナイピングスポット。
遠距離から敵を撃ちたいなら、ここが最適。
だから、待ち伏せが可能。
端に背をつけて隠れていたスパルタクスは、身を乗り出してライフルを構える。
スコープは外し、ヘルメットと一体になっているゴーグルデバイスのズーム機能を使用。
銃本体に搭載されたシステムと同期させ、照準位置を補正。
敵はこちらへ向かって来る形で移動中。
X軸とZ軸方向への動きが最小限となり、ほぼ一次元的ルートを通って彼に近付いてくる。
どれだけ高速であろうとも、外すわけがない。
全速移動中のヘリコプターのパイロットを撃ち抜いたことがある彼にとって、自らの側に距離を縮めて来る相手を撃ち抜くなど、造作もないこと。
数秒後に相手が通る遮蔽の切れ目、商店街の出口からすぐを視界に収めるように、全身の骨で銃身を固定。
トリガーに指を掛け、後は偏差を考慮に入れて——
『うっ、撃った!?』
想定を上回る速度で飛び出された。
杖のような形の遠隔作用魔具に脚を絡め、後端を猟犬で押すことで飛行している。
猟犬のみの場合の最大速には劣るが、それでも走るのと比べれば格段にスピードアップ。
すぐに敵の動作予測を修正、素早く俯角を大きくして、射撃。
だが直前で90°転回されていた。
彼がそこで歓迎を用意していると気付かれたのだ。
恐らく、敵をおびき寄せる為に魔力の気配を出し、それで加速することで無防備な大通りを足早に通り過ぎる、その予定だったのだろう。
それが結果的に、眷属の感覚で相手の位置を察知することに繋がり、直感的な危機察知と回避を為さしめたのだ。
だが狩狼は、そうと勘づく前に、スパルタクスへと全力接近してしまった。
反射的に舵を切ったが、それでも50mほどの距離まで近付いた後。
今なら追い着ける。
ジェットパックの推進力を水平方向に全開。
ライフルをその場に放置し、身軽な状態で相手を追う。
マガジンに実体弾を装填。
敵から完全に追跡されないように、猟犬は狩狼の背を押すのではなく、スパルタクスを突き刺すのに使われた。
左腕と首回りの防弾装備の一部を破るも、カウンターを数発叩き込まれて消滅。
重力加速とジェットパックブースターの二つで滑空に近いやり方で空を横切りながら、ディーズの誘導を元に追い縋る。
僅かの間だが、肉眼がその背を捉えた。
小刻みにブースターを噴かして激突前に落下エネルギーを減衰。
最後のカートリッジをジェネレーターに刺してシールド形成。
それと受け身で衝撃を緩和した五点着地で民家の上を転がり、起き上がり様に蹴って流れるような屋根渡り。
この近くまで来ると、訓練された彼の聴力が、狩狼の位置を特定できるようになる。
ヘッドセットに搭載された音波探知センサーも、それを補強。
あと二軒渡れば、ほぼ真上から見下ろす形を作れる。
拳銃にセットしたカートリッジはまだ余力を残しており、強化銃弾を放つことが可能。
そして弾丸で満杯のマガジンと交換し、瞬間最大火力をいつでも叩き込めるようにしている。
殺せる。
と、自らが狩られる直前であることを、狩人の感性が導き出したか。
確実な敗北の直前、狩狼は自身の前にあった電柱を蹴って反転。
次の一歩で大きくバネを溜めて、
影が跳び上がる。
そちらに銃口を向けようとしながら、スパルタクスは首の後ろの鳥肌に気を取られる。
これ見よがし過ぎる、と。
目線を下に。
縁を掴んで自身を持ち上げた狩狼が、スパルタクスに魔具を、それを縦断するスリットの先を向けていた。
「“マフく——」
だがそこから円形歯列が撃ち出される前に、シールドを破壊した特殊合金弾が喉と胸を抉るのが早かった。
ディーパーと渡り合い、生き残ってきた漏魔症。
その凄みが、最後に押し勝っ『スパルタクス!上だ!』
首の横に、左腕を立てるも、それを斬り裂きながら三連の鋭角三角形が食い込む。
最初に囮として、開いた状態で投げられていた、折り畳み傘。
その裏では、三つの四角で構成された誘導弾が中棒を咥えて角度を調整。
そこに走った溝に沿って貫通弾が発射され、スパルタクスに命中した。
「げぼっ……!」
最後の力を振り絞り、敵が怯んだ隙を突いて焼夷弾を構える狩狼。
その前で間欠泉のように首から緋色を吐きながら、何一つ動じずに追加の数発を確実に命中させるスパルタクス。
支えていた腕の力が抜け、落ちていく。
牙で血管を掻き混ぜていた三角形が、溶けるようにドロドロと崩壊していく。
止血処置の為に、ポーチからテキパキと救急医療品を取り出す。
『まだ生きてっ!』
悲鳴のような声と同着。
頸部の裂創に四角い追尾弾が咬みつき、骨を砕いた。
グレイハウンドが完全な絶命を演出したことで、最後の最後に下げられた左腕のガード。
残留思念とでも言うべき執念の一撃が、それによって実を結ぶ。
前のめりで倒れるスパルタクス。
滑り落とされた拳銃が破裂し、跡形もなく消える。
軒先にある庭では、花に囲まれた少年が、小さな人形を握り締めながら、虚ろな目に灰の海を映していた。
「ろ…ぴ……」
掌から伝わるその感触だけが、彼の魂を最後まで繋ぎ止めていたのだった。
「……わせ…に……なっ………」
雨足が、少し強まった。
天が葬送の為に、死に化粧を施している。
黒くこびりつく紅を洗い流し、
尊厳に満ちた、穏やかな終わりを与えん、と。




