593.また会おうとは、言えないけれど
女の子だ。
浅黒い肌の上に、大きな葉で作ったような服を着て、そこに立っていた。
小さな花のようなものを片手で差し出し、
「あげる!」
そう言ってきた。
彼女はしばらくそこで、ずっと勝手に話していたが、
やがてどこかに去っていった。
女の子は、何度も来た。
こちらを見上げ、何故か「おねえちゃん」と呼んだ。
「おねえちゃん、カミサマなんでしょ?」
ここでは昔、大きな噴火があった。
その時にたくさん死んで、たくさん生まれた。
「おじいちゃんが、いってたんだ。
おねえちゃんは、やまのカミサマみんなと、くらしてるって」
よく分からないが、そういうことになっているらしい。
「わたし、あえないっていわれたの。
おねえちゃんは、もうカミサマだからって。
カミサマをおこらせると、
いっぱいもえて、たべものがなくなっちゃう、って。
ずぅぅぅっとまえに、みんながカミサマとか、しらなかったとき、
なにもしらないみんなに、カミサマがおこっちゃったんだって」
少女はそこで、ニッカリと口を広げる。
「でもね、こうやってあえたもん!
おねえちゃんやさしいから、おこらないし!
わたし、うれしい!
いますっごくしあわせ!
ほんとはきちゃいけないっていわれてて、
だからひみつなんだけどね」
口を両手で塞ぐ姿勢で、
「いわないでね?」、といたずらっぽく笑った。
「またくるね!おねえちゃん!」
彼女はその時も、そう言って手を振っていた。
「いつか、いえにもかえってきてね!」
陽が沈んで、また昇って、
そこで待っていたら、男がやってきた。
彼は腰を抜かして、
「た、たいへんだ、たいへんだあっ!カミサマがあっ!」
何か叫んで、転がり逃げていった。
それから少女の代わりに、別々の人間が来た。
何人も、何人も、
みんな怯えて逃げて行った。
ある時、彼らは大勢で来た。
彼らは台のようなものを担ぎ、そこに置いた。
「か、カミサマ……!どうか…!どうかおゆるしを…!」
平伏する人々の前に、
葉で作られた布でぐるぐる巻きにされた、
よく分からない物体が置かれていた。
「禁を破ったことは、このように償わせました…!
おゆるしを……!おゆるしを……!
どうか…!どうか……!」
彼らは長い間そうしていたが、変化が起こらないと見て、
おっかなびっくり帰っていった。
それから、誰も、何も来なくなった。
黒々とした岩肌以外、何も見えなくなった。
彼らが置いていったものは、触ろうとしたら、台ごと灰になった。
ふと、彼女のことを、思い出す。
彼らが来て、帰っていく方向は、
彼女が来て、帰っていく方向だった。
会いに行こう、
何故か、そんな意思が湧く。
その先には、死がある。
そこでは、生きられない。
分かっているのに、そう思ったのだ。
歩き出す。
ゆっくりゆっくり、
緑の中へ。
体に引っ掛かった葉がパラパラと散り、
あちらこちらで朱色が上がる。
ちょっと温かくなってきたが、でもやっぱりここは寒い。
いつか、固まって死んでしまう。
ゆっくりゆっくり、
それでも歩く。
先を目指す。
緑より朱色が、赤が広くなる。
まだ寒い。
でもまだ、動ける。
ゆっくりゆっくり、
まだ先へ。
少し開けたところに出た。
人があちこちで動いている。
行ったり来たりしていて、
落ち着きがないから判別も大変だ。
彼女は居ない。
ここではないのかもしれない。
地に倒れたり、震えながらこちらを拝む者達を尻目に、
ゆっくりゆっくり、
先へ、先へ。
赤が、全てを呑み込んでいく。
緑を黒に変えていく。
ゆっくりゆっくり、
もっと、もっと。
彼女はいない。
どこにもいない。
ゆっくりゆっくり、
歩く歩く。
凍えて、
体の自由が抜けて、
ゆっくり、ゆっくり、
ずるずる、這って、
ゆっくり、
ゆっくり、
ゆっくり、
ゆっくり、
ゆっくり…
ゆっくり………
ああ、あの子にはもう、逢えないんだ。
「こうして村のみんなは、竜に食べられてしまいました」
「おしまい」、
火の海の中、いつからか、
俺の隣には、そいつが立っていた。
「お前は……」
こいつは、会いたかっただけなのか?
