603.追い込み漁みたいに、じわじわ周到に
「チッ」
彼の心情説明は、その一音で充分である。
が、一応誤解のないように、より詳細に掘り下げると、彼は「ムカついて」いる。
「チッ、チッ、チッ………」
せっかちでこだわりが強い彼は、仕事は無駄なくパッパと済ませたい質である。
遅れが出るとそれなりにカチンと来るし、完璧な計画を崩されたらも我慢ならなくなる。
スケジュールが絶対であり、万が一それを乱された時には、その原因となったヤツをぶん殴ることが、高確率で許容される。
だから彼は、要人警護などという、難儀な職に就いている。
「チッチッチッチッチッ……」
短気は損気の言葉通り、職業選択の幅は随分狭くなってしまっていたが、彼には不満も後悔もなかった。
今回もまた、ちゃんとスッキリ出来るケースだからだ。
「“頞儞羅摩尼羅辰風《ティックタック、チクタク、アジック》”!」
両人差し指を、直角に交差させ、十字を作って完全詠唱。
自身を含め触れたものを加速させる能力が発動。
敵が弾の再装填に手間取っている間に防弾鞄を広げて飛び出し、押し退けられる空気すら加速させることで高速移動!
「ついてこれてねえか」
動体視力のレベルを見れば、そこまでの使い手ではないと分かる。
弾丸を見て避けることができなくとも、そもそも銃口を向けられなければ当てられない!
「チッチッチッ………、スッキリさせろ」
黒スーツが駆け、帯状の残像を残しながらも襲撃者の側面を取る。
横から手刀で一人の首を貫き、その手を振り抜くことで撒かれる血液や肉片、骨を加速させ、隣のもう一人の皮膚にブツブツと刺さり込ませる。
「トーシローが……」
車列からの反撃に掛かりきりになっている彼らは、加速しながら各個撃破する彼を認識できてすらいない。
それでも念を入れて、背後に回り込みながら、更に一人、二人、三人と、落ちていた破片を加速投擲したり、肉弾を放ったりすることで、その頸椎を貫いていく。
敵が彼に反応する様子はない。
どころか、身体強化が適用されていないようにすら見える。
ディーパーの中でも下位、ランクで言えば1~4に収まる落ちこぼれ。
どころか、より不可解。
彼らはまるで——
——魔力が…?
そこまで考えたあたりで、討った敵の数が充分な水準に達した。
総数は多いが、全員を殺す必要はない。一方向だけ、逃げ道を開けていればいい。
彼の仕事の究極は、敵の殲滅ではなく護衛対象の生存なのだ。
「チャチャッと、無駄なく、完璧に」
後はワゴンの壁をどう退かすかだが、いつでも動かせるように、キーが刺さりっぱなしになっていた為、悩みは一瞬で解消した。
「いいな、いいテンポだ、無駄が無い」
包囲網に無人地帯という穴を設けた彼は、運転席に乗り込み鍵を回し、
フロントガラスが割れる。
アクセルを踏んだまま、腕から力が落ちて、ハンドルを切れない。
「そ……!」
胸から瞬時に夥しい流血。
「狙撃…っ!」
頭が吹き飛ぶ。
SP用のシールドジェネレーターが、一発目で貫通され、たった二手で命を獲られた。
加速能力。
事前に手に入れた名簿通り。
どれだけ速くとも、重い車を動かさなくてはならないのなら、それを押すか、運転するかの一瞬、大きな隙を晒すしかなくなる。
前線の兵で練度の低さを見せておいて、油断して不用意な行動を取ったら、観測手が即座に報告、長距離遠隔攻撃の餌食である。
「ほ、ほんとにあの一瞬で?怖いくらいの正確性だね……」
少し離れたビルの非常階段の途中。
自分の考えた作戦が完全に嵌まった形だが、単眼鏡を覗くディーズはチラリとも笑わない。
対物ライフルの横に突き出すボルトを引いて排莢する、“コッキング”と呼ばれる動作を隣で行っている男、スパルタクスの技能ありきの結果だと知っているからだ。
「さて、そろそろ他のみんなが……」
彼が言っている間に、SPの車両一つが爆発炎上した。
「うあー、だ、大丈夫かな?やり過ぎてないといいんだけど………」
ヴァークとスタッグから提供された銃器は、確かに凄まじい威力だ。
護衛専門のディーパーが強化した、要人用車両。
魔学構造も持つだろうそれに、確かなダメージを与えている。
爆発したと言う事は、ガソリンタンクに穴が開き、かなりの酸素と触れ合ったということ。
強固に守られている筈の、その部位にまで破壊が及んでいるのだ。
先程のSPにしたって、一撃ヒットで致命的な負傷になるなど、思ってもみなかったことだろう。
試作段階とは言え、流石は彼の国の虎の子。
今も、魔法で防御しつつ動こうとした数人を、無慈悲に赤黒い蜂の巣に変えていた。
とても良い。
高品質なディーパーですら、呆気なく殺せている。
が、全て殺されては困る。
どうしても、逃げて貰わなくてはいけない奴が居る。
「こちらディーズ。ロベ、火力調節をお願い。もうちょい“トロ火”にして」
『了解だ、言って聞かせる』
そこから十数秒後、一台がバックで曲がりながら90°横を向き、反対方向へと逃走していく。
「スパルタクス、ナンバーは見た?」
親指が上がった左手が答えだ。
彼らのお目当ての車両が、思った通りの行動を取ってくれる。
「ディーズからみんなへ。第一段階成功。ワールド・ウォーはどう?次の手順に移行できそう?」
『楽しいことになってるよ!我慢できないcherryが始めちゃったんだ!』
「あー……、了解。僕達が行くから、そっちはもう離れていいよ」
ディーズ達がそうやって河岸を変えている間、三枝は車内で前傾姿勢を維持しながら考える。
丹本国内に、あそこまでの銃火器武装戦力を用意できる相手。
それならどうして演説中のような、狙いやすいタイミングを見計らわなかったのか?
これではまるで、「逃げてください」と言っているようなものだ。
そして、敵がそう言ってくる理由に、一つだけ心当たりがある。
銃の入手経路まで含めて、腑に落ちる説明がつく答え。
「二階堂、一番近い緊急護送先は?」
「こっ、ここからですと——」
その場所を聞いて、
「なるほど……」
彼は相手の打ち筋を理解した。
「名案、名案だな」
赤く汚れた脂の轍がアスファルトに刻印され、そこにぽつりと滴下される天涙。
空が、徐々に灰へ滲んでいく。
雲行きが、怪しげになってきた。




