574.それは……そうなんですけども………
7月17日の木曜日、放課後。
夏至が過ぎて一月も経っておらず、18時過ぎでも周囲はまだ明るい。
完全な日没まであと1時間ほどか。
校内大会が明後日と迫るそんな時期、学園近くのファミレスで、訅和交里は詠訵三四から相談を受けていた。
と言うより、一人を除いたトクシメンバー全員に、聞いて回っているようだった。
「ススム君、最近ちょっと、ヘンじゃないかな?」
「………」
そんな話だと思っていた。
一瞬だけシナシナに萎えた気持ちを、干した布団みたいにパンパン叩いて伸ばし、頭を再活性化させる。
「う~ん…?元気そうだけどねぃ…?」
どちらかと言えば、自分の方が明確に凹んでいる、みたいな主張はしなかった。
それについてはとっくに気付かれて、一度心配された上で、「全然大丈夫」と自分で強めに否定してしまったからだ。
ただ、彼女から彼の話を聞くのは、さっぱり完敗して逆に落ち着いてしまった後でも、それなりに痛みを伴うものだと言うのが、偽らざる本音であった。
「あの小学生男児の心配をするだけ、脳細胞の空費だと思うのだけれど」
親しき中の礼儀など気にしないかのように、隣から舌鋒を振るうジュリー・ド・トロワが、今だけは気分を紛らわせる癒しとなっていた。
………なんともズケズケした「癒し」もあったものである。
「ススム君は先輩が思ってるほどお気楽じゃないですよ」
「そうなの?それは知らなかったわ。流石、ベタベタいちゃついてるだけのことはあるわね。注文入れていい?」
「さっき食べ終わったばかりじゃないですか……」
空っぽになったハンバーグやドリアの皿、パフェのグラスを前に、タブレットを操作して追加のオーダーを入力するトロワ。
許可を取るかのような問い方だったが、答えは特に聞いていないようだった。
とにかく全員に懸念を共有しようという意図は分かるのだが、正直人選ミスの感が否めない。彼女の場合、何の気はなしに「この前こんな事を聞かれたのだけど、どうなの?」といった感じで、当人にポロっと口を滑らせそうである。
「それじゃあ、“カミザススム専門家”のあなたの目から見て、彼のどのあたりが失調しているように見えたのかしら?」
「茶化さないでくださいよー。結構本気で危うい空気を感じてるんですから……」
訅和は試みに、ここ数日の彼を思い返してみる。
すると、ドロドロとドス黒く濁ったオーラを纏った姿ばかり浮かぶ。
直近は特に、にっくき怨敵フィルターを通して見ていた為、その強い部分、自分と比べて明らかに優れている数々の長所ばかり注目してしまい、肝心の本人を直視できていなかった。
彼の弱さなんてまるで見つけられない記憶を探りながら、自らの劣等感センサーの言い掛かりじみた繊細さに辟易する。
「ススム君、あれから、あの襲撃があってから、配信してないんです」
「え?ああ~、言われてみれば」
そう言えば、そうである。
彼と彼女を繋いだあのコンテンツ。
数週間ほどそこに、彼の姿を見ていない。
詠訵のチャンネルだけ見ていても、隔週ペースで現れていたその少年が、全く存在感を発揮していなかった。
「顔見知りが亡くなってショックを受けて、そのうちに校内大会に向けての追い込みが始まった、ってだけでしょう?」
「でも今までのススム君なら、そうやって沈んだ気分を晴らすために、配信してたと思うんです」
「飽きただけじゃなくて?」
「ススム君は、自分の活躍を楽しみにしてる人がいっぱい居るのに、飽きたからなんの断りもなく辞めるなんて、そんな不誠実じゃありませんー。そもそもススム君にとってあの場所は、そんな簡単に捨てられないほど、大きいものな筈ですよ」
「大した“カミザススム博士”振りだこと」
「それほどでも」
「誉めてないわよ、決して」
確かに、あれは彼の成功体験であり、何なら恩義まで感じている様子だった。
漏魔症に罹ってから初めて、自分の存在が許された実感を得た空間。
それが、“日進月歩チャンネル”だったのだろう。
あれはもう、日魅在進の人格の奥底に食い込んでいる。
「それで、私ちょっと気を付けて見てたんです。そしたらススム君、最近は潜ってる時になんていうか、苦しそうで……」
「当り前よ。ダンジョンでのほほんとされても困るわ。そんなの素人以下よ」
「でもいつもなら、もっと生き生きしてるって言うか、むしろダンジョンの中の方が元気いっぱいって感じで」
彼が強くなり、成功したのは、ダンジョンありきのことだ。
そして彼の力の使い方的に、ダンジョンの無いところでは、過去の弱い自分のままなのだ。
彼にとっては、魔素濃度が高いところが、最も自由になれる場所なのかもれない。
その前提を踏まえて、より巻き戻してみれば、たしかに彼はいつも楽しそうに戦っていた。
パフォーマンスの必要がない、身内のみでの潜行や、大会等での模擬戦でも、大抵は晴れがましさを感じさせる。
それで思い出すことは、一昨日の組手、という名目の密かな決闘の際、いやに動きが鈍かったことだ。
勿論、最初は困惑していたのもあるだろうし、思いやりも理由だろうが、それでも魔力を通してこちらの細かい動きを知れる彼が、あそこまで良いようにやられてばかりだったのは、何かそれだけの理由があったからなのだろうか?
