590.やっつける!
最初に訪れたのは、凪だった。
日魅在進が起こしていた風、それが完全に止まった。
当然、魔力で固定されていた肉や骨、臓器は支えを失って、
真紅の涙を夥しく嘔吐した。
〈!?……なにを………!?〉
答える言葉も猶予も持たず、
彼は次に、
「すぅぅぅううう…」
息を吸って、
「ふううぅぅぅ…」
吐いた。
魔力廻転が生じ、躰の欠けを下支えした。
「す、ぅぅぅううう……」
吸って、
「ふ、ううぅぅぅ……」
吐いた。
風がまた燕のように、くるりと宙返り。
「ひゅ、ぅぅぅううう…っ!」
吸って、
「ひゅ、おおおぉぉぉ…っ!」
吐いた。
春一番が、力強く火の粉を躍らせた。
「ひゅ、ゥゥゥウウウ…ッ!」
吸って、
「ひゅ、オオオォォォ…ッ!」
吐いた。
体内での周回が速くなっていき、
それはとうとう一本の斜線を引いた。
手と手を合わせ、肘を横に、足を左右に開く姿勢。
その端から端までを使って、見慣れた形を結んでいく。
同時に、ダンジョンケーブルが引き出され、彼の背後に円を作った。
その立体的経路を、前から二次元として見たなら、
〈五芒星魔法陣……!〉
出力大幅上昇、且つ容易な高度処理を可能とする、
魔学界の革新と言われた図形。
それが、
それが土台だ。
前提だ。
ここからが、「やりたいこと」だ。
彼は意識する。
イメージする。
自らの中にある穴、
自らを覆った大穴、
それは「ここではないどこか」へ続いている。
そこから、引っ張り出す。
呼吸の勢いで、
それで生まれるエネルギーで、
ありったけを、「今ここ」に!
「ぴ、ぃぃぃいいいいいい……っ!」
大気が、甲高く鳴った。
「ひょ、おおおぉぉぉぉぉぉ……っ!」
その風はダンジョンを、“爬い廃”中を駆け抜け、
詠訵やニークトを始めとする11人にも、
どころか外で戦う明胤の戦士達の耳にも届いた。
彼らはその時、
ダンジョンの号哭だと、
そう思ったと言う。
さみしい鳥が鳴くように。
侘びしい風が啼くように。
進は思い出す。
かつて目の前のillに、自らを憑依させた時のことを。
その時の、肉体の変化、反応を。
その體の感触を、思い起こす。
風が鋭く地を削り、その端くれを巻き上げる。
竜巻が大地を吸い上げるみたいに。
全身に魔力が浸潤していく。
それらは全霊探知状態を作り上げる。
が、魔法陣の影響で、精度は更に、格段に上がる。
1mの100万分の一、ミクロの世界、
そこからもっと細かく、ナノ単位の域に。
それらは全身で同時多発的に、ある化学結合を丁寧に切り離した。
彼の考えは、簡単だった。
敵が自分に似ていて、だが自分には一部及ばない部分があり、それによって押し負けていると言うのなら、
並んでやるだけだ。
同じ事を、やり返してやるのだ。
彼は炭素の一部を、他と同じだけ結合できる珪素と入れ替えた。
珪素はどこから調達したのか?
「そこらじゅう」だ。
地殻、言うなれば地表の大部分は、
石英、二酸化珪素によって構成されている。
何よりここは、珪素生命体らしき竜、“臥龍”の中。
その物質に困る筈がない。
肉体が作り替えられる。
柔く、しなやかな部分と、
硬く、剛い部分。
硬くも脆いアーマーの内側に、空間装甲や強化ゴム、防弾チョッキの層。
そんな“肉体”を作り上げていく。
旋風の幕が上がり、立っていたのは硝子のサイボーグ怪人だ。
幽霊のように稀薄ながら、耀々研ぎ澄まされた剣山地獄。
盛立つ白熱の時間を止めたら、そういう姿になるのだろうか。
関節部以外を覆う、鋭角連なる分厚い鎧。
血流や化学反応を加速させる魔力の奔矢、それが束ねられたものが透明な体表の内を抜け、それが起こす乱反射によって、その身を白く濁って見せるは、まさしく燃ゆる血潮の可視化。
表面に無数に走る、溝を縁取るプリズム光。
管楽器のように巻き巡らされる、パイプ構造。
その一部は頭の右半分を、「く」の字型に覆っていて、左半分には三つの瞳を持つ、スケルトンフレームの生体カメラ。
歯並びは歯車の噛み合いの如く機械的。
肩甲骨の後ろあたりからも、ギザギザしたパイプの束が突き出ていて、退化した翼のような一対の突起となっている。
指は刃物に、足は5本指の上から二又の獣脚が被さり、それらはスリットの爪を持つ。
様々な部分を作り替え、増設したことで、全高は1m80近くに。
全く異なる物質を、無理矢理に体へ馴染ませた逸品。
コンセプトは、
もっと細かく、もっと正確に、
もっと硬く、もっと鋭く!
愚直に、ただただ愚直に!
〈ぴ、ぃぃぃいいいいいい……っ!〉
空を翔ける音ながら、
〈ひょ、おおおぉぉぉぉぉぉ……っ!〉
地の底から震え渡る!
それは破魔の一吹き。
破竹の甲機。
名付けるなら——
(((“ナリカブラ”)))〈“魔術空手”!〉
〈………〉
〈………〉
(((………)))
〈マジカラ(((“ナリカブラ”、とでも呼称しましょう)))選考の価値ナシ!?一考の余地すらない感じ!?〉
進の案は言外の却下を喰らい、
今ここに命名、
魔学的全身生体改造技術、
“嚆矢叫炎”!
〈お待たせ…!〉
合わせた掌を、左手左脚を前に、右手右腰を引いて、
〈じゃ、始めるか…!〉
いつも通りの構えに。
〈お手合わせ、ですの〉
全身から上がる目映い光は、
〈ああ、格付けの時間だ〉
魔力噴射の陽炎と、
回転刃の斬裂。
〈“臥龍”。お姉様と添い遂げるのは〉
〈日魅在進。カンナと一緒に生きるのは、〉
〈ワタクシだ!〉〈俺だ!〉
図ったわけではなかったが、
両者とも、
同時に一歩を踏んでいた。




