閑話.悪とは誰だ
花束を持って訪れたら、そこには先客が居た。
7月6日の日曜日。
あれから5日。
あの島から帰った俺は、乗研先輩やクミさん、トオハさん、吾妻さんといった、迷惑を掛けた人達に謝り倒し、各種健康診断を受けて、それからカンナの処遇について、関係各所への土下座行脚と、もろもろ忙しくしていた。
五十嵐さんが協力的だったこと、また「退屈したカンナが何をするか分からない」という脅しが予想以上に効いたのもあり、あまり今の状態をいじらない方向で落ち着いた。
道眞さんの戦死について、天万さんを始めとする政十の人から責められる覚悟で居たのだが、それもなかった。
非公式なものとは言え、「人類の記録上で最初にillを殺したのは、丹本国のディーパーを中心としたパーティー」、その事実が出来たことは、思ったより大きかったらしく、むしろ感謝された。
俺としては居心地が悪いものだったが、ここで「ちゃんと罰してくれ」なんて甘えた事を抜かせるほど、上等な身分じゃないってことは分かっているつもりだ。
あの人達が俺を神輿として使いたいなら、カンナを安定させる器として居て欲しいなら、利用されようと思う。
骨の髄までしゃぶり尽くされようと、少なくとも非難出来る立場にはなかった。
道眞さんへの、せめてものけじめである。
ガネッシュさんとトオハさんが助かったのも、しぶとい道眞さんにバッタの攻撃が集中していたから、という面もあったと言う。
あの人は本当に、最後まで立派な隊長だった。
そして週明けから、学園に復帰する事が決まった。
だからその前に、心の整理の為として、お墓参りに行くことにした。
枢衍教室の3人、亢宿君、万先輩、それから朳君という名前の高等部1年。
あの襲撃で亡くなった明胤生。
あれが“可惜夜”を狙ったものだったというのは、機密事項。
だから遺族の人に直接「俺のせいです」とは謝りに行けず、居住場所を教員の泊まり込み用の建物に移して、次の被害拡大を予防するくらいが限界だった。
だからせめてお墓に手を合わせるだけでも、そう思ったのだ。
そこに語り掛けたところで誰にも届かない、その認識は今も心に根付いたままなのに、墓石に向かって喋りたくなるのは、結局俺の意思が弱いからなんだと思う。
きっと、赦されたいからそんなことをする。
だから俺は、「お前は赦されない」と自分に言う為に、そこに向かう。
「赦されないからって、やめる気はないんだろ?」、と。
そして亢宿君の次に、万先輩が埋葬されている場所に着いたら、そこで先に手を合わせている人が居た。
「うん?ああ、お前か」
振り返ったその人は、棗先輩だ。
校内大会で俺が寝てる間に、トクシのみんなとやり合っていたらしい人。
U18に出場するメンバーを決める学園内大会で戦って、その時に少しだけ言葉を交わしたこともある。
今年から大学生で、もう明胤学園の生徒じゃないけれど、きっとそれでも切れない縁があったのだろう。
「お前が来るとは、意外だったな」
「その……、寮長ですし、知らない人でもなかった、ですけれど、お葬式には、出られなくて……」
「なるほどな」
それが、「ああそういうことなのか」、という意味なのか、それとも裏に何か事情があることまで見透かした言葉なのか、俺には見分けがつかなかった。
「律儀だな」
「そう、いうわけじゃないですよ」
義理ではなく、自分の目的の為だけに足を運んでいる俺は、きまりも歯切れも悪くなるばかり。
それを知ってか知らずか、先輩は続ける。
「お前はあいつに、そこまで良い印象は抱いていなかっただろうに」
「えぇ、っと」
「当然の話だ。あいつはお前に敵意しか見せていないのに、それで好かれるわけもない」
そこでにこやかな顔をされても、愛想笑いすら返せない。
「あいつにお前を好むつもりはなかったからな。その逆が好転するなど有り得ぬし、吾も望まない」
「ただな」、そこまでずっと、学園で見た時のような、余裕たっぷりな表情のままだった彼女が、
「嫌っても憎んでもいいが、軽蔑はしないでやって欲しいんだ」
どこか崩れたように見えた。
