602.心地良いのが、良い事だとは限らない
「総理……、総理?」
「ん……」
太蔽洋戦争の終戦記念日を間近に控えた、8月13日。
三枝聡一郎は、内閣から選任された運転手である二階堂に呼ばれたことで、自分がうたた寝していたと気付いた。
「お加減が、優れませんか?」
「いや……」
二人の他には、秘書やSPだけしか同乗していない車内であっても、彼が人前で隙を晒すことは珍しく、だからこそ二階堂は体調不良を懸念した。
「ここのところ、ヘビーな案件が続いたからなァ……」
欠伸を噛み殺し、「海千山千の黒幕」の顔に戻る。
2回のドミノボム投下日を越えて、次は先の大戦を総括する式典が待っている。
現代の現実を逸脱しないようにしつつ、「叛意あり」と見られないように、「償い」の態度を崩してはならない。
今を生きる国民と、過去を恨む良識派と、杭が出ないように目を光らせる諸外国と………
一つに向き合って、それを全肯定すれば、他との不和を呼ぶ。
それぞれを出来るだけ納得させながら、どれにも深入りしすぎない、そのバランスが求められる。
彼は戦争の当事者ではない。
いや、彼だけでなく、今や当事者は世界でもごく少数派。
だから彼らが「償う」ことなど、もうほとんど何もないと言っていい。
だがそれでも、殊勝な顔で行儀を正さねばならない。
戦争に負けるとはそういうことで、
軍事的プレッシャーが弱いとはそういうことなのだ。
彼はそれを知っており、だから強者の顔も弱者の顔も出来ない。
敵を作らないような立ち回りという、神経を擦り減らす調整の連続の中、移動時間という束の間の休息に、つい気が緩んでしまったのだろう。
「不注意、不注意だった」
カーテンで隠されているとは言え、危なかった。
彼は心内で強く戒める。
一流の政治家は、そのビジュアルさえコントロールしなければならない。
「只者ではない」イメージは権威となり、権力を呼び寄せる。
逆に間抜けそうに見られれば、それだけで千里の城を崩す一穴に、失脚の足掛かりにされかねない。
くだらないことだと、三枝自身はそう思う。
「内の悪さが、外に滲み出る」、「外面を取り繕えないヤツは、内面も醜い」、という言説は、今時の言い方で“ルッキズム”というものだろう。
「外見で判断する」簡単なやり方の正当化。
人の内側と向き合う事を避けたい、人を探るという手続きを省略したい、といった要請によって生み出された理屈。
最低限の衛生観念以上は、外見の優劣など全て主観になる。
「清潔感」などという詭弁もあるが、最も清潔な「スキンヘッド」という型が不人気である以上、衛生的な問題をクリアすればヨシ、という話でもあるまい。
肌荒れ一つとっても、単に手入れを怠っているのか、遺伝や体質、疾患といった避けようのないものなのか、それを見通す能力が、万人にあるとはとても思えない。
外見が良いのは健康の証。
結局のところ「健康優良」という、運に恵まれた側の自己紹介に過ぎないのだ。
そもそも肌のケアに執心する時間を、政務やら研究やら労働やらに割かせた方が、遥かに多大な価値を生み出す、そんな人間を彼は数多く知っている。彼らに外側を装飾する時間を費やさせる、それは国にとっての損失と言える。
更に、清潔でない者が悪、というのも、獣の論理でしかない。
土や泥、血や糞尿に塗れ、見るだけで生理的嫌悪を催す外見の者達が、快適な社会を成立させるパーツとなっていることも、彼は知っている。
人は汚れるものだ。
自分が汚れていないように見えるなら、それを拭い、代わりに被ってくれている誰かがいる、それだけだ。
人が抱く嫌悪は、何かを「気持ち悪い」と思う直感は、必ずしも真理を突いたものではない。
モデルや俳優のような、鑑賞作品としてならともかく、外見が優れているから頭が良いだろう、みたいな偏見は危険ですらある。
そういう事を言う人間に限って、外面の良い詐欺師や反社会的勢力に唆され、一生を棒に振りかねない悪事に、勢いで手を染めることになるのだ。
三枝の父は、そういう外見至上主義的な言い草を激しく憎む男であり、だから彼に「人の見極めをサボるな」と、口酸っぱく叩き込んだ。
見てて心地が良いことと、善い事は違う、と。
