601.それを挟んで、どうしようもなく変わった
どこかでアマチュアの演奏会でもやっているのだろうか。
狩狼六実はそう思ってから、自分の思いつきの根拠を探す。
楽器ケースだ。
大きめの管楽器や弦楽器、人混みの中から、それらが並び生えている。
大事そうに抱えているところを見ると、買ったばかりの新品か、扱いに慣れていないか。
見かける度に、誰もがそんな調子だから、「素人の集まり」を予想させたのだろう。
今日に限って、いつも以上に通りが騒がしく思えるのは、彼らが喧騒に、慌ただしさを付加しているからか。
——うーん………
どうも、それだけではない、ような気もする。
と言うのも、道行くディーパーの数も、多いように見えたからだ。
他の多くの職業と同じく、それが潜行者かどうか、傍目には分からない。
では何故そう思うのかと言えば、狩人特有の鋭い観察眼が……、と言えれば格好が付くのだが、もっと単純なワケがある。
私有魔具を、ダンジョンからダンジョンに移している際、それが入っているケースには、見えやすいところに表示を貼り付けたり、ぶら下げたりしなくてはならない。
丁度、今の彼のように。
その表示を、今日はよく目にするように思う。
ただ潜行者であるだけでなく、今日はいつもと違うダンジョンに行ってみようと思い立った者のみが、それを付けている。ならば道理として、その表示数以上の潜行者が、この雑踏に混ざっている、ということになる。
その一人である狩狼が言えることではないのだが、多過ぎやしないだろうか?
彼もまた、この辺りになるダンジョン目当てだ。
だが、夏休み中、いつも一緒な六本木に予定があるからと、一人で普段は行かないダンジョンに赴いてみたという、気紛れ120%の経緯。
他の人間も、彼と同じような思い立ちを、ほぼ同時に起こしたと言うのだろうか。
縁があると言うのか、不気味と言うのか。
また、すれ違った。
——あれ……?
足が止まる。
今何か、変だった。
振り向いて、再度観察する。
すぐに気付く。
この辺りの主要なダンジョンと言えば、現在狩狼が向かっている場所くらいのもの。
だが、その人はすれ違った。
ダンジョンから離れている。
帰りだろうか?
まだ午前中の早い頃、狩狼のように、「さー、いっちょ始めますか」、というテンションの者も居るのに?
道の端に寄ってから見ていると、見て分かるディーパー達は皆、同じ方角を目指している。
いや、それだけではない。
頭の上にまで突き出ているから分かりやすいのだが、楽器ケースの一団も、そちら側へ流れているのだ。
だからどうという話でもない。
不思議だが、「なんとなくヘン」、というだけ。
そういうこともある。一々気にするような出来事ではない。
観察力を鍛える遊びとしては面白いが、その行動の目的まで見通せない自分は、技能としてはまだまだだと痛感する狩狼。
だが、行きがかりで見つけた謎の答えを探るという、どうでもいいことに時間を使っていられない。
友人達——トクシのメンバーではなく、以前から付き合いのあったグループ——と、待ち合わせをしているのだ。
これからパーティーで中級攻略である。
彼はそこを離れようとして、その進行方向で通行人の男女がぶつかっていた。
「ちょっと!」
楽器ケースを抱え、そそくさとその場を離れようとした男を掴み寄せ、ガラの悪そうなサングラスの男が恫喝する。
衝撃で尻餅をついた女は、彼の恋人か何かなのだろう。
「ぶつかっといて謝罪もナシですかぁ?ん?」
プリン頭の男が、相手の首の後ろに腕を回して、顔を近づけて凄む。
他の人間はトラブルを避けようと、そこにスペースを開けた上で素通りする。
「あのさ、なーんも聞こえないんですけど」
「………」
「もしもーし!悪い事したら謝るって、分かりまちぇんかー!?ガイジンかテメー!?」
さて、どうしよう。
過失割合について論じられるほど、狩狼は事故をよく見ていなかった。
どっちに理があるか分からないまま、それで口を挟んでしまえば、話を複雑化して、纏まるものも絡まらせてしまう。それは双方にとって、良くないのではないか?
