608.門前払いにされてるうちが花
丁都、神宿。
この辺りは、しとしとと肌を撫でる程度の、小雨であった。
車道が大勢の人体で満たされている。
歩行者天国、というわけではない。
彼らは歩くどころか、身動き一つ見せないのだから。
転がる彼らに何度かつまずきながら、数人の男がへっぴり腰でジリジリと行進。
横並びの彼らは、バラクラバのように顔の下半分を布で覆い、血走った目をギョロつかせている。
時折、スマートフォンについたアクセサリーや、カバンから飛び出た小物類を踏み砕き、自分でその音に驚いて、目前で倒れた体に穴を追加開通。
一人がそうなると、それ以外も急に精神の平衡を失調し、バタバタと喉を掻き鳴らし、やがて互いに肩を叩き合って、神経を鎮めようと試みる。
見るからに、初陣。
新兵丸出し。
だがその両手で把持した、筒の高度進化形態のような獲物が、彼らに殺戮者の玉座を用意していた。
彼らはそれを持っている間だけ、虐げる側の人間である。
「なんて、そうは問屋が卸さねえだろうが」
異音がしたらしつこいくらいに反応していた彼らは、その時もまた引き金に掛けた指を動かそうとした。
だが、叶わなかった。
彼らは金縁に青色の鬣に目を奪われ、その中央で剥き出された牙に竦み、
重圧が彼らを釘付けにした。
「“仁任師獅子重労苦”。怖えだろ?動きたくねえだろ?」
雄々しく地を叩く唸り声に、膝を震わせる男達。
背に獅子を負う、機動隊のアーマーを身に着け、全身を覆える盾型魔具を持つ刑事。
「こいつに睨まれると、動けなくなんだよ。お互いの力の差がデカい、勝てるわけない、ってそう思うほど、肩も足も重くなる」
指の位置すら動かせなくなった彼らは、「勝てない」と思ってしまったのだと、彼ら自身にそう分からせて、効力を更に上昇させる。
「俺もな、動きたくねえんだ。極力な」
彼らの睨み合い、いや、睨みつける者と竦み上がる者という、一方的な邂逅。
格付けは、既に済んでいる。
「仕事だから見逃すってのはナシなんだが、俺はこう見えて、いやそっちからどー見えてんのか知らねえが、まあパッと見より、和を以て尊しとなすタイプだ」
「言ってること分かるか?」、
獅子が顎を引き結び、そこに籠もった力の増大を視覚的に分からせる。
「お前らの方は、第一印象だと平和主義っぽくは見えねえが、まあ人は見かけによらねえからな」
「俺と気が合うってんなら、そんなに嬉しい奇遇はねえわな」、
汗と、雨粒と、視線と。
その肌を伝う数多によって、彼らは温度という温度を奪われる。
「お前らに同情しねえでもねえんだ。俺はそれなりに優しいからな。だから——」
——すんなり降伏してくれりゃあ、
——命までは取らねえ
極度の緊張に曝された彼らに、それを終わらせて楽になる、そんな道を教えてやる。
「無駄に疲れて、無駄にグロッキーになるだけだ。やめようぜ?もう」
彼は歩み寄る。
獅子もまた、彼らに近づく。
同じ頃、明胤学園、正門前。
「良イノカヨ?」
潜行用アーマーの上に、背から生やした八本の蛸足を巻き付けて、全身を守る男。
彼が正面に堂々と立ち、学園の敷地を囲む数百、数千人と相対する。
「ソレ使ウンナラ、加減ナンテ出来ネエゾ?」
顎で示すのは、群衆が持つ殺人機構。
覚悟も無しに握っていいものではないと、彼はそう諭す。
「ソウイウ事ヲシネエッテ約束ガアルカラ、俺達ハ弱イオマエラヲ守ロウトスル。俺達ニ反抗シテモ、配慮スル。殺サネエヨウニ」
ここには国があり、ルールがある。
命のやり取りにも、寧ろその領域にこそ、越えてはならない一線が引かれている。
「俺ダッテ、戦闘講習トカデ呼バレタ身ダシナ。オマエラガ憎クテ此処ニ立ッテルンジャネエ。偶々居合ワセテ、仕事ガ増エタダケダ」
過剰な暴力、報復は行わない。
適切な限度内で、割り切るようにする。
「ダケドモナ、“ソレ”使ウッテンナラ、話変ワッチマウンダヨ」
どちらかがその「約束」を破ってしまうと、情け容赦の無い、痛みとクソに塗れた、誰も得をしない血みどろが始まってしまう。
最低保証、セーフティーネットが取り払われ、勝ったとしても擦り減り切って、負ければ虚無の奈落に堕ちる、そういう夢も希望も語り得ない未来しか、残らなくなる。
「オマエラ、救イヲ捨テルンダナ?ソレヲ使ウッテコトハ、守ラレル弱者ジャナクテ、殺シ合ウ敵、ッテ立場ニワザワザ就クッテコトニナルケドヨ?ソレデ良インダナ?」
地獄に入門しようと言うのか?
ここから先は、どんな言い訳も、苦情も、請願も通用しない。
負ければ死ぬし、勝てても死ぬ。
理不尽ばかりの、戦士の世界だ。
「ソレデ、コッチ側ニ入ッテクルト見テ……、良インダナ?」
負ける気はない、それを態度で示す。
同時に、この戦場から「勝利者」が消える、それを仄めかす。
尊厳ある個人として扱えるのは、ここが限界。
これ以上は破壊対象か、破壊された残骸、打ち捨てられたゴミか、どちらかとしてしか見れなくなる、という最後通牒。
彼らが何かにせっつかれて、勢いでこれをやっていると、それは戦場にこなれた者の目からは明らかだった。
精神が戦う者の形をしていない。
叫び声を上げて、誰かが眉を顰めたのを見て、「声が届いている」、そう実感したいだけ。
児戯だ。
それだけの心持で、彼らはこれをやっている。
これだけの混沌を実現している。
それを可能にしてしまうのが、銃器。
器に見合わない、外付けの力なのだ。
彼らには、思い出してもらう。
それが彼らの手に余ることを。
このような大それたこと、御し切れるほどの度量を、彼らは持たないのだと。
小人物は、その身の小ささを忘れた時に、破壊的な厄介者になるのだと。
「ヨクヨク、考エロヨ……?オマエラソコマデシテ、ヤンノカ?残ッタ僅カナ可能性ヲ売リ払ッテマデ、絶対ニ幸セニナラナイッテ確定サセテマデ、コレヲヤリテエッテノカ……?」
目元を引くつかせながら、一人が銃口を下ろそうとしている。
冷や水によってアドレナリンの酔いが醒めたら、恐ろしさを思い出すしかない。
一個が崩れれば、それで全体がバタバタと連鎖的に崩れる。
無血で事が落着する、その最善を彼らは掴んだ。
獅子の頭が横から吹き飛ばされた。
対物弾による狙撃。
蛸足を守っていたシールドが突き破られた。
敵陣の奥から、大将自ら小銃による一番槍。
一つが倒れれば、それが全体に波及する。
銃声は、一回で足りていた。
手の中にあった収束は、
力づくで引っ手繰られた。