「勘違いをしないように。これは、ワタクシを構成する物語ですの」
「え、っと……?」
「ワタクシは竜であり、火山であり、木々であり、火であり、あの少女であり、あの村民であり、それら全てであり、それら全てでない」
彼女はただの、過去の、写し。
「ワタクシは、死。かつて知性によって並べられ、繋げられた、滅び」
ただ、語られるだけのもの。
本来からは離れ、そして——
——忘れられたもの
「忘れられた?」
「何かを伝えられる人は、みんな、いなくなってしまいましたの」
そうか。
この話は、もう誰にも知られることがなくなったんだ。
「これが事実そのままなのか、そもそも本当にこんなことがあったのか、それは分かりませんの。
最後に竜が棲み処を離れたのだって、何かを感じて少女を探しに行ったからか、環境の変化に混乱したからか、生存に必要なだけの地熱が足りなくなり、新天地を探す必要に迫られたからか………
答えはもう、どこにもありませんの」
こいつは、忘れられたくなかったのだろうか?
それとも、忘れたくなかったのだろうか?
「泣いていますの?」
目元をゴシゴシと拭って、出来るだけ強めに声を出す。
「泣いてない!泣いてねえから!」
「涙を流せるほど、ワタクシを解ったつもりになれましたの?チョロいんですのね」
「だから泣いてねえって!」
分かることなんてない。
悲しいのか、寂しいのか、虚しいのか、空っぽなのか。
ここを満たしている熱が、熱いか寒いか、それすらも。
「あなたが何故選ばれたのか、分かった気がしますの」
反対に、そいつは何かに辿り着いたらしい。
「あなたは私を理解せずとも、ちゃんとその目で見てくれますのね?」
空を、
煙が上っているのに、そこだけカラッと晴れた青色を仰ぎ、
両腕を広く開ける。
くるくると回るのは、そいつか、それとも景色の方か。
「ああ……!すごい……!生命が神話に過ぎず、粒の集合による運動と作用で作られた泡沫だと、それを受け入れることが出来ている…!素直に感じてくれている……!」
炎の蝶が、
焼燃の嵐が、
渦のように回り舞う。
「やっと、やっと……!」
止まった。
そいつは俺と向かい合った。
「やっと言えますの——」
——あなたで良かった、と
詰まる。
胸が、
喉が、
頭が。
やっぱり、その感情がなんであるか、
プラスなのかマイナスなのかも、断言できない。
どっちでもあるし、どっちでもない気もする。
「ねえ、ススム?」
「なんだよ、メガちゃん」
そいつは一瞬、不服そうに頬を膨らませたが、すぐに人の悪い笑みに戻った。
「もしワタクシが、『止めはお姉様が良い』と、そう言ったらどうしますの?」
その言葉は、
他の奴らから聞いたなら、俺はきっと、違う答えを口にしていた。
でも、そいつになら、
俺は、こう言う。
「ごめん」
そいつに対してだけは、それを了承できない。
何故って——
「俺は、カンナのこと」
人差し指で、口を塞がれた。
「シィー……」
俺が何て言うのか、きっと、分かっていたのだろう。
「それはいつか、御本人に、言って差し上げなさい」
内緒話のように囁いてから、
俺の両腕を取り、
屈んだ自分の首元へと持っていく。
「お願いね?」
指先に力を入れる。
ギリギリと、握力を上げていく。
「ぴ、ぃぃぃいいいいいい……っ」
確実にやる為に、そして苦しませずに終わらせる為に、
「ひょ、おおおぉぉぉぉぉぉ……っ」
最高出力で、首の骨を軋ませる。
「やっぱり、泣いてるじゃない」
もう拭う手を持たない俺に、
そう言った女の、
縦瞳孔が横に移され、
「来て、くれたんだ………」
ポキリ、
とった。
その手応えがあった。
ガクリ、
腕がその重さの全てを伝えてくる。
だけど、食い違うようだけど、それは空っぽだと感じた。
そしてすぐに、燃え尽きるように、消えていった。
俺は、そっと手を合わせた。
目もしっかりと瞑る。
どうせ開いてても、前なんてまともに見れなかった。
「一二三四五——」
うた、
ウタだ。
追悼の詩。
「——六七八九十」
あいつにも、聞こえていただろうか。
心から、そうであったらいいと願った。
「おやすみなさい。あなたは結構、面白かったですよ……?」
——ひょ、ぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおぉぉぉぉぉ………