「あいつは馬鹿正直でクソ真面目な奴だ。何より、枢衍先生と吾がそう教育した。明胤学園の名を負う者としてのプライドを、責任まで含めたエリート意識をな」
力を持ち、社会の秩序の為にそれを使う者は、そういった“誇り”を持っていなければ、容易に矛先を暴れさせる。
だから、「その名を穢すな」と、徹底して叩き込む。
「だがその抑制が、逆に行き過ぎる事もある。先生も、万の奴も、あれで単なる生理的嫌悪ではなく、本気で学園の行く末を案じていたのだ」
俺の入学は、それだけの脅威だった。
嫌いだとか以前に、危険と見られた。
「少子高齢化が進み、学園の資金調達が難しくなるであろうこれからを察した学園が、『平等公平な新時代』という成功物語を大衆に見せて、それで金を集める方向に舵を切ったのではないか。この国最高のディーパー育成機関、その看板を資金繰りの為に、売り払おうと言うのではないか。
ルカイオス家の特例入学から立て続けに起こった事でもあり、その猜疑はより募ったのだろう」
「お前には不愉快な見縊られ方だろうが」、
彼女はそう言うが、
「その話は、分かります」
俺は逆に、納得していた。
明胤学園生の価値判断が、戦闘力に偏り気味とは言え、ほとんどが普通に真面目な学生だ。クセのある人もいるけど、なんだかんだ本気で認識が噛み合わない変人と言うと、実はそれほど多くは挙げられない。
そもそもが、個人で持つには強過ぎる武器を持った人達を、社会を乱さないだけのモラルの中に収める為の機関。しかも明胤出身者は、将来的に公務員やダンジョン関連事業の要職に進む人も多い。
巷で言われてる、“ヤバい奴だらけの学園”と呼ぶにはみんなが真っ当過ぎるし、それでないといけないのだ。
戦意が高いとは言っても、そこまでの非常識である筈もなかった。
だけど、俺が入学した当初の陰湿な感じや、先輩との決闘時とかに起こったブーイングの口汚さや、炎上騒動の時の怒りといった、暴力的不良集団みたいな過度な激しさを感じることもあって、それがミスマッチだった。
今の話を聞いて、その二つの姿がようやく繋がった。
結局、真面目だったんだ。
大人の政治とか欲得で、自分が守るべき“明胤”が壊されようとしてるんじゃないかって、彼らなりに考えて、彼らが出来る解決方法を採っていたのだろう。
明胤からエリート意識が無くなったら、世の中への貢献や秩序への配慮みたいな視点が欠けて、社会とか国とかを安定させようとする力学が弱まって、自分や周囲に災いが降り掛かるのではないか。
実態とか手段の是非はともかくとして、その懸念自体は常に考えて、問い続けるべきことではあるのだ。
「『ルールには抵触しない』と抗弁できるくらいの嫌がらせ、そう言うと何ともみみっちい話だが、けれど生徒の分際で出来ることがそれくらいだったのだ。無論、それが誉められたことでないのは変わらぬ。お前に深い傷を残すかもしれない、醜いやり口だろう」
「だが」、
そこまで言って、棗先輩は首を振った。
「いや、いい。忘れてくれ。手前勝手な言い繕いだ」
彼女の表情が、元の調子に戻る。
「人間的弱さは言い訳にならない。我々が間違っていたと、お前がその強さで証明した以上、こちらには何も言う資格はない。我々は揃いも揃って弱く、情けなく、だから悪かった。それが全てだ」
どう言えば、いいんだろうか。
どう答えれば、正解なんだろうか。
「日魅在進。万に花を供えに来てくれて、ありがとう。その寛大な心に感謝する」
いや、この場に正解なんて、ないんだ。
だって実態として、俺が弱いから彼らが死んだのだから。
頭を下げられてから、「不快でなければ」と握手を求められる。
辛うじてそれに応じると、彼女は微笑みを少しだけ和らげ、その場を後にしようとする。
「あの!」
何を言うか考えたのは、背中に呼び掛けた後からだった。
「万西白先輩は、嫌いな俺の命も守った、立派な寮長でした!」
「ありがとうございました」、そう言って俺も最敬礼をすると、
「それを言うのは、吾にじゃないな」、振り向かずにそう言われた。
その通りだ。
彼女が見えなくなるまで、唇一枚動かせなかった。