だが世間は、世論は、民意とは、
そういった直感で出来ている。
人の多くが、己の快不快のみで動く。
ということは、民主主義における正義とは、多くの個人にとっての快楽が、たまたま重なった領域、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
そうなっているのだから、仕方がない。
彼ら政治家は外見を、聞こえを良くしなければならない。
「気持ち良い」を求めた先、ポピュリズムが何を生んだか、それを経験して、しつこいくらいに恐れるようになった21世紀。
それでもなお、人は変わらなかった。
少しでも「気持ち悪い」と思えば、それがいつの間にか“悪”だということになる。
その世の中で最強の立ち回りは、誰かの欠点を詰ることで、人気を博するやり方。
敵に悪のレッテルを貼る、それがそのまま好感度になる。
くだらないパフォーマンス。
だが、民主主義社会である以上、それを求める意思は重んじられる。
人は、戦いが好きなのだ。
正義と悪のぶつかり合いが大好きなのだ。
そして正義の定義はいつも、「悪と戦っている者」だ。
つまり世の中が求めるのは、いつだって「悪」の方なのだ。
そんな「悪」にならない為に、直感によって不快と思われない為に、政治家は外見を整えるのだ。
そしてその構造は、潜行者が権力を持ち易い、その理由でもある。
地震や台風から人を助けようとする映像より、ダンジョンでモンスターを殺す映像の方が、多くの人間に求められる。同じ災害対策分野で、どちらも命が懸かっているにも拘らず、顕著な差がそこにある。
意思無き地面や風を「悪だ」と糾弾するのは、虚しいだろう。
だが、モンスターなら?
人間を殺す意思を持ち、厳密には生物でないとされ、既存の自然科学の中で、異物感まで放っている。
悪だと言って、踏みつけて、倒しても、後腐れが一切ない。
人はいつだって、攻撃対象を求める。
ポピュリズムやダンジョン配信が、そのニーズに応える。
故にこそ、あの少年を、
それが身を立てた先にある、「正義」の蠢動を、
三枝は看過できない。
世界をこれ以上、善意で掻き回してはいけないのだ。
だから彼は——
「ん?」
二階堂が怪訝そうな声を漏らした。
「どうした?」
「いえ、前の車両が………」
先導するSPの車が減速した。
「渋滞か?」
「夏休みシーズンですからねえ……。いや、それともアレかな?」
彼が顔を乗り出した先は、前方に居座るトレーラーだ。
何らかのトラブルで動かなくなり、道路を塞いでしまっているようだ。
「迂回するにしても……、少し行かないとUターンが出来ませんから……」
待つしかないように思われた。
三枝は訪問先に予定変更を連絡するよう秘書に命じ、
トレーラーの後ろについたドアが前触れなく開いた。
「なんだ?」
中から出て来た者達は、後方へ、つまり三枝達の車列がある方へ、一斉に両手で携えた武器を向けた。
「あれは…!?」
真っ先に反応したのは総理の隣に座るSPだった。
「“金宮”!」
車両の内に手を付いて簡易詠唱。
街中での魔力使用について、本来なら「それが必要か」慎重に検討することが求められるが、この状況に議論の余地は無いと、彼はそう判断した。
そしてそれは、文句のつけようがないほど正しい考えだった。
1秒もせず、鉄のゲリラ豪雨に打たれたかのように、外壁から硬く細かい衝突音が連続した!
「銃火器です!総理!姿勢を低くお願いします!二階堂さん!すぐにここから離れてください!」
後方を守る一台が、更に後ろの一般車両を押し退け、道を開けようとする、そこに追加で数台、制限速度超過で突っ込んできたワゴン車が、封鎖するように横向きで止まり、その中からも小銃がワラワラと伸びる!
周囲の壁や車が、穴開けパンチを何度も失敗したプリントのようにボコボコと削られていき、ガラスや悲鳴が割れ響く!
民間に流通し、魔力の補助も施されていないそれらは、ライフル弾から人を守ってはくれない!
SP達が強化したドアを開いて遮蔽とし、応戦を開始!
この国のトップを守る為、
職務を遂行する為、
世界最先端の人殺しテクノロジーと、
即死が行き交う争乱に身を投じた!




