572.たった一つ、ただそれだけでも
大量の神経が通っており、痛みに弱いとされる耳。
自らのそれを引き千切ると、相手の姿勢がブレて攻撃威力が減退。
半ば当てずっぽうのカウンターが間に合い、鼻を折る。
自らの痛みや苦しみは、アドレナリンか何かが洗い落とす。
基本はこれだ。
末端を自傷し、敵にそれをフィードバックして、崩れたところに合わせる。
手足をへし折り、臓器を打ち抜く。
押している。
押しているが、彼女は釈然としない。
「お前はもっと、痛みに強いだろっ!」
自爆上等な戦い方は、その男の十八番なのだ。
この程度で、やられっぱなしになるような、そんな奴ではないのだ。
彼女はそれを、ムカつくほどに良く知っている。
戦場で並び立ちながら、何度も何度も見て来たから。
「何度でも言ってやる!『本気でやれ』っ!」
両方の膝下を破壊しながら、踏み止まろうとしているそいつの股下に潜り込み、掌底アッパーをぶち込む。
自らの下腹部も吹き飛ぶが、痛みに関しては相手の方が上である。
人間の主要部位でありながら、熱に弱い為に外に出ている、“その臓器”を潰されているからだ。
怯んだその腹に拳や膝を何発も叩き込み、肉体への負担よりも苦悶させることを優先した攻めを続け、煽り立てる。
男性のみが持つ一方的な弱点すら、容赦なく突いてやるところを見せて、自分の本気を伝えてやる。
訓練など口実だ。
憂さ晴らし、
リンチの為にやっている。
全力で殴り返して来い、と。
好感が持てる人だと思う。
何事にも本気で、全力で、お人好しなところがあって、友達想いで、単純だが思慮が浅いわけでもなく、妙に頭が回るところもあり、蛮勇との間をギリギリ行き来するような勇気も持っていて………
今だって、彼女の提案に喜んで付き合ってくれている。
条件として提示してないのに、反応装甲や魔力ジェット、ナイフやケーブルを使わないでいてくれる。
「練習になる程度」を、探り探りやってくれている。
良い奴だと思う。
実際、好ましく感じることは幾らでもある。
だから彼女は、彼が恋敵であるという事実に、
たまらなく、腹が立つ。
遠慮なく軽蔑させてくれない。
躊躇いなく憎ませてくれない。
これで最低な男だったら、どんな汚い手を使っても、大事な人を守る為、という言い訳が出来た。
でもこいつ相手では、何か仕掛けたら、悪いのはどう見ても彼女の方になる。
放置すれば、想い人を盗られる。
戦えば、二度と想い人に顔向けできなくなる。
どう足掻いても、彼女は満足できない。
幸せに、なれない。
分かっている。
言い訳だ。
最初から、自分勝手な欲求だけの、恋とも言えない邪念だったのだ。
彼女は知ろうとした。
女が女に欲情する、それを起こすには、どうすればいいのか。
見つけた答えは、酷くこざっぱりしたものだった。
そんなこと、普通に起こっている。
奇跡でも、ドラマでもない。
様々な統計や実験が言っていた。
男は女を、無意識に好む。
でも女はそれ以上に、女を好意的に見るように出来ている。
男は自分の性的嗜好に合ったポルノに興奮する。
女は男女カップル、男性同士、女性同士、どの絡みのポルノでも、全体的に好む傾向にある。
男性刑務所よりも、女性刑務所の方が、囚人同士での性的暴行の発生率が高い。
女が女を好きになるのは、
実は言うほど異常ではない。
彼女が親友のことを好きになったのは、人の身体ではなく魂を好きになったという意味だと、誇りに思ってきた。
“プラトニック”、その言葉を本気で信じていた。
でもそれが、間違いだったら?
生物学の自然として、そうプログラミングされてるだけ、という話だったら?
結局肉欲でしかないなら、
彼女がその男より優れている点は、
もうどこにも無くなってしまう。
ダンジョンも、潜行者も無い頃。
困窮した共同体から真っ先に間引きされるのは、一番下の子供、特に女児だったらしい。
なのに人間は、全体的に女子供に好意的だと言う。
この矛盾は、何だろう?
“弱者”を守り、所有すると、気持ち良くなれる。
自分が気持ち良くなるために、弱者を使うと言う快楽。自分の生存ほどではないけれど、弱者の存続に気を遣う機序。
自分を最優先に、でも娯楽や快を追う余裕が出来たら、弱い奴も助けようとする。
そういう遺伝子を持ってる方が、数を増やしやすかった。
きっと、それだけの話。
そして遺伝子にとっては、「女」も弱者カテゴリーの中だった。
人類のDNAはかつて、魔学を知らなかったのだから、子を産む為に生物的コストを払う役でありながら、それ以外の共通身体能力は低い“メス”が、「弱者」に設定されてしまうのは、自然な話と言えばその通り。
それはかつて、魔法なんて概念が無かったころの名残。
男女の戦闘力的な強さを均せる仕組みが現れても、2000年ぽっちじゃ、人間の遺伝子は大して変わらなかったのだろう。
あの子の短い髪が好きだ。
あの子の深い瞳が好きだ。
あの子の爛漫さが好きだ。
あの子の妖艶さが好きだ。
あの子の、
あの子の何を知っている?
表面しか論えないのに?
女は女を好きになるのに、
それは変なことだと思われている。
女で良かった。
女だから、彼女の想いは気付かれなかった。
あの子との距離を極限まで縮め、
だけど最後の一線を越えられる可能性を、限りなくゼロにしてしまった。
女から女への性欲はない。
女が女を好きになるわけがない。
その思い込みさえなければ。
女でさえ、なければ。
日魅在進は、こちらを心配している。
だが体外魔力操作や、ジェット噴射を、徐々に解禁し始めている。
この期に及んで、「ちょうどいい力加減」をまだ測ろうとしているが、リミッターは着実に外れている。
彼はきっと、彼女を本気でぶん殴りたくはないのだろう。
その嫌な気分を、彼女の想いを汲んで、抑えてくれている。
一方で、完全詠唱を破壊しないという、最初のルールは守ってくれている。
それを破ったら負けだという、小学生の屁理屈みたいな彼女の言い分に、付き合ってくれている。
惨めだ。
彼女は「胸を借りる」債務者だ。
これではどちらが大人か、どちらに思いやりがあるか、人間的にどっちがマシか、その答え合わせをしているようなものだ。
やればやるほど、負けると言うのに、
八つ当たりが止まらない。
勝てない。
何も、
何一つ、
彼女はそいつを上回れない。
せめて、
せめて執念だけでも、
諦めの悪さだけでも勝ちたい!
勝たないといけない!
勝っていないと、彼女は自分を許せない!
その恋慕が本当に、ただの獣欲だったことになってしまう!
それを否定する為に、彼女は戦う!
ちっぽけな意地だと、言わば言え。
ハンデ戦で、そんな発言をする図々しさに、どれだけ呆れられようとも!
「ミヨちゃんの前で!私に負けろ!日魅在進っ!」
太い針を幾つも自分の脚に突き刺し、筋肉の反射的収縮を引き起こすことで相手のフットワークを止める。
その両肩に手を乗せ、敵の頭上に倒立。
反転しながら膝を突き出し、重心のズレを起こし重力を纏って加速、円軌道で背中に打ち下ろす!
それを減速させようと敵背部からジェット噴射が。
そこを狙い、相手に最も近くなっている右腕を首に回し、左腕で固める。
彼女の体を離そうと押し返すほどに、逆により強く閉まるように!
チョークスリーパーが、
その頸を獲った!