と思う一方で、このまま放っておくのも、危険な気配がある。
ケースを持つ方は、視線を伏せて小刻みに震えており、その顎を下から掴まれ無理矢理顔を上げさせられている。
あれではロクに話し合いもできない。
「ゆ、ユウぽん、こいつ……!」
「あん……?」
と、彼女の方が横から、焦ったようにスマホの画面を見せている。
男は目を眇めて、何かを読むように左から右へ眼球を動かし、
「!……テンメっ!!」
相手を突き飛ばして蹴り転がした。
あまりに激しい反応。
恐れている、と言うより、嫌悪している?
「ローマンがなんで出歩いてんだよ!?」
焦って制止しようとしていた数人を含め、その言葉で周囲が一斉に足を止め、地面にへたり込んでいる男にジロジロと視線を撃つ。
女が撮影用グリップに取り付けた横向きスマホのカメラを向け、彼氏の方は「バッチい!」と相手に触れた上腕をゴシゴシと拭うような動きを見せる。
配信者?
しかも、怒鳴り声を上げて相手を萎縮させている場面を、撮れ高扱いで喜んでいるように見える。
元々が乱暴なコンセプトの活動者。
胸に溜まる怒りを満喫する為、「悪」という壊していい玩具が欲しい。
暴言暴力という、気持ち良いけれど罪でもある行為を、ノーリスクにしてくれる、「正義」という居場所が欲しい。
そんなニーズに合わせ、「こいつは悪いやつだ」と教えてあげるべく、街を練り歩く。そういうコンテンツをメインにしているのだろう。
だとするとコメント内に、アンチローマンコミュニティの人間が居るのも自然か。
漏魔症罹患者相手なら、個人情報を平気で流布するような、倫理観の極北到達者が、あの集団にゴマンと所属している。
そういった客層の期待を背負った彼らは、往来で公開リンチでも始めそうな雰囲気だ。目立つ為に手段を選ばない人間の前に、殴っていい、殴ると喝采が上がるやられ役、悪役が出てきてくれたのだから、利用しないわけがない。
「ちょい待ち……!」
狩狼は彼らを止めようと決意し、人垣を掻き分ける。
これで遅刻がほぼ確定だが、事情を話せば友人達も分かってくれるだろう。
配信者の、「人の情動に訴える」ことの正の力を信じ、少しでも誰かの為に自分が出来ることを模索している、漏魔症の友人を持つ彼からすると、その男の一連の言動は、到底許してはおけないものなのだ。
男にそんな気は無いのだろうが、その存在そのものが、彼の大事なものを侮辱しているに等しい。
ここで出ていかないのは、戦士として有り得ない。
「ちょっと……!」
通りを埋める野次馬を退かしながら、まずは一発食らわしてやろう、どうせ先に相手を蹴ったのはそいつだし、という算段を立てていた、
その時、漏魔症らしい男が立ち上がり、ケースが投げ捨てられた。
両手で持ち上げられたのは、長いパイプと、細い箱を組み合わせたようなもの。
後端が肩当てパーツ、下に二つ、持ち手みたいなものが出ていて、上部には鉄橋のようなレール。ポリマーのような質感のボディ。
狩狼にはそれが、
映画でしか見た事がない、
と言うより、この国では存在してはいけない筈のものに見えた。
男の右の人差し指が、装置の下部の輪っかに通り、カチカチカチリと偏執狂的に何かを押し鳴らしている。
見ていた者達が連想したのは、自転車のギアを変えるレバー。
——安全装置……!
国で働くことも視野に入れている潜行者として、狩狼には知識があった。
まだ止められる。
惨事にはならない。
腕の筋肉に魔力を通す。
「急迫不正」の語は、今みたいな時の為にある筈だ。
道を切り開き、その道具を奪おうとして、
首筋をひんやりと、風邪を直感させるような、厭な悪寒が撫で上げた。
横を見る。
車道を挟んで反対側、こちらを見ている男が、目を丸々と開きながら、ケースから出したそれの発射口を、
彼らの側へ、既に向け終わっていた。
「伏せて…っ!」
叫びながら実行した彼の、髪の数筋を刈り飛ばし、鉛に似せた風が荒れ狂う。
常人には気付けない幅だが、僅かな時間の遅れの後に、バカげた破裂の音階が、ヤケクソじみて滅多打ちされる。
鼓膜を突き抜く数十の騒音、その後に残った僅かな静寂。
それが、始まりの狼煙だった。
8.13浪川事変。
後にそう呼ばれる惨劇の最初は、
迷惑配信者が起こした、対人トラブルだったとされている。