「カミっち本人には、聞いてみたんだよねぃ?」
「うん。でもはぐらかされちゃって……。なんか、『ダンジョンってなんだろう』、みたいな話はしたんだけど」
「?どういうことかねぃ?」
「例の部活で何かあったわけ?」
「そういうのじゃないんですけど」
「具体的にどういう言い方だったとか、憶えてる?」
「えっと、『俺は——』」
——俺は、何を殺してるんだろう
「そう思ったって、言ってて」
よく、分からない。
それは、モンスターの正体がどうだとか、そういう話なのだろうか?
それとも周囲でトラブル続きだから、それを自分が殺したカウントに入れてしまっているのか?
「あの脳ミソ快晴クンがそんなこと気にするかしら?」
「ススム君は結構気にしいなんですー!」
訅和も、それは分かる気がする。
トロワも口では軽んじているが、運ばれてきたスパゲッティを食べる手が、少し緩やかになっている。
何より、彼と彼女は意外と似ている。
周囲から一直線バカとして見られやすいことも、その判断に至るまでに心の内では色々考えていることも、よくよく分かっているだろう。
「う~む、それだけじゃあなんとも言えないけど……」
「時間が解決してくれるかもしれないんだけど、すぐに校内大会だから、ちょっと不安で。他のみんなにもお願いしたんだけど、一応、気にしておいて欲しくて……」
校内大会。
招待された外部の人間、つまり、それなりの要人も来訪する行事。
日魅在進を目当てで、業界では既に観戦を望む声が殺到している、という噂も流れてきている。
“理事長室”から急な辞職者が出て、その後任をどうするかでただでさえ慌ただしい明胤学園に、政治的な厄介事まで盛り付けられている模様。
彼がトラブルに巻き込まれる可能性は、低くない。
そして、「何かが起こりそう」なところに居ると、必ず事件になってしまうのが、日魅在進という男である。
彼が悪いのではなく、強いて言えば間が悪い。
そういう星の下、としか言いようがない人間なのだ。
そういった困難を、実行力を押し通すことで、突破してきたのが彼である。
だが今回、調子が悪いという留意事項が重なってしまった。
案ずるのも無理はないのかもしれない。
「……彼がどうなっているのかは、分からないけれど」
段々になったパンケーキにナイフを入れながら、トロワが話をシンプルにする。
「最悪彼無しでも勝てばいいのよ。それだけ私達が強ければ問題は生じないわ」
「彼が何に巻き込まれようと、出なくていいなら関係ないでしょう?」、
そういう身も蓋もない極論を口にする彼女は、きっと遠回しに励ましているつもりなのだ。
事実、様々なことに目を瞑るなら、解決策として有効ではある。
「どうしても心配なら、あなた自身を万全の状態に仕上げなさい?」
そうすれば、要らぬ心配はしなくて良くなる、と、
トロワはフォークで、大きめの一切れを頬張った。
「ところでこれって個別会計できるんですか…?」
「さあ?それこそどちらでもいいでしょう?この程度の額面でケチケチしないで頂戴?」
「元お貴族様特有の金銭感覚やめてください~」




